奈良博の特別展『聖地寧波』の展示替えを目当てに、関西に出かけた。京都→奈良を往復するついでに、ふと宇治に行きたくなった。帰ってから、この前、宇治に行ったのはいつだったかなあ、とブログ検索をかけたら、2005年3月に記事があった。黄檗山万福寺のことしか書いていないけど、宇治の平等院は行ったのかしら。いや、平等院ミュージアム鳳翔館(2001年竣工)の記憶がないから、寄っていないのだと思う。
■平等院(京都府宇治市)
というわけで、たぶん10年ぶりくらいの平等院。拝観券を買って境内に入ったあと、鳳凰堂は別料金で、20分ごと(1回50名)のツアーを予約する方式。いちばん早いツアーは既に一杯だったので、先にミュージアムを見学する。ミュージアムは通常拝観のコース内。いいシステムだと思う。簡素で展示品の引き立つ、気持のいい建築は、栗生明(くりゅうあきら)氏の設計だそうだ。覚えておこう。
展示品では、もともと阿弥陀堂(鳳凰堂)の屋根に乗っていた鳳凰像1対(青銅製?)に見とれる。もちろん空想上の鳥で、絵画には何度も描かれた例があったあろうけれど、リアリティある三次元に造形化してしまった職人の腕に脱帽する。尾羽根のひろがり具合が、なんとも優雅で、カッコいい。後ろから見ると、無骨な鋲を用いて、絶妙の角度でパーツを固定していることが分かる。現代のフィギュア職人にも通じる力技である。別室には、20体ほどの雲中供養菩薩が華やかにディスプレイされていた。じゃあ、阿弥陀堂はどうなっているんだろう?と思ったら、半数ほどが歯抜けのように壁に残されていた。ちょっとかわいそう。
ご朱印をいただける場所は、阿弥陀堂の裏に2箇所あり。拝観券売り場で教わった最勝院で「阿弥陀如来」をいただいたが、隣りの浄土院では「鳳凰堂」と書いてくださった。気になったので、書いてくださった女性の方に「あのう、むかしは”楽土”と書いていただきましたね」とお訊ねしたら、ちょっと表情をほころばせて「先代のおばあちゃんはそうでしたね。最近は、このほうが喜ばれるので」とおっしゃっていた。わずかに開かれた本堂の障子の間に、日なたぼっこするように置かれていたのは、厨子入りの救世舟乗観音像。新規復元制作だというが、今出来の仏像の厭味がない。あまりに愛らしいので写真を1枚。あとで調べたら、作者の仏師・村上清氏は雲中供養菩薩の模刻と研究にも携わっておられる方だそうだ(→仏師.com-hotokeshi.com)。

■黄檗宗大本山萬福寺(京都府宇治市)
黄檗(おうばく)の駅を通りかかって、万福寺にも寄りたくなった。もともと、境内に充満する中国テイストが私好みのお寺だったが、音楽、絵画、陶芸、煎茶道など、黄檗宗が日本の近世文化に与えた多大な影響を知るにつけて、いよいよ好きになった。山門を入って右の売茶堂は、煎茶を広めた売茶翁(高遊外)を祀る。伊藤若冲に「丹青活手妙通神」(たんせいかっしゅのみょう、かみにつうず)の一行書を贈った人物である。山門の正面の天王殿に祀られているのは布袋さん(中国では弥勒菩薩)で、私はその背後にいる韋駄天像が大好きなのである。戦闘モードの美仏。
ここは、お土産コーナーも充実しており、染付の煎茶茶碗が気に入って1客購入。抹茶茶碗より深めで、小どんぶりとして使えそうである。あと、今年も中国旅行に行けることを願いつつ、布袋さんの交通安全お守りも。
■平等院(京都府宇治市)
というわけで、たぶん10年ぶりくらいの平等院。拝観券を買って境内に入ったあと、鳳凰堂は別料金で、20分ごと(1回50名)のツアーを予約する方式。いちばん早いツアーは既に一杯だったので、先にミュージアムを見学する。ミュージアムは通常拝観のコース内。いいシステムだと思う。簡素で展示品の引き立つ、気持のいい建築は、栗生明(くりゅうあきら)氏の設計だそうだ。覚えておこう。
展示品では、もともと阿弥陀堂(鳳凰堂)の屋根に乗っていた鳳凰像1対(青銅製?)に見とれる。もちろん空想上の鳥で、絵画には何度も描かれた例があったあろうけれど、リアリティある三次元に造形化してしまった職人の腕に脱帽する。尾羽根のひろがり具合が、なんとも優雅で、カッコいい。後ろから見ると、無骨な鋲を用いて、絶妙の角度でパーツを固定していることが分かる。現代のフィギュア職人にも通じる力技である。別室には、20体ほどの雲中供養菩薩が華やかにディスプレイされていた。じゃあ、阿弥陀堂はどうなっているんだろう?と思ったら、半数ほどが歯抜けのように壁に残されていた。ちょっとかわいそう。
ご朱印をいただける場所は、阿弥陀堂の裏に2箇所あり。拝観券売り場で教わった最勝院で「阿弥陀如来」をいただいたが、隣りの浄土院では「鳳凰堂」と書いてくださった。気になったので、書いてくださった女性の方に「あのう、むかしは”楽土”と書いていただきましたね」とお訊ねしたら、ちょっと表情をほころばせて「先代のおばあちゃんはそうでしたね。最近は、このほうが喜ばれるので」とおっしゃっていた。わずかに開かれた本堂の障子の間に、日なたぼっこするように置かれていたのは、厨子入りの救世舟乗観音像。新規復元制作だというが、今出来の仏像の厭味がない。あまりに愛らしいので写真を1枚。あとで調べたら、作者の仏師・村上清氏は雲中供養菩薩の模刻と研究にも携わっておられる方だそうだ(→仏師.com-hotokeshi.com)。

■黄檗宗大本山萬福寺(京都府宇治市)
黄檗(おうばく)の駅を通りかかって、万福寺にも寄りたくなった。もともと、境内に充満する中国テイストが私好みのお寺だったが、音楽、絵画、陶芸、煎茶道など、黄檗宗が日本の近世文化に与えた多大な影響を知るにつけて、いよいよ好きになった。山門を入って右の売茶堂は、煎茶を広めた売茶翁(高遊外)を祀る。伊藤若冲に「丹青活手妙通神」(たんせいかっしゅのみょう、かみにつうず)の一行書を贈った人物である。山門の正面の天王殿に祀られているのは布袋さん(中国では弥勒菩薩)で、私はその背後にいる韋駄天像が大好きなのである。戦闘モードの美仏。
ここは、お土産コーナーも充実しており、染付の煎茶茶碗が気に入って1客購入。抹茶茶碗より深めで、小どんぶりとして使えそうである。あと、今年も中国旅行に行けることを願いつつ、布袋さんの交通安全お守りも。