小林恭二 1999年 集英社新書
副題は「幕末・黙阿弥歌舞伎への愉しみ」
こないだの「心中への招待状」と順番は前後しちゃったけど、ここへリストアップするのもあとわずかになった、私のフェイバリットの作家・小林恭二の、新書。
著者の新書ったら、「俳句という遊び」とか「短歌パラダイス」とか、大傑作ばかりだったんで、書店で見かけた瞬間、すぐ手にとったんだけど、本書は俳句・短歌とはちょっと違ったね。
「カブキの日」のすぐあとだったし、カバー折り返しにいわく“著者入魂の新しい歌舞伎論”ってあるんだが、今回ひととおり読み返してみたら、最後あとがきに「自分なりの江戸像をつくってみたかった」と書いてあって、江戸論ですね、テーマは、たぶん。
水先案内人の役としてとりあげられてるのは、幕末に黙阿弥が書いた(黙阿弥って幕末のひと(っていうか明治まで生きた)って、私は知らなかったんだけど)歌舞伎の「三人吉三」で、その物語進行に沿って、いろんなことが書かれてます。
タイトルにある“悪”が刺激的なんだけど、
>黙阿弥が描きたかった悪は、個人の区々たる悪ではないのです。巨大な運命に導かれた抗しがたい悪なのです
なんて言い方で、さらにその背景にある、風雲急を告げてる幕末という時代の、価値観の深刻な紊乱を説くことがテーマです。
例の「因果の闇」についても、わかりやすく示していて、武家のもつような忠義なんかを中心とした倫理が根本から消滅して、私的な盟友関係とかのほうが重要になってくるし、倫理的に混乱が生じてんだけど、だからって神仏に救いを求めるほど、江戸人の精神構造は前近代的ではないっていいます。
>因果の闇という思想にこそ、幕末という時代の大特徴があり、ひいては明治維新という未曽有の革命を、ほとんど無血で行った下地になっているように思える
まで大きいこといわれると、ただ単に幕末にヒットした芝居の解説ではなくなりますね、たしかに。
副題は「幕末・黙阿弥歌舞伎への愉しみ」
こないだの「心中への招待状」と順番は前後しちゃったけど、ここへリストアップするのもあとわずかになった、私のフェイバリットの作家・小林恭二の、新書。
著者の新書ったら、「俳句という遊び」とか「短歌パラダイス」とか、大傑作ばかりだったんで、書店で見かけた瞬間、すぐ手にとったんだけど、本書は俳句・短歌とはちょっと違ったね。
「カブキの日」のすぐあとだったし、カバー折り返しにいわく“著者入魂の新しい歌舞伎論”ってあるんだが、今回ひととおり読み返してみたら、最後あとがきに「自分なりの江戸像をつくってみたかった」と書いてあって、江戸論ですね、テーマは、たぶん。
水先案内人の役としてとりあげられてるのは、幕末に黙阿弥が書いた(黙阿弥って幕末のひと(っていうか明治まで生きた)って、私は知らなかったんだけど)歌舞伎の「三人吉三」で、その物語進行に沿って、いろんなことが書かれてます。
タイトルにある“悪”が刺激的なんだけど、
>黙阿弥が描きたかった悪は、個人の区々たる悪ではないのです。巨大な運命に導かれた抗しがたい悪なのです
なんて言い方で、さらにその背景にある、風雲急を告げてる幕末という時代の、価値観の深刻な紊乱を説くことがテーマです。
例の「因果の闇」についても、わかりやすく示していて、武家のもつような忠義なんかを中心とした倫理が根本から消滅して、私的な盟友関係とかのほうが重要になってくるし、倫理的に混乱が生じてんだけど、だからって神仏に救いを求めるほど、江戸人の精神構造は前近代的ではないっていいます。
>因果の闇という思想にこそ、幕末という時代の大特徴があり、ひいては明治維新という未曽有の革命を、ほとんど無血で行った下地になっているように思える
まで大きいこといわれると、ただ単に幕末にヒットした芝居の解説ではなくなりますね、たしかに。
