お盆旅行3日目、昨日は通り過ぎただけの嵯峨嵐山に再び行ってみる。野々宮神社~常寂光寺~落柿舎~二尊院と、定番コースを歩くのは何年ぶりになるだろう。平日の朝、ほかに誰もいない竹林を独り占めする贅沢。

■五台山清涼寺(京都市右京区)
先月、奈良博の『聖地寧波』展で、ご本尊の釈迦如来にお会いしたので、久しぶりに、このお寺を訪ねてみたくなった。釈迦如来には、特別公開期間でなければお会いできないのは承知の上。巨大な本堂に上がると、正面には錦の幔幕で飾られたお厨子がいかめしく鎮座している。
本堂裏のお庭を拝見し、ゆっくり一周して帰ってくると、納経所のおばさんが「いま、ご開帳しますから、よろしければ下陣から」と教えてくれた。現在は、特別拝観料千円を納めると、いつでもご開帳してくれるシステムらしい。内陣には、ご夫婦らしい男女がご開帳を待っている。やがて、奥からお坊さんが現れて、どんつくどんつく、派手に鉦・太鼓を叩きながら、読経を始める。やがて太鼓の音がひときわ高くなると、それに促されるように、お厨子の幕がするすると巻き上がり、釈迦如来のお姿が、足元からだんだんと現れた。お~ラッキー! でも歌舞伎役者の登場みたいで、少し可笑しかった。あと、浄土宗のお寺だから仕方ないんだろうけど「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」って名号を捧げられるのは、釈迦如来的にはどうなの?
拝観料を納めたご夫婦は、チラッと拝見すると、すぐ立ち上がってしまったが、私は、しつこく粘って見仏を続けた。やがて、納経所で一服していたお坊さんは、釈迦如来をそのままに、奥に引っ込んでしまった。話によれば、一度ご開帳になると、その日はだいたいそのままにしておくそうだ。うーん、これって良心的というべきなのかなあ。
さて、本堂では、気になったものがもうひとつ。向かって右、内陣側の壁の展示ケースに彩色の羅漢図が飾られている。これが精彩に富み(←右端の小動物の描写とか)、滅法いいのである。うわーいいなあ、と思ってよく見たら「法眼一信筆」のサイン。何、「幕末の怪しき仏画」を残した狩野一信のことか?! よく見ると、人目につきにくいところに「東京・増上寺の五百羅漢図の下絵である」旨の古ぼけた張り紙がしてある。確かに、これは下絵のようだ。何度も迷った線のあとも露わだし、羅漢の名前(?)のような覚え書きも細字で記入されている。
展示は全部で10画面。ちょっと分かりにくいが、2画面が1枚に収まっているらしい。1画面おきに、右隅に「法眼一信筆」、左隅に「妙安顛彩」というサインが入っている。納経所で休んでいたお坊さんに「あの羅漢図は他にもあるんですか?」と尋ねてみたら「いや、出ている5枚だけですよ」とのこと。他のお客さんは気にも留めずに素通りしていくけど、一信の「怪しき仏画」に見せられた美術ファンなら、必見のお宝である。
帰宅後、2006年の東博展の図録『幕末の怪しき仏画―狩野一信の五百羅漢図』を読み返したら、松嶋雅人氏がちゃんと触れておられた。顛彩(淡彩を施した)妙安とは一信の妻で、「古来羅漢の霊場と知られた清涼寺に亡き夫の供養の心を込めて寄進した」のではないかという。松嶋氏は、安村敏信氏の論考に拠って、「清涼寺には、増上寺本の第51幅から第60幅の原寸下絵があり」と書いていらっしゃるけど、そんなに大きかったかなあ(増上寺本は172.3×85.3、東博本は90.9×62.5)。東博本は、やはり1幅に2つの画面が描かれており、第26幅から第30幅の図様と一致するようである。
2011年に山下裕二先生が計画中という、増上寺「五百羅漢図」百幅公開展では明らかになるかしら。楽しみに待ちたい。
