ロバート・B・パーカー/菊池光訳 1991年 ハヤカワ・ミステリ文庫版
シリーズを順に読み返そうと思ってる、スペンサーもの。第10弾まできたよ。
うーん、このへんから、ちょっと変わってくるのかなぁ、って読みながら考えてた。
事件は、上院議員の選挙の候補者の警護を引き受けたら、候補者への思わぬ脅迫と戦うことになったってことなんだが、ストーリーの主眼はそこにない。
恋人のスーザンが、スペンサーを放って、自らのキャリアアップのために遠くに行っちゃう。でも彼女を追いかけたいスペンサーが悶々と悩むのが本作のテーマだあね。
で、そのへんのとこを、「初秋」で救いだしたポール・ジャコミンなんてガキに、
「ぼくたち以前のあんたは絶対に弱みのない、いわば不死身の人間だった。(略)他人にさして期待を抱かず、自分が正しいことで満足していられた。(略)以前のあんたは完全無欠だったが、今はそうじゃない。そのために、自分に対して疑念を抱くようになった。(略)今ひどく苦しんでいるのは、たんにスーザンがいなくて寂しいからじゃないよ」
だなんて喝破されちゃってる。
本人は、スーザンと久しぶりに再会したら、
「おれがいないのを、きみがもっと寂しがっているようだと、おれはもっと気分がよくなる」
とか素直に言っちゃってる。とてもとても、ハードボイルドからは程遠い。
で、スーザンからは、
「あなたは、私を愛しているのは、私のためなのか、自分のためなのか、考えてみるといいかもしれないわね」
なんて言われちゃって、なんつーかカタナシである。
で、考えた結果として、
>自分のスーザンに対する気持ちは、もちろん、スーザンの側に問題があるのではない。私が彼女を愛するのは、彼女のためでなく、自分のためなのだ。彼女を愛するのは容易だし、抵抗できないことだとすら言える。同時に、愛することが必要だが、それは自分にとって必要なのであって、彼女が必要としているわけではない。
なんてとこに行き着く。偉いぢゃない、自分で解決できたのね、スペンサー。って、どうでもいいけど、そんな考え事してるとこ、ギャングの手下の殺し屋に狙われて、危ないよ。
んで、スーザンとまた会ったときには、
「要は、今のおれであるためには、きみに対して今と同じ気持ちを抱き続ける必要があるんだ。きみがおれに対してどんな気持ちを抱いていようと」
とか心情を吐露するんだよねえ。
私も今より20も若かったから勢いで読んでたけど、いま初見だったら、人生ごちゃごちゃ考え過ぎ!人間、行動様式はもっとシンプルぢゃなきゃあ!とか言って、読んでる途中で放りだしちゃうだろうなと思う。
全般にウジウジしてるスペンサーはカッコわるいったらないし。
相棒のホークとか、警察のなかでは話のわかるマーティン・クワークとかが出てくるのはいいんだけど、妙に理解がありすぎて、スペンサーが第二・第三の自分と話してるみたいで、鏡像求めるっていうと違うかもしれないけど、なんかスペンサーの内部が見え過ぎてヤんなっちゃう。
このへんから、なんか前よりつまんないな、って思い始めたのかもしれないって、読み返してて思った。
でもなぁ、私も、女の子が喜ぶのをみるのが嬉しいんぢゃなくて、女の子に花をあげてる自分が、なんか好き、とかって性格っつーかモノの考え方をしてるんで、このへんの影響あるのかなーって気もしないでもない。
シリーズを順に読み返そうと思ってる、スペンサーもの。第10弾まできたよ。
うーん、このへんから、ちょっと変わってくるのかなぁ、って読みながら考えてた。
事件は、上院議員の選挙の候補者の警護を引き受けたら、候補者への思わぬ脅迫と戦うことになったってことなんだが、ストーリーの主眼はそこにない。
恋人のスーザンが、スペンサーを放って、自らのキャリアアップのために遠くに行っちゃう。でも彼女を追いかけたいスペンサーが悶々と悩むのが本作のテーマだあね。
で、そのへんのとこを、「初秋」で救いだしたポール・ジャコミンなんてガキに、
「ぼくたち以前のあんたは絶対に弱みのない、いわば不死身の人間だった。(略)他人にさして期待を抱かず、自分が正しいことで満足していられた。(略)以前のあんたは完全無欠だったが、今はそうじゃない。そのために、自分に対して疑念を抱くようになった。(略)今ひどく苦しんでいるのは、たんにスーザンがいなくて寂しいからじゃないよ」
だなんて喝破されちゃってる。
本人は、スーザンと久しぶりに再会したら、
「おれがいないのを、きみがもっと寂しがっているようだと、おれはもっと気分がよくなる」
とか素直に言っちゃってる。とてもとても、ハードボイルドからは程遠い。
で、スーザンからは、
「あなたは、私を愛しているのは、私のためなのか、自分のためなのか、考えてみるといいかもしれないわね」
なんて言われちゃって、なんつーかカタナシである。
で、考えた結果として、
>自分のスーザンに対する気持ちは、もちろん、スーザンの側に問題があるのではない。私が彼女を愛するのは、彼女のためでなく、自分のためなのだ。彼女を愛するのは容易だし、抵抗できないことだとすら言える。同時に、愛することが必要だが、それは自分にとって必要なのであって、彼女が必要としているわけではない。
なんてとこに行き着く。偉いぢゃない、自分で解決できたのね、スペンサー。って、どうでもいいけど、そんな考え事してるとこ、ギャングの手下の殺し屋に狙われて、危ないよ。
んで、スーザンとまた会ったときには、
「要は、今のおれであるためには、きみに対して今と同じ気持ちを抱き続ける必要があるんだ。きみがおれに対してどんな気持ちを抱いていようと」
とか心情を吐露するんだよねえ。
私も今より20も若かったから勢いで読んでたけど、いま初見だったら、人生ごちゃごちゃ考え過ぎ!人間、行動様式はもっとシンプルぢゃなきゃあ!とか言って、読んでる途中で放りだしちゃうだろうなと思う。
全般にウジウジしてるスペンサーはカッコわるいったらないし。
相棒のホークとか、警察のなかでは話のわかるマーティン・クワークとかが出てくるのはいいんだけど、妙に理解がありすぎて、スペンサーが第二・第三の自分と話してるみたいで、鏡像求めるっていうと違うかもしれないけど、なんかスペンサーの内部が見え過ぎてヤんなっちゃう。
このへんから、なんか前よりつまんないな、って思い始めたのかもしれないって、読み返してて思った。
でもなぁ、私も、女の子が喜ぶのをみるのが嬉しいんぢゃなくて、女の子に花をあげてる自分が、なんか好き、とかって性格っつーかモノの考え方をしてるんで、このへんの影響あるのかなーって気もしないでもない。
