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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

政治過程の計量分析

2013-01-13 18:53:53 | 読んだ本
小林良彰編 1991年 芦書房・RFP叢書7(RFPってのは、政治学のリサーチ・フロンティア)
去年、総選挙があったりとか、ちょっと統計的手法による分析にまた興味(というか必要性?)を感じてたりとかで、勉強し直すかなと思ってるとこ。
ちょいと古くなったかもしれないけど、こんな本を見つけてきた。
数字で客観的に表しにくい関係性を明らかにする手法の教科書としては、なかなか良いのではないかと、ひさしぶりに読み返して、思った。
第1章・国内報道の計量分析では、1990年9月に高水準だった海部内閣(古いね、しかし)の支持率が10月に急激に低下した原因の一つに、当時の最大の懸案であった国連平和協力法案に関するマスメディアの報道の仕方があるのではないかという問題意識から、読売・朝日・日経新聞の内容分析を行い、法案反対や内閣へのマイナス・イメージ報道が、賛成やプラス・イメージ報道より多かったことを明らかにしている。
第2章・国外報道の計量分析では、マスメディアの報道と政党支持に関する計量分析という、おなじみのことなんだが、パーソナルコミュニケーションよりもマスメディアの影響の大きさをはかる目的から、それまであまり注目されたことのなかった、国外の問題に関する報道の量とか内容を分析している。具体的には、アメリカとソ連(古いね、しかし)に関して好意的・非好意的な報道がどのくらいあるか調べて、米ソそれぞれに対する好悪の率、さらには政党支持(自民党or社会党=古いね、しかし)が変動したかを分析している。しかも、有権者の社会的属性によって、その度合いが異なるか、かなり細かく突っ込んだ研究。
第3章・議題設定機能の計量分析では、新聞・テレビの報道の内容を分析するとともに、有権者に今いちばん重要な争点はなんだと思うかと尋ねる面接調査を行い、両者の関係すなわちマスコミ報道によって有権者の政治意識=議題が作られるかを検証している。これは、あまりダイレクトなつながりが明らかにならないんだけど、時間をおいた面接調査をすることで、報道直後だけぢゃなく、時間的経過による効果の違い、情報を受け取ってから問題として意識するまでのタイムラグのようなものにも注目する必要性があるという検証になっている。
第4章・選挙行動の計量分析では、1984年のアメリカ大統領選挙で現職のレーガン(古いね、しかし)が圧勝した背景を調べている。共和党支持者がレーガンに入れるのは当たり前なんだけど、民主党支持者でありながらレーガンに投票した割合がけっこうあったので、それはどういう人たちだったのか、人種別・性別・社会階級別などのカテゴリーに分けて分析している。結論としては、レーガンの二期目の再選は、経済政策(小さい政府論?)に対する信任が、もとからの共和党支持者だけぢゃなく、民主党支持者の一部や無党派層の票まで獲得したってことになるそうな。
第5章・政党における政治資金の計量分析では、アメリカの1988年の連邦議会選挙のデータから、候補者の得票と政党からの資金の関係を分析している。政党にとって、資金を効果的に配分するってことは、当選の可能性の高い候補者、資金をつぎ込めば効果がある(接戦のとこno
?)候補者に対して資金配分を行うってことなんだが、そのへんを共和党・民主党、現職・挑戦者といったカテゴリーに分けて検定している。
第6章・キャリアと選挙の計量分析は、1955年の保守合同から1986年までの自民党政権の研究。当選回数と自民党の役職人事の関係を分析している。時期によっていろいろあるんだけど、当選2,3回で政務次官、4回で政調会部会長、5回で国会の常任委員長、6回で閣僚っていうパターンがお決まりになる。逆に、そういう役職やった後の選挙で、選挙区内の順位(中選挙区だから、古いね、しかし)が上がるかどうかも分析している。まあ、当時の派閥順送り人事が固定化されてった時代のものだけど。
第7章・政治的景気循環の計量分析では、戦後から1988年くらいまでのイギリスを題材にして、選挙のあるなしや政権が保守党か労働党かといった政治的な変数をつかって、国民1人あたり実質可処分所得とか失業率とか政府消費支出といった経済変数の動きが説明できるかモデルをつくって分析している。ここで、いくつかの仮説に基づく、選挙ダミー変数と政党ダミー変数をつくってるんだけど、こういう手法は、本来“数量”ぢゃないものをどう表そうか悩むことの多い私なんかには、非常に参考になる。
第8章・地方自治体への予算配分の計量分析では、日本の地方自治は、政治≒自民党議員を媒介とした地方間の競争で中央からの資源配分を受けようとしているものだという問題意識から、都道府県ごとの行政投資額を、同じく都道府県ごとの自民党議席数と自民党議員の当選回数の合計という変数で説明できないか分析している。
第9章・地方自治体における影響力の計量分析では、地方自治体の官僚にアンケート調査してできた、政策形成における影響力の程度をどう評価しているかという順位(そんなものがあるとは!)を、政治的変数で説明するんだけど、特に市長に注目して、市長の政治性として当選回数・党派性(公認・相乗りとか)・前職を説明変数に立てて、分析をしている。
第10章・地方自治体における職員意識の計量分析では、前章と同じ市町村の官僚に対するアンケート調査により、政策転換に賛成・反対といった態度、あるいは政策調整の必要性などについて、市長や担当課といった「組織過程」、議員や圧力団体といった「内部過程」、国や県といった「外部過程」がそれぞれどのくらい影響力があると考えているか記述している。

