見もの・読みもの日記

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往事茫茫/福翁自伝(福沢諭吉)

2006-09-03 23:40:31 | 読んだもの(書籍)
○福沢諭吉著、富田正文校訂『新訂 福翁自伝』(岩波文庫) 岩波書店 1978.10

 先だって、斎藤孝さんの『座右の諭吉』を読んで、これはやっぱり、『福翁自伝』本編を、読んでみようと思った。旅行前に読み切れるかと思っていたが、少し読み残してしまったので、西安、天津、北京のホテルで読みついできた。

 本書は、還暦を過ぎた福沢が、ある外国人記者の求めに応じて、幼時から老後に至る経歴を語ったものだという。内容の過半を占めるのは、明治維新を挟んだ、福沢の青年時代である。

 本書に書かれた福沢という人物は、若い頃から、好き・嫌いが行動の基本原理になっている。門閥制度が嫌い。儒教主義が嫌い。役人が嫌い。深遠な理屈や哲学があるわけではない。嫌なものは嫌なのだ。

 たとえば、維新政府に仕官しなかった理由を、福沢はこう語る。「役人全体の風儀を見るに気品が高くない」。昨日までの佐幕家が、しゃあしゃあと新政府に仕えている。臭い物にたかる蝿のように政府に近づき、空威張りし、婦人に戯れ、多妻の罪を隠そうとしない。こういう人種の仲間になって一ツ竈の飯を食うのは、「どことなくきたないように汚れたように思われてツイ嫌になる」。分かるなあ。これって、(福沢は大阪生まれだけど)江戸っ子の道徳原理だと思う。私は、本書を読みながら、ときどき、漱石の「坊っちゃん」を思い出していた。

 その一方、自分が正しいと信じる目的のためなら、多少、人を騙しても、悪いこととは考えない。また、世間では無作法と思われても、妻の見送りとか車夫の出迎えとか、余計なことは一切させない。威儀を整えるためだけに、無駄な金を遣うのも嫌い。こういう福沢の基本性格を作ったのは、幼いときに父親を亡くし、母親に育てられたことが大きいのではないかと思った。

 青年時代に学んだ、緒方洪庵の塾のありさまも興味深かった。塾生たちは、書物を読むだけでなく、実際にアンモニアや硫酸を造ってみようと実験を繰り返した。だから、後年、アメリカで工場を見学したときも、米人は長々と説明してくれたが、原理はチャンと分かっていたという。これはすごい。いまの日本の政治家で、最先端の科学技術の原理をチャンと理解している者が、何人いるだろう。

 いや、福沢って(文系・理系を横断する)技術家なんだけど、実は政治家でも思想家でもないんだなあ。「政府が酒屋なら私は政治の下戸でしょう」とも言っているし。あまり警戒せず、持ち上げず、気さくなジイさんと思って、少しつきあってみたいと思っている。
コメント
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