見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

伊万里ふたたび/戸栗美術館

2005-02-16 21:50:30 | 行ったもの(美術館・見仏)
○戸栗美術館 『館蔵 古伊万里、色絵の誕生と変遷』

http://www.toguri-museum.or.jp/

 性懲りもなく、また伊万里を見に行ってきた。戸栗美術館は、昭和62年に旧鍋島藩屋敷跡地(!)に開館した古陶磁専門の美術館だというが、これまでこの方面に興味がなかったので、訪ねるのは初めてのことである。

 小さな美術館なので30分かそこらで見終わるだろうと思っていたら、とんでもなかった。収蔵品の充実ぶりは、さすが古陶磁専門美術館を名乗るだけのことはある。

 入ってすぐ、展示室の仕様が、見事なほど陶磁器の展示に特化していることに気づいた。とにかく見やすい。展示ケースを高めにしつらえてあるので、腰をかがめなくても作品が目の高さにくる。展示替えのたびに書画を飾ったり、仏像を飾ったりする普通の美術館ではこうはいかない。しかも、展示ケースの前に安定感のある木製のバーが付いているので、観客は頬杖をついた楽な姿勢で、飽きるまで作品に向き合える。

 作品の展示方法もゆきとどいていると思った。五客セットであれば、一客は必ずひっくり返して裏側を見せている。一点ものの場合も、要所々々に鏡を置いて、できるだけ裏側の文様や高台の銘が見えるよう工夫している。添えられた説明書きはどれも簡潔で要を得ており、「へえ~」とうなるものが多い。「高台の銘は××」(文字だけでなく図入り)というような、知りたいポイントは決して書き落とさない。微細な点に至るまで、美術館を運営する主体の、作品に対する愛着と真剣さが伝わってくる。

 専門家がプロデュースした空間の居心地のよさに、改めて感じ入った。戸栗美術館、これからも贔屓にさせていただこうと思う。図書館とか書店も、もっとこういう方向に特化していいんじゃないかと思うんだけど。
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ムコクセキ・モダン/日本民藝館

2005-02-15 21:55:58 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日本民藝館 特別展『大津絵』

http://www.mingeikan.or.jp/

 週末、思い立って駒場の日本民藝館に出かけたのは、特別展『大津絵』に惹かれたわけではなく、『藤森照信の特選美術館三昧』を読んだためである。

 同書の著者は、民藝館の外装にふんだんに用いられた大谷石に着目する。昭和初期、大谷石という材料は、オシャレで洋風でモダンなものだった。「日本民藝館は一見すると伝統的だが、ちゃんと見ると、大谷石のみならずそうとうヘンなのである」と言う。そこから著者は、柳宗悦の目指した「民芸」とは、ある土地や文化に固有なものではなく「ムコクセキ」で「インターナショナル」なものだったのではないか、と読み解く。

 しかし、そういう先入観を持って訪ねたにもかかわらず、民藝館の外観の「そうとうヘン」な具合は、素人にはいまひとつピンとこない。白壁の腰まわりに、風呂場の軽石みたいなボンヤリした印象の大谷石をはめ込んだナマコ壁は、どこかで見たようでもあり、見たことがないようでもある。よほど日本の伝統建築に詳しくなければ、こんな様式もあったかしら?で、丸め込まれてしまうだろう。

 しかし、玄関ホールで正面から来館者を迎える堂々とした階段、「真っすぐ上がって、大きな踊り場で左右に分かれる階段」が、日本の伝統建築と全く無関係なことは、さすがの私にも看破できる。まるでパリのオペラ座ではないか(知らないけど)。この大階段を中心に回遊するような展示室の間取りも、極めて意図的に設計されたものだと思う。

 日本民藝館の収蔵品の多くは、染色・陶芸・木工など、無名の工人の手によって成り、民衆の生活の中で用いられてきた品々である。しかし、それらを収める“うつわ”としての建築は、意志的で、モダンな精神性を感じさせる。それは、伝統的な工芸品や生活用品を全て良しとするのではなく、ある審美眼によって選ばれたものだけが「民芸」となることを示しているのかもしれない。

 そうは言いながら、今回の特別展『大津絵』は、かなり”日本的”な味わいがする。建築や陶芸の「ムコクセキ性」に比べると、絵画って、土着的にならざるを得ないんだなあ、と感じられて、その差異がおもしろかった。
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藤森照信の特選美術館三昧