いやー、おもしろいねー。って、こーゆーのにおもしろさ見い出す私はマイナー?
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’80のバラッド

2013-01-12 18:12:09 | CD・DVD・ビデオ
泉谷しげる オリジナルは1978年・ワーナーパイオニアらしい。私が持ってるCDはいつのだろう?1991年かな?(廃盤なの?)
ついでなんで、昨日の続きで、傑作の誉れ高い「'80のバラッド」を出してきた。
(音楽ネタを続けて出しちゃうときは、本の整理がついてないときが多い…。)
詞も歌唱もいいですね。
まあ、私の場合は「これはイイんだから」と教わって聴いたようなものですからね、ほんとに分かってるか実はあやしいのかもしれないけど。
泉谷は某ラジオ番組(渋谷陽一のサウンドストリートの「ヤングパーソンズガイド泉谷しげる」の回だ、いまだにテープ持ってる)に出たときに、「このレコードで、ひとつのヤマがきた」「自分自身でも、手応えあった」ということを認めてる。
さらに、「この先むずかしいなとは考えたけどね、さすがに。そのあとからスランプがきますね。これをどうやって抜くかっていうのはね…。人間そこで悩まないと可愛くねえなと思って悩みましたけどね。」なんてことも言ってたけど。
たとえば、タイトルもすごい「海をにぎりしめる少年」、
かかえきれないほどに つかみきれない手と足
断わりのない始まりに 汗なき少年の旅がある
とらえきれない少年は ひろがる自分を波にのせ
伝わるまで叫んでも 答が海をにぎりしめ
なんて歌詞なんだけど、歌をつくるとき「私が」というんぢゃなくて、誰か別に主人公(この場合、少年)を立てるとやりやすいとか答えてる。
この曲に関しては、自分にも小さいころ経験あった、自閉的な感性でつくったと言ってるんだが。
そういう少年は、見る目のスピードがちがう、周囲の景色が早くもしくは遅く動きすぎている、と表現している。
で、そこから私の好きな「アフリカの自閉症」の話になる。
アフリカでも自閉症が多い、これは不思議だろ、と泉谷はいう。自然に囲まれているのに自閉症って、なんか都市でそうなる人間より重大な問題ではないかと。
そのとき、泉谷が「テレビで見た」と言うのだが、これを治すには、一番いい原始的な方法は、リズムを教えることだという。
リズムを刻めないようぢゃダメ、心臓の鼓動、動脈のリズムを体内で自覚すれば、たいがい治る、と。
こりゃ、いい話だと、いまだに私の記憶に残っている。音、音楽は、大事。
1.翼なき野郎ども
2.海をにぎりしめる少年
3.デトロイト・ポーカー
4.裸の街
5.レイコ
6.遠い生活(くらし)
7.エイジ
8.波止場たちへ
9.流れゆく君へ

いっちゃん好きなのは「流れゆく君へ」かな。ほかの曲の多くもそうだけど、どんなアレンジにも耐えうるだろうし。
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90'sバラッド

