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好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

立ち腐れる日本

2013-12-20 20:24:22 | 読んだ本
西部邁・栗本慎一郎 1991年 光文社カッパ・サイエンス
共著ぢゃなくて、対談形式。まるで、朝まで生テレビみたいな取り合わせなんだけど、私はあの番組は観てなかった。昔も今も深夜には弱いからね。
ただ、西部邁さんの言うことって、すごく明快な感じがして、そのころは著書をポツポツ読んでたりしたんだけどね。
これ出版されたのは、湾岸戦争のころだ。
サブタイトルは、「その病毒は、どこから来たのか」
どこからって、元をたどると、太平洋戦争の総括をちゃんとしてないからだ、って意見のようだ。
戦え戦えって、みんなで言っといて、負けた途端、戦勝国の復讐裁判に同調しちゃって、やがてアメリカ大好き、民主主義とか自由とか平和とかバンザイ、になっちゃった国民性っていうか、この民衆心理っていうか、精神構造、ダメダメ。
その後、安保闘争とかいろいろあったけど、この90年代初頭において、日本人たちは立ち腐れてるって指摘してんだけど、いまの時代を見ても何も変わっちゃいないなとしか思えない。
とにかく西部さんの言うことが、ビシビシとしてて痛快。
まともに考えたこともないものに対して、とりあえず反対とか叫んで群れるのを「バカ騒ぎ」と断じてるんだけど、現代の政治に関する民衆の接し方って、たいがいはこの「バカ騒ぎ」なんだと思う。
同じように、政策とか法案の中身をまったく論じないで、反対とだけ言うのは、手続き論にすぎないという。つまり「俺は聞いてない、俺にひとこともなかった」というだけの空騒ぎ。
しかし、西部さんは、民主主義というか、現在の政治システムに関して、辛辣である。
>一票差で何かが決まるというのはせいぜい村会議員の選挙までであって、それ以上の大規模選挙になると、もうほとんどゼロなんですよね。したがっていま、一票の重みについての訴訟なんてものを起こしている人たちというのは、「ゼロとゼロの三倍とではどちらが大きいか」という単純な掛け算がわからない人たちだと思う。(略)
>義務ということですね。一票の重みはほとんどゼロに近いけれども、それを大量に集めることによってなんとか国の代表者を選ぶんだと。
とか、
>代議制ということで言えば、選挙民はその人物の人格や識見についてのおおまかなイメージによって投票すればいいんです。実際、そういうことからしか判断できませんよ。ところがいまの世論主義というのは、自分がよくわかってもいない消費税なりなんなりの政策についてまで、賛成か反対かということでやっていく。そして結局は雰囲気に支配されるわけです。よほど特別なことでもない限り、自分の知らないことについては代議士や官僚に任せるべきなんです。
とか、現実としては正しいんだろう、厳しい意見だ、一応政治学を学んだ身としては建前上とても同意できないんだけど(笑)
そういうこと言うのは、大衆の愚かさというか下司な性格を知っているからで、その点に関する失望は深い。
大衆は、嫉妬の感情によって、有能な者を引きずりおろそうとするものだと。
>日本人は、自分がつまらない人間であるということを、じつは知っているんですね。それならば、自分のつまらなさを少しでも引き上げるべく努力すればいいのに、逆に高みにいる者を引きずり下ろすことによって、自分は低くはないのだと確かめたいわけです。(略)
>有能な人間を引きずり下ろして「みんな俺と同じなんだ」ということで満足しているのならまだいいんですよ。もっとけしからんと思うのは、自分たちで数少ない能ある人間を引きずり下ろしておいて、「どうして有能な人材がいないんだろう」と嘆いてみせることです。これは、いかにもひどい所業ですよ。
って、20年経ったけど、なにも変わってないよね、日本。
あいまいなイメージで、内閣を支持するとかしないとか、軽率な判断をしては、前に自分たちで選んだ人間を後でくさして喜んでる。
私の個人的なカンでは、田中角栄が権力の頂点で転んぢゃったときに、日本人は、自分たちで持ち上げたものを落っことすことの面白さに、気づいちゃったんぢゃないかと思ってんだけど。
栗本氏も、大衆(特に女性?)は「よくわからずに進行しているものに対して嫌がらせをしよう」って心理があるって指摘している。
それと、文明の衰退期には「退行・幼児化」現象が出てくるんで、日本社会もそれだと。
>どのような文明でも、それが行き詰まったときには、最後は必ず言語的にいちばん単純なところにいく、言葉としていちばんわかりやすいところを取るという幼児的な要求が出てくるんです。
って言ってんだけど、たしかに、イイネくらいしか普段の語彙がないやつが、政治のこと、わかりにくい、わかりやすく説明してほしい、とか言ってんの見ると、危ういもの感じるなあ。
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ハイスクール1968

