見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

関西旅行10月編:秘仏ご開帳をめぐる(2)

2008-10-14 23:58:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
■第四番 槙尾山施福寺(槙尾寺)(大阪府和泉市)
http://www.bukkyo.net/sehukuji/(個人サイト:仏教ネット)

 13日(月)の予定は、はっきり決めていなかったのだが、前日の粉河寺・紀三井寺のご開帳にいたく感激し、新しいご朱印帖もGETしたので、同じく秘仏ご本尊ご開帳中の施福寺にも行ってみることに。ここは、三十三所の中でも、山登りの難所BEST3に数えられているそうだ。

 南海本線の泉大津駅前から、1時間に1本のバスに乗車。JR阪和線、泉北高速鉄道線を横切るたび、乗客が増えてくる。施福寺詣での参拝客は、槙尾中学前で一斉に下車。反対車線に待っているオレンジバスに乗り継ぐ。これは、15人乗りくらいのワゴン車で、この日は全員が乗り切れず、5、6人が残されることになった。「また戻ってきますから、待っててください」と言い残して発車。いちだんと細くなった山道を、満席のワゴン車は、すいすいと上っていく。10分ほどで終点に到着。あとは徒歩で山頂を目指す。急坂の舗装道路のあと、山門をくぐると、本格的な山道になり、ひたすら上る(公称30分だが、もうちょっと短くていける)。勾配はきついが、さほど歩きにくい道ではない。息は切れたが、あとで足は痛くならなかった。

 いくつかのお堂を経て、山頂の本堂へ。中央のご本尊は弥勒菩薩で、その右側に文殊菩薩、左側に札所本尊の千手観音がおいでになる。お厨子の扉は開いているが、用心深く金襴の垂れ幕が下がっていて、アーチ型の切れ込みから、わずかにお姿が覗くのみ。胸の前で合わせた華奢な合掌手が印象的であるが、千手かどうかもよく分からない。う~ん、ちょっと不満。本尊の背後には馬頭観音。梁の上に、小さな白馬が飾られているのが面白かった。あと、暗い天井下に、たくさん並んでいたのは、二十八部衆かなあ。

 境内からは、緑深い葛城山、金剛山などの山並みを一望できて、雄大な気分にひたれる。ここはさすがに団体は来ないのだろう、と思ったが、帰り道、揃いのワッペンをつけた団体客が、ぞろぞろ上ってくるのに行き逢った。思うように足の上がらない、ご老体多し。そのあと、下のバス停でオレンジバスを待っていると、サイレンを鳴らしながら消防車が到着。小さな赤いトラックに、すばやく担架とボディボードを積み替えたレスキュー隊は、「行けるところまで車で行くぞ!」と叫びつつ走り去った。どうなったことやら。

■第五番 紫雲山葛井寺(大阪府藤井寺市)
http://rieip.kt.fc2.com/fujidera/index.html(個人サイト:葛井寺へ行こう)

 施福寺を早めに出られたので、よし、第五番の葛井寺も行っちゃおう、と、突然の計画変更。最後に来たのは2004年7月なので、ずいぶん久しぶりだ。やっぱり、天平仏はいいなあ、と思う。

 ご本尊の裏側にまわると、さまざまな寺宝や資料が展示されているのは以前のとおりだが、その中に、井真成(いのまなり)に関する新聞記事があって、私の目を引いた。井真成は、717年(養老元年)19才で唐に渡り、734年(開元24年)に死去し、長安南郊に埋葬された遣唐留学生である。中国・西安でその墓誌が発見され、愛知万博や、東京国立博物館の特別展『遣唐使と唐の美術』で展示された。葛井氏または井上氏の一族であるという説が有力なことから、藤井寺市が出生地と推測されているらしい(→関連サイト:「銘菓 井真成」って、まだあるのかな? ちょっと欲しい)。

 調べてみたら、中国で墓誌の発見が「公表」されたのは、2004年10月のことだという。だから、前回、私が葛井寺を訪ねたときは、こんな話題は、影も形もなかったわけだ。次に行くときは何が起きているかしら。楽しみである。
コメント
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