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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

2014-04-10 23:39:02 | 読んだ本
増田俊也 平成26年3月 新潮文庫版(上・下巻)
最近読んだ本。
いや、前から存在は知ってたんだけど。すごい分厚い単行本で、ちょっと躊躇してた。
それって、本読みにはあるまじき態度。…でも、プロレスの本って、期待はずれなことありそうな気がして。
そしたら、待望の文庫化。即行、買いである。
でも、私が書店の店頭で気づいて、手にとったときは、3月1日発行なんだけど、すでに20日で3刷を重ねていた。
(みんな文庫なら買うのね。)
話は、昭和29年12月22日、プロレス初の日本選手権試合で、力道山と戦って、負けてしまった木村政彦について。
私は、名前は知ってはいるけど、それほど予備知識なかったんだが、本書読んで驚いたことには、すごく強い人だったんである。
おそらく、過去から現在に至るまで、日本格闘技界では最強。
(ブラジルで、エリオ・グレイシーにも勝ったし、たぶん世界で最強。)
タイトルだけ見て、私は、プロレスのウラ話・昔話だけのことかと、そして、適当な想像・類推が並んでるだけかと、失礼にも思い込んでたんだけど、とんでもない。
よく取材されてるし、その強さのベースにある、柔道の話が、格段に興味深い、勉強になった。
とっくに読んどきゃよかった、なかなかの傑作。

木村自身のことでは、まず若いころのその練習っぷりがすごい。
「三倍努力」なんて、文字にすると簡単だけど、一日に乱取りだけでも九時間やって、それ以外にも深夜で立木を相手に数千本の打ち込み。
ものすごい練習量でできあがった、たとえば大外刈りは、正確で、かつ受けた相手が「痛い」というくらいの勢いだったらしい。
それから、なんつっても「高専柔道」については、私は知らなかったんだけど、興味をもたされた。
高校ってっても旧制高校なんで、いまの大学のほうに近い。一高とか二高とか旧帝大のつながり。
その柔道は、寝技中心で、十五人団体戦の勝ち抜き勝負では、「抜き役」と「分け役」にわかれて攻めと守りを徹底した。
寝技・関節技の新技開発には、理系の学生の知識が動員され、さらに猛稽古でバリエーションが生み出されて、全国大会では各校独自の技能がぶつかりあう激戦が行なわれてたそうな。
(>高専柔道では『(上の体勢にいる者は)脚を一本越えるまでは帯より前に手を出すな』という最初に教えられる格言があり(略)なんて解説もあり、まさに総合的寝技のノウハウがすでにあったと思われる。)
で、それに対して、講道館が立ち技中心のルールを推し進めてったんだけど、戦後いろいろあって講道館柔道が主流になってしまったから、いまの柔道がそうなってしまっているらしい。
だから、一本をとる形のキレイな柔道なんてのは、実は日本柔道全体での伝統なんかぢゃないし、近年の国際化で各国がポイントねらいの柔道をするようになったからといって、身から出たさびみたいなもんなんで、批判することはできない。
もともとの柔術、柔道には、打撃技に近い当て身の技術が含まれてて、打・投・極のコンビネーションによる、要するに総合格闘技だったらしい。
戦前の柔道がそのまま発展してたら、総合でも(ブラジリアン柔術くらいに)もっと強かったかと思うと、失われちゃったものが残念だと私なんかは思う。
ちなみに、講道館創始者の嘉納治五郎は、総合格闘技のような実戦的な訓練の必要性を説いてたらしいんだけどね。
>講道館=全柔連がGHQにその場を取り繕うような形で「柔道は武道ではなくスポーツである」と断言してまで柔道を復活させた経緯を検証・総括できていないことが、実に六十年たったいまでも柔道界を混乱させているのだ。
って著者は指摘してますが。
一方、木村の弟子の岩釣兼生は、師匠にすすめられたこともあり、柔道をある程度極めたあともサンボを練習したりしてる。
>関節技は柔道よりサンボの方がずっと上です。脚の関節がひとつ入るだけで寝技の体系が変わってしまいますから柔道の寝技では脚が隙だらけなんです。(略)柔道も脚関節を許していかないと格闘技として本物にはなれません
なんて発言してるように、志が高い。
コメント (2)
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