2013-12-18 23:44:04 | 四方田犬彦
四方田犬彦 2004年 新潮社
著者の「批評的自叙伝」(帯による)。「どこまでも個人の物語ではあるが、その個人は歴史に属している」(あとがきによる)という思いで書かれたドキュメント。
1968年に東京教育大学農学部附属駒場高校に入学したところから始まるんだけど。
メインは、ほかの著書でも触れられたことがある、1969年12月に「もうこんな高校はやめてしまおうと決意して」、実際にしばらく学校へ行かず、銀座のケーキ工場で卵を割り続ける仕事を始めちゃったとこだと思う。
どうしてそうなったかというと、その前に一日だけ教室をバリケード封鎖したことが関わっている。
同じ年の1月に東大安田講堂で闘争があって、その後いろんなとこでもバリケード封鎖が行なわれて、やがて高校にも飛び火してきたってことは、薄々とだけなら知ってたけどね。
卒業式が荒れるとか、意味がわかんなかったんだけど、当時の当事者たちの事情は、ちょっとだけわかったような気がした。
まあ、紛争はともかく、名門校らしい、個性的な教師や同級生の話や、現代詩や映画やビートルズと出会っていく高校生の感性みたいなものは、楽しく読めた、読み返したのはすごいひさしぶりだけど。
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アル中病棟

2013-12-17 19:19:01 | マンガ
吾妻ひでお 2013年10月 イースト・プレス
最近でた本で、つい最近、先週読んだばっかの本。
巻末見たら、10月10日発行なのに、10月25日で速いことにもう5刷。さすが、あじま。
「失踪日記2」ってサブタイトルで、「失踪日記」はすごい好きなんで、買ってしまった。
(どうでもいいけど、帯にとり・みきの推奨する言葉があったんで、迷わなかった。)
そしたら、ほんとに失踪日記の第3章、1998年12月にアル中で入院したときのことを、丸々一冊にして描いてあった。
(失踪日記の最後は「まだまだ いろんな出来事や 変な人々に会ったけど また今度お話します」で終わっている。)
巻末にある対談(吾妻ひでお×とり・みき)読んだら、なんと描き下ろしだって、本書、300ページ以上。
(でも、冷静に考えたら、連載させてくれるところ無いか、悲惨な入院の話。)
で、執筆にとっかかったのが、失踪日記出したあとなんで、8年かかったらしい、すごい。
なかみは、すごいことばかりなんだけど、自分を突き放したような勢いで、さらっと描いてあるから、それほど暗い感じはしない。
看護婦をはじめとして、女性キャラは例によってカワイイし。「鬱」をゆるキャラにしたようなモノもかわいらしいし。
でも、一旦ページめくる手を止めて、立ち止まって考えだしちゃうと、さすがにこれ現実だと、なんて思うと、つらいものがあるけど。
(それは私がアル中予備軍だと自分で思ってるから?)
それはそうと、ときどき、ドキッとして魅入らせられるアングルの画がある。(大きなコマに多い。)
専門的なことはわかんないけど、こういう視点で絵を、って発想と実現しちゃう技量、吾妻さん絵がうまいなあと心底思いました、今回。
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師走の乗馬

