西部邁 1991年 PHP研究所
うーむ、これ、もう20年以上経つんだ。いま読んでも何もハズレてないと思うけど。
マスメディアの無責任さとか、深く考えないでその騒ぎに乗ってしまう大衆のダメっぷりに関する評論。
リクルート事件とか、もう私なんかは忘れてたけど「桑田問題」とか、当時の「バカ騒ぎ」の世相を思い出させられた。
>現代民主主義を腐敗させる最大の要因は、マスコミが常軌を外れてコマーシャリズム、センセーショナリズムないしはスキャンダリズムの沼に沈没していく、という点にある。
っていうことに無意識ぢゃいけないよねえ。
マスコミの論調だけをもって、ひとの処分を決めちゃった、ある問題について論じたとこでは、
>つまりマスコミのいったことが証拠となり、それで制裁が下されるのである。(略)論理としては、日本ではマスコミが裁判官になったわけだ。
と言っているけど、現在でもこういう風潮はおとろえてない、っていうか加速されてるような気もする。
政治家が、なにより世論調査とか支持率にばっかり、気を配ってるからねえ。
マスコミの態度ってのは、むかしもいまも、あんまり変わってない。
>自覚症状はないのであろうが、弱者保護のイデオロギーもしくは偽善がすっかり身についたもので、「大」にたいする反発と「小」にたいする同情を隠すことができない
とか、
>こうした混乱の因は、マスコミがすでに第一権力になりおおせているにもかかわらず、まだ反権力の批判勢力であるという誤った自己認識に立っているところにある
とかって意見は、日本のマスコミの特徴だあね。
こういうのに扇動されちゃう国民がつくる社会は、
>大衆民主主義の最悪なところ、それは権力の地位にあるものならば誰彼かまわずに悪罵を投げつけることをもって正義とみなす
って偽善の態度に満ちあふれちゃうんである。
ちなみに、プライバシーが守られない、マスコミの横暴ぶりについては、日本国憲法をあげて、
>奇妙なことに、「表現の自由」を規定した第二十一条は、「公共の福祉」に沿うかぎり、という制限条項が記されていない
と問題提起をしている。
民主主義に話をもどすと、その場その場での多数決で決めれば文句ないだろと思ってるのは、似非民主主義である。
>ここで似非民主主義というのは、伝統の智恵によってみずからを制限づけようとはしないで、いまたまたま生きている自分たちに、つまりゆきあたりばたりに生きている可能性が十分にあるこのいかがわしい自分たちに、主権があるなどと言い張ってやまぬ傲慢な人々のことである。
ということで、ちっとは過去の失敗にも学びなさい。
うーむ、これ、もう20年以上経つんだ。いま読んでも何もハズレてないと思うけど。
マスメディアの無責任さとか、深く考えないでその騒ぎに乗ってしまう大衆のダメっぷりに関する評論。
リクルート事件とか、もう私なんかは忘れてたけど「桑田問題」とか、当時の「バカ騒ぎ」の世相を思い出させられた。
>現代民主主義を腐敗させる最大の要因は、マスコミが常軌を外れてコマーシャリズム、センセーショナリズムないしはスキャンダリズムの沼に沈没していく、という点にある。
っていうことに無意識ぢゃいけないよねえ。
マスコミの論調だけをもって、ひとの処分を決めちゃった、ある問題について論じたとこでは、
>つまりマスコミのいったことが証拠となり、それで制裁が下されるのである。(略)論理としては、日本ではマスコミが裁判官になったわけだ。
と言っているけど、現在でもこういう風潮はおとろえてない、っていうか加速されてるような気もする。
政治家が、なにより世論調査とか支持率にばっかり、気を配ってるからねえ。
マスコミの態度ってのは、むかしもいまも、あんまり変わってない。
>自覚症状はないのであろうが、弱者保護のイデオロギーもしくは偽善がすっかり身についたもので、「大」にたいする反発と「小」にたいする同情を隠すことができない
とか、
>こうした混乱の因は、マスコミがすでに第一権力になりおおせているにもかかわらず、まだ反権力の批判勢力であるという誤った自己認識に立っているところにある
とかって意見は、日本のマスコミの特徴だあね。
こういうのに扇動されちゃう国民がつくる社会は、
>大衆民主主義の最悪なところ、それは権力の地位にあるものならば誰彼かまわずに悪罵を投げつけることをもって正義とみなす
って偽善の態度に満ちあふれちゃうんである。
ちなみに、プライバシーが守られない、マスコミの横暴ぶりについては、日本国憲法をあげて、
>奇妙なことに、「表現の自由」を規定した第二十一条は、「公共の福祉」に沿うかぎり、という制限条項が記されていない
と問題提起をしている。
民主主義に話をもどすと、その場その場での多数決で決めれば文句ないだろと思ってるのは、似非民主主義である。
>ここで似非民主主義というのは、伝統の智恵によってみずからを制限づけようとはしないで、いまたまたま生きている自分たちに、つまりゆきあたりばたりに生きている可能性が十分にあるこのいかがわしい自分たちに、主権があるなどと言い張ってやまぬ傲慢な人々のことである。
ということで、ちっとは過去の失敗にも学びなさい。