2005-02-14 00:25:38 | 読んだもの(書籍)
○藤森照信著、藤塚光政写真『藤森照信の特選美術館三昧』TOTO出版 2004.6

 私は美術品を見るのが好きで、美術館にはよく足を運ぶ。それから、建築を見るのも好きだ。しかし、美術館自体を建築として見ることには、これまであまり熱心でなかった(例外は、著者の作品である秋野不矩美術館くらいか)。

 本書には、初めて名前を聞くような新しい美術館と並んで、定番どころも取り上げられている。しかし、国立西洋美術館、鎌倉の近代美術館、渋谷の松涛美術館などは、本書の写真を見ると、え?こんな美しい建物だったかしら?と、記憶に残る印象とのズレに大きな戸惑いを感じてしまう。

 写真の詐術ということもある。しかし、より大きな問題は、多くの美術館が、「建物を作品として見せる」という姿勢を貫いていないことにあると思う。経営上、いたしかたないのだろうけれど、いくぶん小規模な展覧会だと、不要スペースには「立入禁止」の札を立てて観覧者の導線を切ってしまったり、省エネを理由に灯りを消したり、あるべき窓にブラインドを下ろしたりして、設計のコンセプトをずたずたにしているのは日常茶飯なケースだと思う。

 奈良の大和文華館は、展示室の中央にガラス張りの中庭を持っている。しかし、私が訪ねたのは二度とも古典書画の展示会だったせいか、光を嫌って、完全にブラインドが下ろされていた。このブラインドが取り払われたときの開放的な展示室の姿を、私は写真と空想でしか体験したことがない。

 渋谷の松涛美術館が、円形の吹き抜けを囲むようなかたちをしていることには気がついていた。でも、エントランスホールから、対面の展示室に向かって、吹き抜けの真下を通り、噴水付きの池の上を渡る橋が架かっているなんて初めて知った! 廊下をまわっていくのが唯一の「順路」だと信じて疑っていなかったから。今度行ったら、ぜったい、この橋のアプローチを渡ってみたい。

 まだ見ぬ美術館で、行ってみたいと思ったのは、廃校となった小学校の木造校舎を利用して作られたという、北海道の「アルテピアッツア美唄」。それから、香川県の「イサム・ノグチ庭園美術館」。明治時代の酒蔵に立つ現代彫刻の写真を見ていると、この佇まいを自分の目で確かめずにおれなくなる。それから、石山修武の「リアスアーク美術館」。箱根の「ポーラ美術館」は日帰りできそうである。ああ、旅行好きの虫が騒ぐなあ...
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語られる性/感じない男

2005-02-13 00:28:39 | 読んだもの(書籍)
○森岡正博『感じない男』(ちくま新書)筑摩書房 2005.10

 なぜ私はミニスカに欲情するのか。なぜ制服に惹かれるのか。私にとってポルノとは何か。なぜ私はロリコンの気持ちが分かるのか。

 著者は生命学を専門とする大阪府立大学のセンセイ(教授)であり、これは学問的な試みの書である。しかし、ふつうの女性学・男性学の研究者がするように「男は」「女は」という主語を用いることを避け、敢えて「私」という主語を選択し、自分自身のセクシャリティについて自問していく。

 その結果、著者は2つの問題を発見する。1つめは自分が「感じていない」という事実から目をそむけてきたこと。その結果、どこかに「すごい快感」があるに違いないと妄想し、「感じている(に違いない)女」への憎悪が肥大する。もう1つは「男の体は汚い」というぬぐいがたい意識、そのために自分の体を肯定することができないこと。

 私は、自分の体を肯定できない感覚というのは、むしろ女性のものかと思っていたので、興味深かった。大人の男(女)としての身体が肯定できないから、第二次性徴が始まる以前の少年少女に憧れる心理というのは男女共通だと思う。「別の性でもあり得た自分」の想像に固着する気持ちも分かる。でも、そこから、著者のように、自分が少女の体に入り込みたいとか、少女に自分の子供を生ませて「私」自身を生み直したい、というのは女性にはない感じ方である。多くのロリコン男性はこれに同意するのだろうか。

 著者は私と同世代(1958年生)だが、自分の体に対する感覚は、もしかすると男女差よりも世代差のほうが大きいかもしれない。芹沢俊介さんのルポルタージュなどを読んでいると、自分の体を完全に取替え可能、消費可能なものとしてしか捉えられない少女たちが出てくる。たぶんこの感覚は少年にも拡大していると思う。したがって、「自分の体は汚い」という自己否定に出発するセクシャリティは、ある世代以下には共有されないのではないかと思うが、どうか。