2013-12-16 19:40:26 | 馬が好き
今年の練習も今日と来週の2回だけになっちゃった、一年は早いねえと思いつつ、乗馬にいく。
本日割り当てられた馬は、マイネルレコルト ? 初めてだ!
なにが楽しいって、初めての馬に乗ってみることは、私にとって乗馬の愉しみのひとつである。

馬房に見に行くと、なんか愛想よく顔出してくる、かわいいじゃん。
外に出して、ブラシかけたりとかして、馬装。
鞍つけてハミつけて、例によって写真でも撮ってやろうかと思ってると、なんだかわかんないけど、たぶん風が吹いて、なにかが揺れるか落ちるかした音がしたせいだと思うけど、前に飛び出しそうになった。
つかまえて、もういちどクルッと回そうとすると、やだやだってする。あれれ?どしたの?俺なにもしてないよ(たぶん…)。

なに?ちょっとおっかながり屋さんなとこがある? 先に言ってよ、そういうことはー。
しょーがないんで、ひとに手伝ってもらって、どうにかこうにか位置について、そーっとまたがる。
大丈夫かなあ、俺、きょう無事に帰ってこられるかなあ。

風で枝が鳴るなかを歩いて、地下馬道を通って、道を行き来する多くのクルマの音を聞きながら、馬場へ向かう。
でも、意外とおとなしいよ。いっしょけんめ歩いてて、ビクビクする感じはない。
馬場に入って、腹帯とアブミをなおすときも、用心する。体勢不安定なときに走られると、それは怖い。(大昔に経験がある。)
まわりでは早くからやってる馬が走ったり飛んだりしてるけど、べつに変な反応はしない、だいじょぶでしょ、これなら。

部班に入ることにして、始まるまでのわずかな間にハミうけを試して、あれこれやる。
でかい馬に乗り慣れてきた昨今の私、ずいぶんと小さいというか細く感じるんだけど、脚への反応というか、それ以前にそもそも前に出る気は満々にありそうなんで、動かすぶんには苦労はなさそう。
4頭の先頭に立たされて、速歩スタート。ああ?反撞きびしいなー、すわってられないかも、これ。
それにしても歩くの速いな、飛ばし過ぎかなと思っておさえるけど、ベースは元気よくていいというので、馬の行く気にあわせてサクサク進む。
軽速歩でクルクルとしたら、こんどは三湾曲の蛇乗りだ。先頭なので、弧が蹄跡と接するべきとこを早めに見て、スピードがあんまり落ちないように、せっせと前に出す、内方姿勢の入れ替えは丁寧に。
内向けるときは、思い切ってギュッと要求すると、意外と素直にいうこときいてくれる。
そしたら、蹄跡を進んで、詰めたり伸ばしたり。伸ばしたときに、やっぱりすわってられないけど、遅れてはいけない、前に前に乗っていかなくては。

正反撞では、とにかく脚の位置、脚の位置って唱えながら、乗ってる。脚の位置を身体の真下に、脚を使うのは腹帯のうしろなんだから、そこから前後させない。
坐ろうと思えば思うほど、両足というか股関節が閉じてって、鞍から尻が浮いてしまう、逆だ逆。
鞍の上に坐ろうとして、揺れるうえでバランスをとろうとすると、脚が前後に揺れる。綱渡りのときに手を広げて、揺れたとき腕が動いちゃうように、座ることに固執すると足が揺れて平衡を守ろうとする。
そうぢゃなくて、脚は使う場所で密着だってば、脚の位置、脚の位置。
詰めたときには、わりとすぐいうことをきくので、引っ張りっぱなしにならないように気をつける。
元々が前進する気満々なんで、ゆるめるとまたドンドン進んぢゃいそうな気がするんだけど、このくらいのペースねってとこでかえすと、保ってくれることが多い。なるべくアタマを下げてくれないかなとか、あれこれする余裕あり。
んぢゃ、駈歩の前に、輪乗りで詰めたり伸ばしたり。軽速歩で伸ばすんだけど、そのときの脚への反応が一番大事。
きいてる、きいてる、いっしょけんめ前に出てくれるし、マイネルレコルト。そこでかるくウケてると、いい感じで丸くなってくるのに近づくし、乗りやすい。

