○小熊英二、姜尚中編『在日一世の記憶』(集英社新書) 集英社 2008.10
手に取ろうとして、あまりの厚さと重さに驚いた。全781ページ。新書サイズとしては、掟破りの厚さである。本書は、52人の在日コリアン一世のライフ・ヒストリーの聞き取りを収集したものである。女性17人、男性35人。1910~30年代の生まれで、おおよそ生年順に登場する。インタビューは2003年から始められ、既に「故人」と記された方も散見する。
「在日一世」という標題は、かなり緩やかな定義である。私は、朝鮮半島で生まれて日本に渡ってきた第一世代を「一世」というと思っていたが、Wikipediaによれば「おおむね1945年以前から日本に住む者」をいうそうだ。したがって、本書には、戦前、在日の両親から日本国内で生まれたコリアン籍(二世と呼びたいところだが)の人も含まれている。また、例外的なケースでは、日本人として生まれながら、朝鮮人男性と結婚し、朝鮮籍に国籍変更した女性の例もある。要するに、日本による植民地支配~戦争~解放~祖国の分断という同時代を、近くて遠い隣国日本で生きてきたコリアン籍の人々、と考えたい。
私は、こういう無名の人々の伝記は苦手にしている。どう贔屓目に見ても小説ほど面白くはないからだ。しかし、本書は最後まで飽きずに読んだ。これは、1人あたり10~15ページの記述に、それぞれの人生のエッセンスを濃縮して提示した(かなり大胆な)編集の力によるところが大きいと思う。
52人の人生は、実に多様である。職業を見ても、屑鉄拾い、炭鉱労働者、キャバレーやパチンコ店の経営、キムチ店や焼肉店のオーナー、歴史学者、詩人、画家、教育者、コンピュータソフトの開発者(おお、中韓ワープロでお世話になった高電社!)。やっぱり、同じ一世でも、生まれの早い世代ほど苦労が大きかったようだ。1930年代生まれになると、少しは人生の選択肢が広がっているように感じる。
性格・個性もさまざま。人がよくて、たのまれごとが断れず、損ばかりしている人もあれば、度胸と要領で大儲けしたことを、明るく語る豪儀なオジサンもいる。コツコツと小さな成功を積み重ねて、満ち足りた人生の終わりを迎えている人もいれば、羽振りのいい時もあったけれど、今はすっかり落ち目になって、でもまあ楽しいこともあったからいいか、という人もいる。別に「在日一世」だから、みんな苦労をしてきたとか、そのことに例外なく恨みを抱いているわけではない、ということが分かる。同様に、2つの(3つの?)祖国に対する距離の取り方もさまざまである。
「あとがき」に小熊英二氏が書いているように「語り手が選別して語り、聞き手がそれをまとめなおすことで、オーラル・ヒストリーはできあがる」。だから、ここにあるものを、何か特権的な「手つかずの記憶」として読む必要はない。しかし、それでも本書は「在日一世」の多様性を、多様なままに記録しようと努めている点で、価値ある労作だと思う。それと、私は「在日一世」の人々が保ち続けた相互扶助の精神に、たびたび感動した。保守派の論客が好んで論及する”美しい日本の道徳と伝統”が、まさにここに生きているように思った。
手に取ろうとして、あまりの厚さと重さに驚いた。全781ページ。新書サイズとしては、掟破りの厚さである。本書は、52人の在日コリアン一世のライフ・ヒストリーの聞き取りを収集したものである。女性17人、男性35人。1910~30年代の生まれで、おおよそ生年順に登場する。インタビューは2003年から始められ、既に「故人」と記された方も散見する。
「在日一世」という標題は、かなり緩やかな定義である。私は、朝鮮半島で生まれて日本に渡ってきた第一世代を「一世」というと思っていたが、Wikipediaによれば「おおむね1945年以前から日本に住む者」をいうそうだ。したがって、本書には、戦前、在日の両親から日本国内で生まれたコリアン籍(二世と呼びたいところだが)の人も含まれている。また、例外的なケースでは、日本人として生まれながら、朝鮮人男性と結婚し、朝鮮籍に国籍変更した女性の例もある。要するに、日本による植民地支配~戦争~解放~祖国の分断という同時代を、近くて遠い隣国日本で生きてきたコリアン籍の人々、と考えたい。
私は、こういう無名の人々の伝記は苦手にしている。どう贔屓目に見ても小説ほど面白くはないからだ。しかし、本書は最後まで飽きずに読んだ。これは、1人あたり10~15ページの記述に、それぞれの人生のエッセンスを濃縮して提示した(かなり大胆な)編集の力によるところが大きいと思う。
52人の人生は、実に多様である。職業を見ても、屑鉄拾い、炭鉱労働者、キャバレーやパチンコ店の経営、キムチ店や焼肉店のオーナー、歴史学者、詩人、画家、教育者、コンピュータソフトの開発者(おお、中韓ワープロでお世話になった高電社!)。やっぱり、同じ一世でも、生まれの早い世代ほど苦労が大きかったようだ。1930年代生まれになると、少しは人生の選択肢が広がっているように感じる。
性格・個性もさまざま。人がよくて、たのまれごとが断れず、損ばかりしている人もあれば、度胸と要領で大儲けしたことを、明るく語る豪儀なオジサンもいる。コツコツと小さな成功を積み重ねて、満ち足りた人生の終わりを迎えている人もいれば、羽振りのいい時もあったけれど、今はすっかり落ち目になって、でもまあ楽しいこともあったからいいか、という人もいる。別に「在日一世」だから、みんな苦労をしてきたとか、そのことに例外なく恨みを抱いているわけではない、ということが分かる。同様に、2つの(3つの?)祖国に対する距離の取り方もさまざまである。
「あとがき」に小熊英二氏が書いているように「語り手が選別して語り、聞き手がそれをまとめなおすことで、オーラル・ヒストリーはできあがる」。だから、ここにあるものを、何か特権的な「手つかずの記憶」として読む必要はない。しかし、それでも本書は「在日一世」の多様性を、多様なままに記録しようと努めている点で、価値ある労作だと思う。それと、私は「在日一世」の人々が保ち続けた相互扶助の精神に、たびたび感動した。保守派の論客が好んで論及する”美しい日本の道徳と伝統”が、まさにここに生きているように思った。