失われる古文書や資料データーを世界の記憶にの構想と始まったユネスコの世界記憶遺産の指定が始まり
2011年時点で268点が指定されました。
我が国では山本作兵衞の炭坑画・慶長遺欧使節資料等が既に登録されて居ます。
今年の我が国の申請は第二次大戦シベリア抑留記録と国宝東寺百合文書の登録を申請しました。
世界からは90件の指定申請がなされた。
その中で中国から申請された、南京大虐殺記録と大戦強制慰安婦の文書が含まれ残念ながらユネスコは
中国の申請をそのまま信じ登録決定したとの事。
是は大変残念な事です。
日本政府は明らかにユネスコの世界記憶遺産を政治に利用した中国の悪意を非難しています。
アンネの日記やホロコ-ストは歴史的に動かし難い事実ですが、南京大虐殺は虚構に虚構が作り上げた
虚構で1人歩きしたモノでである。
是は中国が一番判って居る事です。
現在旧日本軍が南京市民を30万も大虐殺したと言う話が1人歩きして信じられて居ます。
確かに日支戦争と云っても若い人には判らないでしょうが、廬溝橋の鉄道爆破で始まった日本と中国の
戦争です。
この戦争は8年間続きやがて大東亜戦争に繋がって行きます。
その過程で起きた事件です。
旧日本軍はゲリラと云われる中国国民軍の便衣隊に悩まされて居ました。
便衣隊は民間に潜り込みゲリラ兵で日本兵を次々にさ殺掠して行った。
其処で便衣隊大掃討作戦で大量に掴まえ見せしめに公開死刑を行った。
数としては数百人と云われそれは信憑性が可成り高い。
しかしそれが当時残虐な行為に見え大きく報道された。
是を見た欧米記者が日本軍の大虐殺と報じた。
初めは数千人であったが、是が中国の「針小棒大」の風習で数万人に膨れあがりとうとう30万人の
大虐殺が行われて事になった。
確かに便衣隊の虐殺の事実はあった、当時日本軍は首を刎ねる銃剣で刺し殺し、穴に蹴り込んだ
様です。
ただ人数は30万人とは途方もない事です。
当時の南京の人口は30万足らずであったと云われこれでは計算が合わない。
初めは数千人が何時の間にか万単位で増え、毛沢東の宣言文に、5万人の旧日本兵による虐殺が
あったと述べた。
日本軍と直接闘った事のなかった中国共産党が政権を執ってからはご存じ反日教育を徹底し国意を
統一する戦略に出た。
因みに中国共産党八路軍が蒋介石率いる国民軍を駆逐出来たのには、旧日本軍残兵の力も多いに
あったとも云われています。
中国共産党が政権をとってから、南京虐殺と云う話が一人歩きして犠牲者も増えてとうとう30万人
にもなり其れが事実として認知されてしまった。
この様に作られた虚構である事は、心ある人には判っても事実になってもしまってはどうしょうもない。
しかし中国政府は是を強引にユネスコに信じ込ませて世界記憶遺産登録に成功した様だ。
当然委員のなかには中国と深く関わった國もあるので当然の事かもしれませんね。
今まで甘く見て放って居た日本政府にツケが回って来たのですね。
日本人不器用さが全てなんでしょうね。