2013-01-11 18:38:35 | CD・DVD・ビデオ
泉谷しげる 1989年 ビクター
泉谷のアルバム、作られた時期は、こないだLP引っ張り出してきた「吠えるバラッド」の次に当たるかな、たしか。
泉谷の名前になってるけど、当然「LOSER」と一緒のプロデュース作品。
全般的にスピード感あって、ハードな感じ、とてもいい。
LOSERのメンツの腕が確かなこともあるけど、日本のロックのなかでも秀逸だと私は思う。
バックの音もいいんだけど、泉谷のボーカルが野太いのが異彩を放つ要因ぢゃないかというのが私の見方。
(日本のハードロックって、なんか声高いでしょ? 泉谷もけしてキー低くはないんだけど、キンキンさせないで吠えるから。)
どの曲もよくて、聴き始めるとアッという間にラストまで駆け抜けちゃう感じ。
なかでも、私の好きなのは、ラストの3曲かなぁ。
「青のスナイパー」はイントロの入りからゾクゾクするんだけど、エンディングのギターが奏でるメロディーラインがまたいいんだ、これが。ずーっと聴いていたくなる音だ。
もちろん、その裏でドカドカ正確無比に刻まれてるドラムの音も、何にも代えがたい頼りになる感じでいいんだけど。
「新世紀」もギターがかっこいいな、やっぱ。
「永遠の壁」は、スローなバラードなんだけど、謎のような歌詞と泉谷の歌唱があってて、せまりくるものがあるなぁ。
永遠の壁など どこにも無いのに とめどない願いと 諦めぬ孤独の声が叫ぶ なんてとこがね。
(どーでもいーけど、この曲を聴くと私はいつも『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の“街の壁”を想起する。)
アルバムタイトル「90'sバラッド」ってのは、かつての泉谷の傑作に「'80sのバラッド」ってのがあるんで、それに対応してる。10年に一度は創り出される一つの到達点のようなものか。
1.愛なき世界
2.ハレルヤ
3.敗者復活
4.リアル1/2
5.野バラ
6.ハードレイン
7.最後の女
8.ラグタイム~水の泡~
9.青のスナイパー
10.新世紀
11.永遠の壁
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Sydney![シドニー!]

2013-01-10 19:38:56 | 村上春樹
村上春樹 2001年 文藝春秋
オリンピック招致がそろそろヤマ場だから、というわけでもなく、順番に読み返してる村上春樹の著作の次がこれというだけだったんだが。
2000年のシドニーオリンピックに、雑誌(ナンバー?)取材という名目で、全日程観戦に行ったときの村上さんの書いたもの。
雑誌連載したらしいんだけど、雑誌読まない私はリアルタイムでは全然知らず、単行本が書店に積まれたとたんに、何だこれは!?と意表を突かれつつ速攻手にとったんだったと思う。
だって、オリンピック取材とかしそうにない作家ぢゃない? 走るのは好きだろうけど。
で、読んでみれば、やっぱり御本人もオリンピックなんかそんな(というのは世間一般の日本人みたいにというレベルでだろうけど)好きぢゃないってことは隠してないわけで。
なんせ始まる前から、聖火リレーが通るんで街の人がざわざわしてんのに、
>僕はもうおととい聖火を見ているので、どうでもいい。二回見てもしょうがない。ただの炎だ。
とシレッと言ってのけてたりします。
出版社の手配で、当時の日本円でチケットが十万円もする、開会式のスタジアムにも入れたんだけど、
>この世の中に退屈なものはけっこうたくさんあるけれど、オリンピックの開会式は間違いなくそのトップテン・リストに入るだろう
とか
>十万円! 僕ならそのお金で新しいiMacを買うだろう
とか容赦ない。国名のABC順に入場してくるうちの、デンマークのとこで飽きて、会場を出ちゃったくらい。
でも、競技をみて、それに対する考察をつづる、その観察眼と表現力は確かなもの。
著者自身が造詣が深い、トライアスロンとかマラソンの観戦記については言うまでもない。
たまたま見ただけ(?)のハンドボールの決勝、スウェーデン対ロシア戦の、ゴールキーパーの動きと性格(?)の観察を中心にした観戦記は、非常に興味深い。
ろくに興味もないはずのハンドボールなのに、片方はとにかくこまめに(「舞踏病のミズスマシ」みたいに!)よく動く、もう片方は動きが目立たず(「年季の入ったビル荒らし」みたいに!)動くときもこそこそっとしてる、でも後者に一日の長があるようだ、とか見抜いてる箇所は、ほんと面白い。
でも、いちばん盛り上がってるのは、この本のピークみたいなのは、キャシー・フリーマン(アボリジニで聖火の最終ランナーもつとめた)が勝った女子400メートルの決勝のところだと思う。
そんな昔のことでもないけど、私はテレビで見たかどうかすら定かぢゃないくらい、記憶がない。ゴールしたあと、彼女は倒れこんで、シューズを脱いだんだっけ? そのシーンはまったくおぼえてない。
いずれにしても、そこの章は名文です。読んで感動すらおぼえる。
本の成り立ちかたとしては、“インタビュー集”(『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)によれば、
>ほとんどまんまで書いてた
>毎日その日のうちに完成稿を三十枚ずつ書いていこうって決めた
って勢いで書いてたものらしいから、想像力をはたらかせて狙って書いたって感じぢゃないのかもしれないけど。
そのへんの実況しながら執筆してる具合は、本書にも随所にあって、野球場(屋外の普通の野球場、おそらく昔の神宮球場に雰囲気似てるんだろうな)が気に入って、そこで野球を見ながら原稿を書いてる様がリアルに記されてはいる。
ただ、同じインタビューで、作業としては大変だったことは認めながらも、
>そのときに思ったのは、テクニック的に言って、書きたいと思うことはもうだいたい全部書けるようになったな
>『シドニー!』で、とにかく書きたいことはだいたい書けるという手応えを得ることができた
なんて凄いことも言ってたりする。書きたいことは書けるって、スゴイよ。
書きたいことかどうか知らんけど、ただ目の前で起きた事象を記述するんぢゃなくて、独特のユーモアにあふれてるから、この本は読んでておもしろい。
オリンピックの競技のことでいえば、陸上の走り高跳びと砲丸投げを並行してやってるのを見て、
>あまりにも対照的である。(略)海彦山彦みたいにそれぞれの競技を交換させたら、かなりえらいことになるだろうな
なんて感想をもらすとことか、旅行先でのスケッチとして、レストランに入って生牡蠣を食べたときの、
>新鮮で、フレンドリーな潮の香りがする。耳を寄せると、タスマニアの波の音が聞こえる(嘘だ)
なんて表現をするとことかは、おかしくて吹き出した。

