many books 参考文献

好きな本とかについて、ちょこちょこっと書く場所です。蔵書整理の見通しないまま、特にきっかけもなく08年12月ブログ開始。

愛馬に会いにゆく

2015-08-10 18:45:39 | 馬が好き
乗馬をサボる。
週に一度のお楽しみをサボって、なにをしていたかというと、北海道でかつての愛馬に面会に行ったんである。
もー、こーゆーときだけ、ありとあらゆる関係者のご協力を仰いで、どうにかしちゃうんだから、私って奴は。

ファンドリロバリー。私の愛した馬。
彼がいなかったら、乗馬続けてなかったかもしれないし、まちがいなく「馬が好き」なんてカテゴリーこさえて駄文を書くようなことはなかった。
ことし22歳? でも、元気そうだ。
ヒマそうだったら、リンゴでもやろうかと持ってったんだけど、この日もさっそくレッスンがあるんで出動だという。

えらいねえ、また乗馬好きな人を増やしてよ。
それにしても、こうして見ると、以前とあまり変わらないなあ。

それはいいとして、もう1頭いたよ、懐かしの顔。(アロキャンのことではない。)

ゴルゴ。
なんか、自由に歩き回って、好きな草好きなだけ食ってるみたいだし。
おかげで、だいぶ太ったんぢゃないか、いいことだ。
いままでさんざ働いたんだから、リタイアしたら悠々と毎日を楽しく暮らしてもらいたい。


え?トニー? あいつはいいや、べつに。
いたけどさ。あいかわらずなんにもしてないみたいだったし。
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海の向こうで戦争が始まる

2015-08-06 20:53:25 | 読んだ本
村上龍 昭和55年 講談社文庫版
持ってるのは昭和61年の9刷。
村上龍の第二作、出版は芥川賞受賞翌年の昭和52年。
海の向こうったって、どこのことだかは分からない。
海で出会った女が、「僕」の目を覗き込んで「あなたの目に町が映っているわ」というところから始まるからだ。
で、その町では、衛兵とその家族がサーカスを観に行ったり、洋服屋の母は病院で死にかけていたりするんだが、祭りに人々が熱狂して大騒ぎになってる。
んで、グジャグジャとしてくるうちに、
>(略)切り裂く必要がある。祭なんか要らない。戦争が始まればいい。一度全てを切開して破壊して殺してしまうのだ(略)
って具合にある人物の独白が出てくる。
なんかそういう衝動がいっぱい詰まってるってのは感じるんだけど、正直なんかよくわかんない小説。
ひさしぶりに読み返してみたけど、やっぱよくわかんなかった。あまり好きになれないなあ。
海のこっちとあっちと視点がジャンプするみたいなのが魅力らしいんだけど、私には読みにくいだけで。
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戦争論