んぢゃ、駈歩。出たら、それ以上グリグリやらない。伸ばしたとき、ちゃんと出たら、それ以上グリグリやらない。
左右の手前を何度も変えて、速歩と駈歩の移行を繰り返し。
発進は何の問題もないんで、テーマは駈歩から速歩に落とした直後。勢いのある速歩に乗ってかなきゃ。脚の位置、脚の位置、って唱える。
駈歩は、あえて比べると、右手前のほうが乗りやすいかな。左はちょっとパタンパタンとした衝撃が伝わってくる。こういうのがどこに起因するのかわからないけど。
先週からツーポイントがテーマなんで、駈歩の輪乗りのなかで、自分は何も言われないのをいいことに、勝手にツーポイントする。
歩度伸ばしたらツーポイント、ちょっと勢いおちたらシートして脚、でもツーポイントでも脚使えないか何度か試す。爪先外向けない、脚を不必要に引かない、前に突っ張んない。
練習終了ー、あー、かるーい馬でよかったねー、全体としてはなかなか楽しかった。
力使わなくて乗れたし、最後のほうは、こっちもいちいちホメる余裕があった。駈歩でたっちゅうたらその場でホメ、歩度が伸びたったらすぐホメる。そうすると馬もきもちよさそう。
練習のあいだも、馬場の壁の外では、なんか作業しているドカンドカンとした音が聞こえてたけど、ぜんぜん驚いたりしなかったし、すごい集中力あったと思う。
出発前の驚きようは何だったんだろう? とにかく、乗ってるぶんには、大丈夫だな。(帰り道は気をつけるけど。)

手入れしてるあいだは、べつに驚くようなことなくて、おとなしかった。
どんな馬であっても、何かするときは、話しかけながらするようにしてるけどね。
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人類最古の哲学

2013-12-13 19:47:28 | 中沢新一
中沢新一 2002年 講談社選書メチエ
「カイエ・ソバージュ I」ってことで、シリーズはこのあと第5巻まで続くらしいんだが、私はこれしか持ってない。
どうしてだろう? 最初に読んだとき、おもしろくなかったのかな。
いま読み返したら、すっごくおもしろかったのに。続編あるなら、探して読むかって思ってる。
タイトルの人類最古の哲学ってのは、神話のことを言っている。
>国家や一神教が発生する以前の人類は(旧石器時代の後期から)、この神話という様式を用いて、宇宙の中における自分たちの位置や、自然の秩序や人生の意味などについて、深い哲学的思考をおこなってきたのである。
ということで、神話ってのは、とかく飛躍が多かったり、突拍子もない展開を見せたりして、科学的というには程遠い、荒唐無稽なお話っていうふうに見られてるかもしれないけど、どーしてどうして、そんなにいい加減なもんぢゃありませんよって話である。
具体的に本書でとりあげられているのは、主に「シンデレラ」の物語である。
ユーラシア大陸に古くから広く伝えられているこの物語の分析が、とてもおもしろい。
んー、なんでだろ、大学での講義録って形式が、読みやすいからかな。
どうでもいいけど、神話とか民話では、最も高い地位にあるものと最も低い地位にあるものが、結びつけられたり、転換するようなジャンプを起こしたりってのは、現代思想の本とか読めばよくある話なんだけど、
>現実の世界では解決できない矛盾を、はなやかなしつらえを通して幻想的に解決してみせるようとする、さまざまな機構が発達しています。かつては民話が、その役目を果たしていました。
>現代では同じ機能を、極端に発達した「芸能界」が担おうとしています。
ってのは、なんか急にわかりやすくなったとこだと言える。
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