ちなみに、オリンピック招致に関していえば、シドニーでの村上さんの体験として、
>この大会の観客輸送にはかなり問題がある。普通はいいんだけど、人が移動するピークになったら手も足も出ない。(略)もし列車の運行にトラブルでも起きたら(略)陸の孤島みたいなところに何十万という数の人が取り残されてしまうことになる
なんて書いてあるとこ読むと、東京の主張する“コンパクトな会場”とか、治安の良さと同様、日本人としては当たり前な交通事情=主として鉄道の正確さみたいなこととかの、セールスポイントたることがわかるような気がする。
でも、村上さん自身の提案としては、
>競技種目を今の半分に減らし、会場をアテネ一カ所に固定してしまう
という方向なんだけどね。
プロがあるスポーツは外しちゃえば、大会運営の費用とか巨大なスポンサー料とか「醜い誘致合戦」とか無くて済むでしょ、って主張。
>アスリートはみんなアテネを目指すことになる。高校野球だって毎年甲子園でやっているけど、何か問題がありますか?
うん、それはそれで一理(大きな一理)あるでしょう。
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グリーンヒル

2013-01-09 20:01:08 | マンガ
古谷実 2012年・講談社漫画文庫版 全2巻
ついこないだ買って、年明けてから読んだマンガなんだけど。
江口寿史が「ちくしょう。どいつもこいつも面白いなぁ。才能あるよ、皆。特に、古谷実は今まであんまりちゃんと読んでなかったのだが、すごく面白くてビックリした。『グリーンヒル』、傑作である。他の作品も今度読んでみることにしよう。」(『江口寿史の正直日記』204ページ)なんて称えてるから、前から気になってた。
そしたら、いつのまにか文庫になってたんで、ようやく読んでみたわけだ。
まだ一度しか読んでなくて、さっきサラーっと眺め返しただけだけど。まあ、何度も読み返してノメりこむようなマンガぢゃあないけどね、私にとっては。
連載は1999年から2000年にかけてのヤングマガジンだそうで。
タイトルのグリーンヒルってのは、バイクチームの名前。
なんか毎日をウダウダとしてた学生が、かわいい女の子を見かけて、その子がバイク乗りだったがために、自分もバイクに乗ろう、免許を取ろう=そっからかよ?、と思い立つとこから始まる。
そのあと、誰が主人公だかよくわかんないような展開になってくんだけど。
基本的には、ようわからん感じのギャグマンガなんだが。
ところどころに、
「誰かが言っていた…人間は 生きながらにして 腐るという…」とか、
「今の僕は 僕じゃない 言わば 仮の姿」とか、
「オレが思うに人類最大にして最強の敵は “めんどくさい”だ」とか、
このままぢゃ今のままぢゃいけないんだけど流されてっちゃいそう・そのほうがラクだからそれでもいっか、みたいなものとの葛藤が浮かび上がってくるんで、油断できない感じがするんだよねえー。
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