2015-08-05 19:49:15 | 読んだ本
西部邁 1991年 日本文芸社
サブタイトルは「絶対平和主義批判」、1991年ころ起きた湾岸戦争に対して、日本人の反応があまりにひどかったってことに関する評論集。
おおかたの日本人が現実の戦争に直面しちゃったときの態度は、ひとことで言っちゃうと、思考停止に尽きる。
で、とにかく戦争はダメだ、平和がいい、って言うだけで、なにもできない。
そこんとこ突っついたもの。
>ポストモダニストたちが湾岸戦争を目前にして、自分らが心底では信じてもいない平和主義を、あるいは昨日まで実践もしていなかった平和主義をなぜ持ち上げたのか。それは、ルールから逃避したかったからである。そうすることによって「責任なき自由」を満喫しつづけたかったからである。(p46)
とかね。
>日本人が和平をのみ語ったのは、それを希望したというよりも、戦争について考えたり語ったりする能力がないからにすぎない。というのも、そういう能力をもつことを希望しない、それが半世紀にわたる日本人の習性となっているためである。(p180-181)
とか。
平和主義者のよく言う人命第一みたいな主張にも、生きることは目的ぢゃなくて、「よく生きること」のほうに価値があるでしょと指摘する。
>(略)世界最長の平均寿命を誇る日本において、しかも「生き甲斐の喪失」とやらが随所で頻繁に取沙汰されている日本において、生命尊重の平和主義を第一義の目的価値とするのでは、畸形の精神といわれても致し方ないのである。(p106)
とか厳しい。
>湾岸戦争は、国家エゴイズムのぶつかり合いではあったが、自由とは何であるか、公正とは何であるか、規則とは何であるかということをみせつけもした。戦争という激甚な状況は価値の本来の住処を明るみに出すのである。そういうことなのだということを日本人が正面から受け止めることができたならば、日本が国家として自立するのみならず、自前の国際関係をつくっていくという方向に進みえたであろう。(p99-100)
というように、カネなら出すけど武力の貢献はできないとか言ってる日本は、世界のなかではガキで、そのうち相手にされなくなるよ、ってのも大事なこと、真実のひとつだろう。
>日本では、個別的自衛戦争は認めるが、集団的自衛戦争は認めない、という国会答弁などがあり、その結果、個別的自衛つまり専守防衛だけが自衛隊の任務だということになってしまっている。
>専守防衛は極端な国家エゴイズムである。(略)自分の国のことだけが心配であるということを過剰にいいつのると(略)その国家エゴイズムが国際社会から反発や軽蔑を受け、結局のところ自国の立場が危なくなる。(p55)
とか、
>しかし国際平和協力法案をめぐって実際に生じたことは、平和憲法に徹する気もないのに平和憲法を口実にして「何もしない」という方途を選ぶという禁治産者流のやり方なのであった。(p116)
とかってのは、2015年の今読んでも思い当たるとこあって、興味深い。
どうして、まともな思考の積み重ねや議論ができないのかってことについては、
>「感情による支配」に大きく途を譲っている日本人にあっては「ルールによる支配」という観念があまりに弱い。ここ数年の日本における衆愚状況めいた騒ぎのほとんどは(略)ルール意識の欠如という日本人の精神的欠陥に由来している。(p156)
とか、
>「力は悪である」と建前としていってみせる、擬態として力に反発してみせる、そうした建前・擬態を正義として世間に流通させてみせる、それが日本人のやり方のようだ。(略)このポーズを習得しようとしないものを排除するためのシステムが(略)精緻に発達している。弱者の立場に身をおいてみせるポーズ、それが日本人の習性であり、第二の天性なのである。(p225)
とかって、日本人の脚質にあると見抜いている。
あと、
>戦後日本人は、戦争における死者たちを等閑視することによって、歴史そのものを足蹴にしようとしたのであった。(略)日本人はあの戦争にたいしてコモンセンスをもつ人間の腑にきちんと落ちるような敗戦処理をしなかったというほかないのである。(p20-21)
というように、第二次大戦で負けたとたんに、アメリカ万歳、旧帝国の指導者たちは悪だったんだっていうように、自分たちがどんな戦争をしたのか過去をみつめようとしない、歴史に対する態度も問題にしている。
第二次大戦の総括ができてないから、こんどよその地域に紛争が生じても、戦争はいけませんとしか言えず、何も解決できなくなっちゃったんだろうね。
コンテンツは以下のとおり。
「I」
戦争・国家・人間
「II」
平和主義への墓碑銘
憐むべし平和的大衆
デッド・ライン一月十五日
漂流しはじめた世界政治
湾岸戦争を楽しむ日本人
文明としての「ルールによる支配」
「仕分け」なき和平論議
犬は吠える されどキャラバンは往く
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REAL TIME

2015-08-04 19:26:30 | CD・DVD・ビデオ
泉谷しげる 2015年デジタルリマスター盤 ユニバーサルミュージック
泉谷のライブアルバム、オリジナルは1984年だってさ、今回私が買ったのは4月に入ってからだったかな。
これについては、泉谷をよく聴いたころにレンタルCDかなんかでテープに録音したやつを持ってて、長年それ聴いてたんだけど。
後年になって、CD買おうとすると、無いみたいで。
こんなことなら、10年くらい前に目黒区某所の中古レコード屋で見かけたときに、迷わず買うんだったと後悔することしきり。
(こういう体験の積み重ねが、セコハンショップで何かを見つけたら衝動のままに買う、という私の行動様式をつくりあげることになる。)
で、今年ふとした拍子でネット上で検索したら、リマスター盤が出たばっかだという。
街で見つけたら買うかぁ、とか悠長なこといってると、すぐ絶版になったりしかねないから、その場でショップにクリックして飛んで、買ったさ。
さて、なかみはというと、1983年11月の渋谷公会堂でのライブ、そんな細かいことは知らないでずっと聴いてた私。
そのころリアルタイムぢゃ聴いてなかったからねえ、泉谷については、そのあとから遡って聴いてくことになったはず。
なので、私は、これ、LOSERのクレジットぢゃなかったっけって、ちょっと誤解してた部分もある。
まあ、吉田建とチャボも入ってるから、そのへんで混同してたのかもしれないが。
ベース吉田建、ドラム鈴木さえ子、ギター柴山好正・柴山和彦、サックス矢口博康、キーボード福原まり、そしてゲストとして仲井戸麗市チャボ、ってことらしい。
聴けばライブでの泉谷の“馬鹿野郎スタイル”ってのが、すでに確立されてるのがわかるけど、その後に比べると、まだちょっと照れがあるような気もする。
名盤「‘80のバラッド」からの数々のナンバーもいいが、カッコいいのは「超人」かなあ、よくわからないままに気になる詩だ。
あとは、“超大国乃危機とは 誰もアドバイスできない事だ”のフレーズが、とても印象的な「超大国乃危機」も好きだ。
1.メディア
2.クラブ
3.俺の女
4.レイコ
5.波止場たちへ
6.超人
7.火の鳥
8.褐色のセールスマン
9.春夏秋冬
10.39°8′
11.しゃ・か・り・き
12.眠れない夜
13.FRONT
14.裸の街
15.超大国乃危機
16.デトロイトポーカー
17.翼なき野郎ども
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試合でへぐったけど、練習で初めて乗ったら、とてもいい馬だと気づく

