○東京藝術大学大学美術館 『コレクションの誕生、成長、変容―藝大美術館所蔵品選―』(2009年7月4日~8月16日)
東京芸術大学の前身、東京美術学校が、明治22年(1889)の開校に先立ち、教育研究資料としてのコレクション収集を開始して以来120年余り、その誕生と成長過程を紹介する所蔵展。そのため、解説プレートには、制作年代とは別に、取得年月日と取得方法を示す「○年○月○日買入」(または生産、寄贈)という情報が付与されている(※ちなみに、この情報は芸大の所蔵品データベースでも確認することができる)。
岡倉天心が収集した最初期のコレクションに、曽我蕭白の『群仙図屏風』や伊藤若冲の『鯉図』がちゃんと含まれているのは興味深い。両者とも、近年、急に評価が高まった画家のように思っていたけれど。買入の年(1889)から見ると、両者ともほぼ100年前の画家に当たる。いまの私たちが、浅井忠や青木繁を見るような感覚かな。本当は、買入時の価格が分かると、もっと面白かったのに。
芸大コレクションが飛躍的な発展を遂げるのは、正木直彦(1862-1940)校長時代。このひとのことは、きちんと意識したことがなかったが、岡倉天心校長の排斥辞職というゴタゴタ(美校騒動)の後、実質的な後任として、「各派の調停につとめ、体制の基盤を築いた人物として評価されている」そうだ。文部官僚出身。こういうときは、官僚も役に立つ。岡倉と正木(実は同い年)の人物像の比較については、芸大HPの記事「タイムカプセルに乗った芸大(佐藤道信)」に詳しい。
正木は、茶人でもあり、美術鑑定にも一定の見識を持っていたようだ。鎌倉時代の力強い毘沙門天立像は、岡倉天心がボストン美術館のために購入したものを、国外流出を防ぐため、半ば横取りするかたちで美術学校に購入を決めたそうだ。その梱包の最中に、偶然首が抜け、肥後別当定慶の銘を発見したとか。私は、こういうコレクションをめぐる人間臭い逸話が大好きである。
大正14年(1925)には朝鮮視察旅行に赴き、名品『金錯狩猟文銅筒』(後漢時代、楽浪古墳出土、重要文化財)を「書記八木氏」を通じて取得したことが、正木の日記から分かっている。いちおう「買入」ではあるが、これって韓国から返還要求とか出ないのかな…。日韓併合(1910)時代の話である。
圧巻なのは、正木の勤続25年の祝賀会にあたり、高村光雲ら職員一同から贈呈されたという記念品のセット。黒漆塗の飾り棚に、筆筒、筆架、硯塀、水滴など、ひととおりの文具がセットになっている。いずれも職員が自ら制作したもの。ひとくせもふたくせもあったであろう、美術学校の職員(教員)たちから、ここまで慕われたのは、よほどの人格者であったのだろうなあ。高村光雲作の小さな木彫りの狸(和尚の格好をしている)が可愛い。朝倉文夫のブロンズ『つるされた猫』も、時期は不明だが、朝倉から正木に贈られたものだという。
東京芸術大学の前身、東京美術学校が、明治22年(1889)の開校に先立ち、教育研究資料としてのコレクション収集を開始して以来120年余り、その誕生と成長過程を紹介する所蔵展。そのため、解説プレートには、制作年代とは別に、取得年月日と取得方法を示す「○年○月○日買入」(または生産、寄贈)という情報が付与されている(※ちなみに、この情報は芸大の所蔵品データベースでも確認することができる)。
岡倉天心が収集した最初期のコレクションに、曽我蕭白の『群仙図屏風』や伊藤若冲の『鯉図』がちゃんと含まれているのは興味深い。両者とも、近年、急に評価が高まった画家のように思っていたけれど。買入の年(1889)から見ると、両者ともほぼ100年前の画家に当たる。いまの私たちが、浅井忠や青木繁を見るような感覚かな。本当は、買入時の価格が分かると、もっと面白かったのに。
芸大コレクションが飛躍的な発展を遂げるのは、正木直彦(1862-1940)校長時代。このひとのことは、きちんと意識したことがなかったが、岡倉天心校長の排斥辞職というゴタゴタ(美校騒動)の後、実質的な後任として、「各派の調停につとめ、体制の基盤を築いた人物として評価されている」そうだ。文部官僚出身。こういうときは、官僚も役に立つ。岡倉と正木(実は同い年)の人物像の比較については、芸大HPの記事「タイムカプセルに乗った芸大(佐藤道信)」に詳しい。
正木は、茶人でもあり、美術鑑定にも一定の見識を持っていたようだ。鎌倉時代の力強い毘沙門天立像は、岡倉天心がボストン美術館のために購入したものを、国外流出を防ぐため、半ば横取りするかたちで美術学校に購入を決めたそうだ。その梱包の最中に、偶然首が抜け、肥後別当定慶の銘を発見したとか。私は、こういうコレクションをめぐる人間臭い逸話が大好きである。
大正14年(1925)には朝鮮視察旅行に赴き、名品『金錯狩猟文銅筒』(後漢時代、楽浪古墳出土、重要文化財)を「書記八木氏」を通じて取得したことが、正木の日記から分かっている。いちおう「買入」ではあるが、これって韓国から返還要求とか出ないのかな…。日韓併合(1910)時代の話である。
圧巻なのは、正木の勤続25年の祝賀会にあたり、高村光雲ら職員一同から贈呈されたという記念品のセット。黒漆塗の飾り棚に、筆筒、筆架、硯塀、水滴など、ひととおりの文具がセットになっている。いずれも職員が自ら制作したもの。ひとくせもふたくせもあったであろう、美術学校の職員(教員)たちから、ここまで慕われたのは、よほどの人格者であったのだろうなあ。高村光雲作の小さな木彫りの狸(和尚の格好をしている)が可愛い。朝倉文夫のブロンズ『つるされた猫』も、時期は不明だが、朝倉から正木に贈られたものだという。