見もの・読みもの日記

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未完の8月15日/1945年の歴史認識(劉傑、川島真)

2009-08-24 23:15:56 | 読んだもの(書籍)
○劉傑、川島真編『1945年の歴史認識:「終戦」をめぐる日中対話の試み』 東京大学出版会 2009.3

> この領域(近代の日中関係)の出版情報には、かなり熱心に網を張っているつもりなのだが、本書の刊行には全く気づいていなかった。1ヶ月ほど前、ジュンク堂書店新宿店のイベント情報で、佐藤卓己さんと川島真さんによる「戦後、日本の歴史認識はいかにつくられたのか?」というトークセッション(2009/7/30 18:30~)があるのを知った。私はこれがどうしても聞きたくて、時間休を取った上に、最寄り駅までタクシーを飛ばして、埼玉の奥地から新宿まで駆けつけた。そして、なんとも迂闊なことに、会場で初めて、今日のイベントが、本書『1945年の歴史認識』の刊行を記念するものであると知ったのである(赤面)。

 トークセッションは、本書の内容について、読み手である佐藤卓己さんがコメントし、作り手(編著者)である川島真さんが応答するという形式で進行した。基本的には、会場の聴衆も、すでに本書を読んでいるという前提(?)だったようで、私は着いていくのに難渋した。それでも、本書が作られた環境――中国(大陸)の歴史研究者とも、だいぶ理性的・客観的な対話ができるようになってきた、というあたり、面白く聞いた。

 中国人にとって、1945年8月15日は、ほとんど意味を持たない日付である、という問題提起は佐藤卓己さんから。けれど、とにかく1945年の終戦によって、国境線が引きなおされ、多くの人々が新しい「祖国」に回収され(ある者たちは残され)、「空間と人の再措定」がなされた。私は、この状態を、あるべきものがあるべき姿に復したように捉えていたが、むしろ、ここから全てが始まったと言うべきなのかもしれない。そして「空間と人の再措定」は一気に実現したのではなくて、8月15日に帰属を決し切れなかった人々は、多数いたのである。それゆえ、「未完の8月15日」は、本書のタイトルとして検討されたものである由。

 本書には、そうした人々の「8月15日以後」を丹念に追った論考が、多く収録されている。冒頭の劉傑論文が、例外的に、南京政府(汪兆銘政権)の要人救済(陳公博亡命工作)という著名人を扱っているが、そのほかは、無名の市井の人々で、中国・台湾から来日していた留学生たちの去就、上海居留日本人の処置と送還、技術協力のため中国で留用された日本人技術者、中国残留日本人(孤児、婦人)の長くて多様な戦後経験などが語られている。

 ジョシュア・フォーゲル氏は、「学者の国籍がどんな学術的議論にも完全に無関係になる日がくるのを、私は待ち望んでいる」と述べている。それはちょっと(笑)私は完全には同意しないが、本書のような対話を地道に積み上げていくのは、日中両国に有益なことだと思う。トークセッションで話題に上がっていたように、近代中国の起点である「1911年(※辛亥革命の年)の歴史認識」を主題に、次の対話が計画されるとしたら、それも読んでみたい。
コメント
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