2015-08-03 18:45:09 | 馬が好き
最近読み返した小説(村上龍の「蝶乱舞的夜総会」)の一節に、
>遊撃手がセカンドベース寄りの強いゴロを横っ跳びに捕球するとするね、いいかね、打者がボールを撃った瞬間にこの遊撃手はイメージする、自分がボールを見事に捕えた映像を頭が全身に放射する、もちろんそれは考えてそうするのではない、意識はしないのだが、人間は、そのイメージに従って肉体を操るのだよ、そして、そのイメージと実際の動きとのずれが少ない人間ほど優秀で、ずれがほとんどない人間は天才だ(略)
というのがあったんだけど。
まあ、そういうもんである。
野球は私が最も人並にできるスポーツなんで、この例えはわかりやすい。
自分とボールが出会う座標が見えて、そこまでの自分の動き(方向と速度)がイメージでき、捕ったボールをこんどは他の野手に投げるとき、自分のスローしたボールが相手のグローブにおさまる軌跡のイメージ、それを実現するように腕を振ることができる、レベルはどうあれ、そんな感じ。
正直にいうと、私にはセンスがないので、それは若いとき、まだ脳神経がアジャストできるときに、反復訓練によってどうにか身に着けたものである。
(ちなみに野球センスがあるかどうかは、センターに守らせて正面の打球を捕らせればわかる。ライナーが飛んできたとき、前に出るべきか後ろに下がるべきか、センスのない私には瞬時に分からない。)
体力も衰えたし、ブランクが長くなってしまった今は、思ったように動けないことは、やってみるまでもなく明らかである。
ぢゃあ、とりもどすために練習をすればいいかっていうと、なかなか簡単ではない。
トシいってからの練習について考えると、私が若いとき、けっこう年上の人が(と言っても今の私より若かったか?)熱心にテニスとか練習するときいて、なんでそんなにやるのかって訊いたら、「技術の向上が目的ぢゃなくて、若いとき追いつけたボールに今は追いつけない、そのことを確認するためにやる必要がある、それを知らずに追いかけるとケガをするから」って感じの答えが返ってきた、意味がホントにわかるのは自分がトシをとってからである。
で、何を言いたいかっていうと、現在、私が唯一やってる運動は、週に一度の乗馬なんだけど、私は乗馬に関しては、そういうイメージをもってない、だからうまく乗れない、ってことを再確認したってことである。
馬が次の一歩を踏み出して着地したときにいる場所、そこに自分の身体をずれなく動かしてなきゃいけないんだけど、そのイメージがそもそもないから、実際に動けない、遅れをとって跳ね上げられるように馬から離れちゃう・人馬の重心がバラバラになっちゃう、そういうこと。
これがねえ、せめて若いときに訓練してたら、多少はイメージをつくりあげることができたんだろうけど。トシいってから学んだスポーツは、そこがダメだ、アタマで考えてるあいだに身体が遅れを(はるかに遅れを)とる。

閑話休題。
さ、乗馬に行くよ。
予想最高気温、東京は35度、横浜は34度なんていうラジオを聴きながら、多摩川を渡っていく。
そこの1度の差は気休めにもならん、0度と1度はちがうってのは札幌で学んだような気がするけどね。
だいたい、オフィシャルの観測気温ってのは、きっと風通しのいい日陰かなんかで(百葉箱?)測ってるんだろうから、多くの人の体感とは違うはず。実際にひとが感じる気温は、発表されるものよりもっと高い。
まあ、いいや、暑いのわかってて行くんだから、泣き言はなし。
でも、とにかく馬に余計な負担をかけないように。馬装は遅く始めて手早く、手入れは手ぇ抜かないけどさっさと終わらる、なるべく馬にストレスかける時間少なくしてやりたい。

きょうの馬は、ゴールドパンサー、おっと、めずらしい。
一回だけ乗ったことある、6月2日の試合で、テン乗りで障害に出場。
思い出したくないなー、思い出すたびに情けない、勝っていいですよ的に用意された馬なのに、4番障害でビタ止まり。
それも、手綱放り投げて乗って、ダラッとした走りでやらかしたんだから、罪は重い。
練習で乗るのは初めて。
どんなんだろ?え?こないだバタバタしてた? そんなことする馬とは思えないけどな。

