○読売新聞(関西発):吉田玉男さん死去 文楽人形遣い、人間国宝 87歳
http://osaka.yomiuri.co.jp/bunraku/news/bn60925a.htm
昨夜、旅行から帰って、ネットを立ち上げてびっくりした。「吉田玉男さん死去」の文字を見て、ああ、とうとう来るべきものが来た、と思った。
吉田玉男さんへの哀悼を表すために、今日は、文楽のことを話そうと思う。私が文楽を初めて見たのは「高校生のための文楽教室」だった。ところが、これが面白くなかった。『塩原多助一代記』だもの、辛気臭いったらありゃしない。どうして、お染久松とか八百屋お七とか、高校生が胸をときめかすような演目を選ばないのか。教育的な配慮なのかなあ。
とにかく、文楽の第一印象は、ものすごく悪かった。それから数年後、大学(院?)生のとき、友人が、留学生を文楽公演に連れて行くという。一緒に行こうよ、と誘われて、え、文楽なんて面白くないよ、と思いながら、しぶしぶ付いて行った。このときの演目が『近江源氏先陣館(盛綱陣屋)』。盛綱を遣っていたのは、たぶん吉田玉男さんではないかと思う。
2回目の印象は、なかなか良かった。それで、次の機会には、私のほうから友人を誘った。そして見に行ったのが『曽根崎心中』である。これは、ものすごい体験だった。幕が下りたとき、私は衝撃と感激で、体の力が抜けてしまって、すぐに椅子から立てなかった。徳兵衛がお初の足を自分ののどにすりあてるという印象的な演出が、玉男さんの創意だということを、私は今日のニュースで初めて知った。あのときの徳兵衛役も玉男さんだったに違いない。しかし、私が、人形遣いや大夫さんの顔と名前を覚えるのは、まだこのさきのことである。
それから、1980~90年代にかけて、大学院を出て就職し、またアルバイト生活に戻り、別の仕事に就くなどの転変の間、私はずっと文楽を見続けた。まわりに賛同者はいなかったが、気にせず、ひとりで国立劇場に通った。家の中では、いつの間にか、母親が(のちには父親も)私に感化されて文楽ファンになってしまった。
吉田玉男さんといえば、やはり立ち役のイメージが強い。それも、男性的な悲劇の主人公、文七のカシラを使う役。『義経千本桜』の平知盛とか『絵本太功記』の光秀とかね~。一方で『冥途の飛脚』の忠兵衛とか、『傾城反魂香』の吃又とか、欠点だらけの卑小な姿をさらけ出した庶民の役にも、得も言われぬ味わいがあって、好きだった。
かなり晩年だと思うが、『女殺油地獄』で、立女形に定評のある蓑助さんが、与兵衛を演じ、玉男さんが、殺される女房お吉を演じたことがある。これも衝撃的だった。濡れ場みたいに色っぽかったのが忘れられない。
しかしながら、この5、6年は、いろいろなことに興味が拡散して、少し文楽から遠ざかっていた。先日、久しぶりに国立劇場に復帰し、次回公演も見に行こう!と誓った矢先にこの訃報である。私の手元には、『第156回文楽公演』のプログラムが残された。考えてみると、人形遣いの写真名鑑に玉男さんが載った、最後のプログラムになったわけである。不遜なことをいうと、呼び戻されたようで、感慨深い。
国立劇場の12月公演は『義経千本桜』である。なんだか、これも符丁を合わせたようだ。平知盛の、最後まで自分を崩さない、端正な死に姿に、多くの文楽ファンは、玉男さんの面影を重ね合わせるのではないかしら。合掌。