新幹線が混み出す前に自由席で帰るべく、そろそろ帰途に。途中、北野白梅町から一条通大将軍商店街(妖怪ストリート)に立ち寄る。欲しかった百鬼夜行TシャツをGETして駅へ急ぐ。

■五台山清涼寺(京都市右京区)
先月、奈良博の『聖地寧波』展で、ご本尊の釈迦如来にお会いしたので、久しぶりに、このお寺を訪ねてみたくなった。釈迦如来には、特別公開期間でなければお会いできないのは承知の上。巨大な本堂に上がると、正面には錦の幔幕で飾られたお厨子がいかめしく鎮座している。
本堂裏のお庭を拝見し、ゆっくり一周して帰ってくると、納経所のおばさんが「いま、ご開帳しますから、よろしければ下陣から」と教えてくれた。現在は、特別拝観料千円を納めると、いつでもご開帳してくれるシステムらしい。内陣には、ご夫婦らしい男女がご開帳を待っている。やがて、奥からお坊さんが現れて、どんつくどんつく、派手に鉦・太鼓を叩きながら、読経を始める。やがて太鼓の音がひときわ高くなると、それに促されるように、お厨子の幕がするすると巻き上がり、釈迦如来のお姿が、足元からだんだんと現れた。お~ラッキー! でも歌舞伎役者の登場みたいで、少し可笑しかった。あと、浄土宗のお寺だから仕方ないんだろうけど「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」って名号を捧げられるのは、釈迦如来的にはどうなの?
拝観料を納めたご夫婦は、チラッと拝見すると、すぐ立ち上がってしまったが、私は、しつこく粘って見仏を続けた。やがて、納経所で一服していたお坊さんは、釈迦如来をそのままに、奥に引っ込んでしまった。話によれば、一度ご開帳になると、その日はだいたいそのままにしておくそうだ。うーん、これって良心的というべきなのかなあ。
さて、本堂では、気になったものがもうひとつ。向かって右、内陣側の壁の展示ケースに彩色の羅漢図が飾られている。これが精彩に富み(←右端の小動物の描写とか)、滅法いいのである。うわーいいなあ、と思ってよく見たら「法眼一信筆」のサイン。何、「幕末の怪しき仏画」を残した狩野一信のことか?! よく見ると、人目につきにくいところに「東京・増上寺の五百羅漢図の下絵である」旨の古ぼけた張り紙がしてある。確かに、これは下絵のようだ。何度も迷った線のあとも露わだし、羅漢の名前(?)のような覚え書きも細字で記入されている。
展示は全部で10画面。ちょっと分かりにくいが、2画面が1枚に収まっているらしい。1画面おきに、右隅に「法眼一信筆」、左隅に「妙安顛彩」というサインが入っている。納経所で休んでいたお坊さんに「あの羅漢図は他にもあるんですか?」と尋ねてみたら「いや、出ている5枚だけですよ」とのこと。他のお客さんは気にも留めずに素通りしていくけど、一信の「怪しき仏画」に見せられた美術ファンなら、必見のお宝である。
帰宅後、2006年の東博展の図録『幕末の怪しき仏画―狩野一信の五百羅漢図』を読み返したら、松嶋雅人氏がちゃんと触れておられた。顛彩(淡彩を施した)妙安とは一信の妻で、「古来羅漢の霊場と知られた清涼寺に亡き夫の供養の心を込めて寄進した」のではないかという。松嶋氏は、安村敏信氏の論考に拠って、「清涼寺には、増上寺本の第51幅から第60幅の原寸下絵があり」と書いていらっしゃるけど、そんなに大きかったかなあ(増上寺本は172.3×85.3、東博本は90.9×62.5)。東博本は、やはり1幅に2つの画面が描かれており、第26幅から第30幅の図様と一致するようである。
2011年に山下裕二先生が計画中という、増上寺「五百羅漢図」百幅公開展では明らかになるかしら。楽しみに待ちたい。
新幹線が混み出す前に自由席で帰るべく、そろそろ帰途に。途中、北野白梅町から一条通大将軍商店街(妖怪ストリート)に立ち寄る。欲しかった百鬼夜行TシャツをGETして駅へ急ぐ。