馬場に入って、アブミの長さ直したら、アブミはかないままブラブラと常歩。
あんまり手でジャマしちゃいけないタイプだと思うんだよねえ、なんとなく。
列になって、4頭立ての3頭目。きょうは暑いし、馬たちも週末の仕事で疲れてるから、軽運動だって。
軽速歩で蹄跡を進んでいると、「もうちょっと肘を開閉して」と言われる。「拳を一定の位置に」
手をすこし前気味にして、手綱を短くもって、もちろんハミにガチャガチャ当てないように拳を安定させたいんだが、拳を置いとこうと思うと、バカだから肩から肘にかけてもロックしちゃうんで、そういうことになる。
馬の反撞が身体のなかを通り抜けてく動きのなかで拳を一定の位置に保とうと思ったら、そのぶん揺れに対してほかの関節を動かさなきゃいけないんだけどね。
しかし、なかなかいい反撞をしている。障害のときは、いきなり駈歩だけだったので、速歩で乗るのは初めてといっていい。
フワンフワンしてて楽しい。反撞が大きいけど、柔らかい。アブミ一歩ごとに踏み下げられないか、努力する。
すぐに輪乗りでの駈歩。ポンと出るのでホメる。脚つかうと反応してくれるのでホメる。
あんまり手を強くすると、口を身体に近づけて巻き込むようにして外されちゃうような動きにつながりかねない気がするので、なんとなーくな感じで乗っていく。
すこし内に傾きかける感じもするけど、手をバタバタしたり、反対側のアブミに体重かけたりすると、余計ヘンなことになるから、馬の背中に左右均等に人がまたがることだけを考える。
「もうすこし乗り込んでいって」と言われる。
意味はもちろん伝わってるんだけど、あらためて文字におこすと難しい。簡単にいうと鞍にハマってけぐらいでいいと思うんだけど。
馬の動きにあわせて人も動いて、内方姿勢で腰の前出をしろってことでいいかなあ。
蹄跡にでて駈歩の歩度を伸ばすと、あっという間に前の馬に近づいて追突しちゃいそうになる。
おさえたら、すぐかえす、って意識してんだけど、あまりに勢いよく近づくと、ついつい引っ張りぱなしになる、かえって危ない。
んなこと繰り返してると、輪乗りのなかでも、馬の背中の推進スイッチをグリグリ圧しちゃってるような気がするもんだからって、拳を腹のほうに引っ張り込んだうえで、フワーッと立ち上がりかけるような姿勢になってしまう。
すかさず「そういうときこそ乗り込んで」と指摘される。
歩度をつめようと思うんだったら、手綱を引っ張るんぢゃなくて、しっかり座ったうえで、人間の身体の動きを遅くすることにより、その動きに馬の動きを合わせさせようというイメージでなくちゃならない。
ああ、思ったように身体動かせないなあ、っていうか、そもそも「思ったように」が明確な形として出来上がっていない、トシとってから始めたスポーツはツライよ。
とはいえ、珍しく命じられた反対駈歩もしばらく維持できたし、思ったよりヘンなことにはならなかった。
なかなか扶助に忠実、なにごとにも敏感に反応してくれて、いい馬だなと思った、ゴールドパンサー。

運動は実質15分くらいで終わり、乗り替わり。
ほかの人が乗ってるの見てると、とてもいい速歩をしていることに気づく。まるで馬場馬術の試合みたいな速歩。
ほかの馬にくらべると、明らかに一歩一歩が高く跳びあがってるみたいに見える。
(タラタラした速歩だと、後ろ肢ってツメが地面の上を引きずってるようにしか見えない。)
そのぶん、なんか乗り手のイメージより、一歩一歩の滞空時間が長くなってるのかもしれない。ちょっと他の馬との違いに、慣れないと感覚が狂いそうといったら大袈裟か。
二班目も15分くらいで終了。
帰ったら馬丸洗い、おとなしくしてるけど、顔に水かけるの嫌がるタイプか。
おわったらリンゴやる。いまの時期、リンゴはムダに高いので、スイカかなんかにしたいんだけどな、乗馬に行くのにスイカ持ってくるのも何だしね。


どうでもいいけど、私の長靴は後ろにファスナーのついてるタイプなんだけど、しばらく前から引っ掛かって調子の悪かった部分が、いよいよダメになってきて、開け閉めが難しくなってきた。しかたないんで、修理に出そうかと思う。
ちなみに、この長靴は貰いもんで、私には長靴を自分でつくる、新調しようなんて気はさらさらない。この長靴が使いもんになんなくなったら、乗馬引退のときである。
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