大橋巨泉 1989年 ミデアム出版社 上・下巻
競馬評論の本といえば、これですね。
もう古典ということになっちゃうんでしょうか。
サンケイスポーツに連載していたコラムの、1982年から1988年までをまとめた本。
冒頭の序章のタイトルが「競馬評論家引退の弁」という、いきなり驚かされるつくりですが。
そう、1988年秋を最後に、著者が競馬に関する筆を折った経緯の説明から始まっています。
なので、逆に、全巻を通じて流れている著者の絶望感のようなものが、一貫して感じられるような気がします。
その直接の問題とは、特別登録料の改正でした。
当時の登録料の上限は1万円。著者の考える、外国の例にならい1着賞金の1~3%程度のステークスマネーを、払えば(GI競走で1着1億円ならば1頭あたり100万円を、出走するために払えば)、出てくるからには勝算がある馬だけが揃うのに、高額賞金に比べてタダ同然の登録料では、出走する側はリスクがなくて、ファンは責任保証のない馬券を買わされている、ということが問題。
たぶん、これは著者の予想スタイルが「書斎派」と呼ばれているものであり、当日のパドックで毛ヅヤうんぬん言うよりも、過去の成績などから出走馬の能力の格を重視しているのとも関係あるんでしょう。つまり、出走してくる馬はすべて勝つことを期して仕上げてきている、という前提に立つためには、そういうことが必要ってことです。っていうか、それが当たり前でしょ、という主張。
で、何をどう言っても、登録料の改正なんてことにはヤル気をみせない競馬関係者に愛想をつかしたということが序章に書かれています。
それにしても、現在でも新聞とかに、あれがおかしい、こうしたほうがいいなんて競馬のことを語るものがいっぱい書かれていますが、この本を超えたものはないと思います。

競馬評論の本といえば、これですね。
もう古典ということになっちゃうんでしょうか。
サンケイスポーツに連載していたコラムの、1982年から1988年までをまとめた本。
冒頭の序章のタイトルが「競馬評論家引退の弁」という、いきなり驚かされるつくりですが。
そう、1988年秋を最後に、著者が競馬に関する筆を折った経緯の説明から始まっています。
なので、逆に、全巻を通じて流れている著者の絶望感のようなものが、一貫して感じられるような気がします。
その直接の問題とは、特別登録料の改正でした。
当時の登録料の上限は1万円。著者の考える、外国の例にならい1着賞金の1~3%程度のステークスマネーを、払えば(GI競走で1着1億円ならば1頭あたり100万円を、出走するために払えば)、出てくるからには勝算がある馬だけが揃うのに、高額賞金に比べてタダ同然の登録料では、出走する側はリスクがなくて、ファンは責任保証のない馬券を買わされている、ということが問題。
たぶん、これは著者の予想スタイルが「書斎派」と呼ばれているものであり、当日のパドックで毛ヅヤうんぬん言うよりも、過去の成績などから出走馬の能力の格を重視しているのとも関係あるんでしょう。つまり、出走してくる馬はすべて勝つことを期して仕上げてきている、という前提に立つためには、そういうことが必要ってことです。っていうか、それが当たり前でしょ、という主張。
で、何をどう言っても、登録料の改正なんてことにはヤル気をみせない競馬関係者に愛想をつかしたということが序章に書かれています。
それにしても、現在でも新聞とかに、あれがおかしい、こうしたほうがいいなんて競馬のことを語るものがいっぱい書かれていますが、この本を超えたものはないと思います。