 あと、男性がポルノを愛好する理由には、女性への憎悪や支配欲があることはもちろんだが、同時に男性の自虐的・自傷的な心理が働いている、という告白は、よくぞ言った、という感じがした。セクシャリティというのは、亜流フェミニストが図式化して非難するほど単純な、支配/被支配の問題ではない。

 最後に著者は、「自分の体は汚い」という感覚を「私はまだ克服できていない」と率直に認める。一方、「不感症」であることについては、それをいさぎよく認め、「不感症であってもかまわないからやさしい男になりたいと思うようになった」と述べる。恋人の第一条件は「やさしい人」と考える女性たちは、この宣言をどう受け止めるだろうか。(私は「どっちにしても、そんなにがんばったこと言わなくていいのに」とひそかに思ったのだけど)

☆最後に敬意を表して、著者のサイト。
http://www.lifestudies.org/jp/
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俳句的な写真/新・正体不明

2005-02-12 21:53:42 | 読んだもの(書籍)
○赤瀬川原平『新・正体不明』東京書籍 2004.10

 赤瀬川さんが町で見つけた「気になるもの」「気になる風景」に短い文章を添えた写真集。書店で立ち読みしてもすぐ終わってしまうほどの分量だが、やっぱり手元に欲しくて買ってしまった。

 著者が語っているとおり、1970年代の「トマソン」の発見、1980年代の「路上観察学会」の立ち上げの頃は、それなりに意味のある「ヘンなもの」「面白いもの」が対象だった。それが、だんだん意味を外れて、説明のできない味わいのほうに移っていったと言う。赤瀬川さんはこの違いを「川柳」から「俳句」へと説明している。

 そう、本書を眺める楽しみは俳句に似ている。切り取られた風景の外側に、読者はいくらでも勝手な物語をふくらませることができる。著者の短い文章がその手引きになっている。

 マンホールの蓋とか雨樋の口とか、物体の細部にじっと目をこらしたような接写から、雨空の色、空気の匂いを写し取った”引き”の写真までさまざま。でも、人の姿のない風景写真が多いのに、不思議と、どこかに人の呼吸を感じさせるところが共通している。
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吉野の寺社/大日寺

2005-02-10 22:38:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○日雄山大日寺(奈良県吉野郡吉野町)

 先々週のことになってしまうが、久しぶりに訪ねた吉野では、蔵王堂で時間をとられ、あまり多くの寺社に詣でることができなかった。唯一、収穫だったのが、この大日寺である。

 スタンダードな観光ガイドには載っていないと思う。私も予備知識は何もなかった。蔵王堂からしばらく歩くと「五智如来の寺」という案内板がある。メインストリートの裏側に下ると、のんびりした畑が連なり、生活の匂いのする路地で、子犬が駆け回り、おばあちゃんどうしが立ち話をしていたりする。

 小さな山門をくぐり、人影のない境内に立って、おそるおそる声をかけると、くりくり坊主の大柄な男の子が堂内に招き入れてくれた。天井の低い本堂に安置された五智如来は、一目見て、ああ、なるほど藤原時代の作だと分かる。花の吉野にふさわしい、穏やかな表情を浮かべている。何年か前、室生寺でご開帳になった五智如来に比べるとずっと大ぶりな優品である。あまりそばに近づけないので、細部まで拝見できないのが、ちょっと残念だった。

 帰り際、失礼かしら?と思いながら、「大変みごとな仏様ですね」と感じたことを伝えた。気のよさそうな男の子が「ありがとうございます」と、素直に満面の笑みを見せてくれたので、ほっとした。

 吉野を訪ねるならおすすめのお寺。でも、ずっと穴場であってほしい気もする。

http://www12.plala.or.jp/HOUJI/otera-3/newpage510.htm
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大結局《人生幾度秋涼》

2005-02-09 23:51:19 | 見たもの(Webサイト・TV)
○連続電視劇 『人生幾度秋涼』31集

 春節快楽! 今日は旧正月の元旦なので中国ネタで。

 昨年の秋から見ていたこのドラマが、先週の日曜日に終わった。盛り上がって、劇的な最終回だった。主人公の富嗣隆を演ずる張鉄林、敢えて、老醜をさらし、不様な最期を受け入れる”男人劇”的美学がカッコよすぎである。

 清朝帝室の後裔にして、家宝の古詩帖と引き換えに市長の座を手に入れた富三爺だったが、ひそかに古詩帖を奪い返したことが洋人の怒りを招き、失脚する。さらに家令の馬師爺に妻を寝取られ、全財産を奪われて、獄中に追いやられる。昔の恋人の歌うレコード1枚だけを隠し持って。

 しかし、同じ獄中の周彝貴から、取り戻した古詩帖が、我が娘・秀儿と周彝貴の息子・子貴によって保たれていると聞き、彼は満足する。刑場に引き出された富三爺を奪回すべく集まった牡丹班の人々の、不穏な動きを察知した彼は、「芸を後代に留めることこそ君たちの使命だ」と告げて、思い止まらせ、莞爾として銃弾に倒れる。もうひとりの主人公、周彝貴(李誠儒)が、悲憤と絶望にかられた目で銃口を見つめ返すところでドラマは終わる。

 そう、この作品のテーマは「人は死す、しかし芸は留まる」なのだ。芸は留まらなければならない。いや、留めなければならない。わずかな時間を生きる我々は、有形無形にかかわらず、いまここにある芸を守り、後代に伝えていかなければならない。そのように語っていると思う。

 ドラマのタイトルは蘇東坡の「西江月」という詩(詞)に拠っているということを知った。”西江月”(せいこうげつ)というのは詞のスタイルのひとつらしい(勉強になるなあ)。以下、末句の1字が表示ができないのをご容赦(盞はウソ)。蘇東坡って、日本人には唐詩ほどなじみがないけど、たぶん中国人の心性には、いちばんピタリとくる国民詩人なのよね。

 世事一場大夢,人生幾度秋涼。夜來風葉已鳴廊,看取眉頭鬢上。
 酒賤常愁客少,月明多被雲妨。中秋誰與共孤光,把盞淒然北望。

 余談。”皇阿瑪”張鉄林は、絵も描くし歌も歌う、多芸な俳優さんだが、最近、Jinan大学の芸術学院長(芸術学部長)に就任したという記事には、さすがにびっくりした。近頃、中国の大学は、こんな人事もアリか。
http://ent.sina.com.cn/s/m/2005-01-18/1023633569.html

■《人生幾度秋涼》資料集(新浪網)(中国語)
http://ent.sina.com.cn/v/f/rsjdql/
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祀る国、戦う国/国家と祭祀

2005-02-08 12:39:46 | 読んだもの(書籍)
○子安宣邦『国家と祭祀:国家神道の現在』青土社 2004.7

 戦う国家とは、祀る国家である。国家は、国に命を捧げる国民を必要とし続ける。だから、英霊を顕彰する祭祀システムの整備は「国家安全保障政策上の第一級の課題」であり、それゆえ、イラク派兵を推進する小泉首相は執拗に靖国参拝を繰り返すのだ。たとえ本人がその意図はないと言い張るにしても。

 しかし、国家が祀ることは、国家が戦うこととともに差別的で自己中心的な行為である。国家は己れのためだけに戦い、己れのためだけに祀る。沖縄で集団自決を強いられた住民たち、イラクでアフガニスタンで、ミサイルの犠牲になった子どもたち、いや、むしろ英霊という意味づけを問い返すような、2,133,823柱という靖国の祭神数(大東亜戦争における死者)それ自体を見よ、と著者は問いかける。

 上記のような指摘は、戦後世代の言論人の著作にも散見するもので、ことさら目新しくはない。しかし、日本思想史のプロフェッショナル(敢えて大家とか泰斗とは呼ばない)である著者が、広汎で精緻な実証を携えて立ち上がる姿は、何か「学問の凄み」を感じさせる。

 さらに、長い大学人生活を終え、古稀を過ぎて「年金生活」に入った著者が、専門である日本思想史の課題を、アジア現代史、ひいては現代の宗教ナショナリズムの問題に繋げ、新たな射程で捉え直そうとする果敢な態度には、読んでいて背筋が伸びるような気がした。学者とは、年齢にかかわらず、こうありたいものだと思った。

 以下、いくつかのメモを書き留めておこう。

 伊勢神宮に残る「(あたかも)太古の(ような)自然」は、実は門前町を撤去することで再デザインされたものである。同様に、式年遷宮の持つ意味は、「最古の様式を保持しながら、新しく生まれ変わる」というようなものではない。建築史家の考証によれば、むしろ「純粋形を目指す、再デザインの試み」であると言える。

 幕末から明治にかけて、「迫り来る欧米列強」という対外的な危機意識が、日本をネーションとして再構成する必要を生み出した。こうして「危機の政治神学」が成立するにあたり、参照されたのは、宣長、篤胤の国学であるとともに、荻生徂徠の儒学であった。(私はときどき思うのだが、中国や韓国が「靖国」に対して執拗な拒絶を示すのは、儒教の本家である彼らのほうが、国家祭祀の持つ意味を、日本人よりもよく理解しているためではないか?)

 明治日本における近代国家の立ち上げは、欧米キリスト教社会に成立した近代国家を範型として成された。それらの国家は、教会などの宗教的権力から分離した世俗主義国家であったが、次第に国家それ自体が、宗教のような心情的同一性をもたらし、信仰と忠誠、さらには国家への殉死を人々に期待するようになっていく。これを「世俗的ナショナリズム」と呼ぼう。

 これに対して、いま、中東・イスラム・南アジアで見られる原理主義的な「宗教的ナショナリズム」は、いわば、非ヨーロッパ文化圏における世俗主義的近代国家のオルタナティブである。このように考えるとき、日本の近代化における宗教と祭祀の問題、端的には国家神道の問題は、アジア現代史に一視座を提供することができる。

 最後の指摘は、私にとってとりわけ新鮮だった。これまで、あまり身近に思って来なかったイスラム世界やヒンドゥー・ナショナリズムの問題に、ひとつ私も踏み込んで考えてみるか、という気持ちになった。
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若冲の承天閣美術館

2005-02-07 18:18:36 | 行ったもの(美術館・見仏)
○承天閣美術館 常設展

http://www.shokoku-ji.or.jp/jotenkaku/

 北山の高麗美術館を訪ねたあとで、相国寺境内にある承天閣美術館に足を伸ばした。ここも以前から来たい来たいと思っていたが、初めての訪問である。玄関で靴を脱ぐ。スリッパがないので躊躇したが、ふかふかした絨毯で足元は暖かい。

 展示室に入ると、右手の壁には主に禅画、左手には花鳥画や山水画が掛けられていた。書画の間には、それぞれ取り合わせた陶磁器が置かれている。華やかな花鳥画の下に唐三彩とか、水墨の山水画に天龍寺青磁とか、展示する側の苦心と楽しみがしのばれておもしろい。

 中央に、伊藤若冲が描いた鹿苑寺大書院の障壁画の一部が復元展示されている。山葡萄の蔓が闊達に這いまわる「葡萄之間」は、「玉座の間にふさわしい雰囲気を出している」と解説にあったけど、そうかなあ。まあ、後水尾天皇の趣味には合いそうだけど。かなりロココ調である。

 若冲作品はかなり持っているはずだが、今回は「鶏に梅」三幅対の1点しか出ていなかった。梅を描いた2幅と鶏を描いた1幅から成る。グレー地の不思議な紙を使っていると思ったら、そうではなくて、全面を薄墨で塗りつぶして、対象の色彩を引き立てているのだった。若冲75歳の作品である。
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高麗美術館と洛北の神社

2005-02-06 20:04:52 | 行ったもの(美術館・見仏)
○高麗美術館 冬季企画展『朝鮮の「四君子」-梅・蘭・菊・竹-』と常設展

http://www.koryomuseum.or.jp/default.htm

 高麗美術館の存在は以前から知っていたが、なかなか訪ねてみる機会がなかった。最近、関西に行く機会が増えて、有名どころは回りつくしたので、今回は久しぶりに北山を歩いて、この美術館を訪ねてみようと思い立った。地下鉄の北山駅で下り、深泥ヶ池の傍らの小さな貴船神社(江戸時代に勧請された分社)、カキツバタで有名な大田神社、上賀茂神社に詣でる。

 それから賀茂川を渡り、住宅街の中の高麗美術館に寄る。履物を脱いで上がるところが奥ゆかしい。1階では『朝鮮の「四君子」』と題した企画展が行われていた。梅・蘭・菊・竹の4つの植物をモチーフにした、さまざまな文物、書画、陶磁器、調度品などを集めたものだ。朝鮮の文物は「愛らしい」ものが多い。高度な技術よりも、モチーフの無防備な愛らしさ、民芸品のような素朴さが印象に残る。気になったのは、まばゆいばかりの螺鈿の箱。

 2階は常設展。家具が多かった。箪笥の上に置かれた木彫の雁は、伝統結婚式で行われる「奠雁礼」という儀礼に使われるものだと言う。これがまた、かわいいので、画像は「Life in Korea」の「動物」リンクからどうぞ。
 http://www.lifeinkorea.com/culture/patterns/patternsj.cfm
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