かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

草原の国モンゴルその2 シベリア鉄道

2024年12月01日 | China・Mongolia
今日もすばらしい天気。
でも、家事に集中。
夜は、同窓会。
そういえば、OASIS外れた。
ドームではずれるかなぁ?
去年の今日は、ノエル単独公演だったっけ?



2日目は、西方へ大移動。
ウランバートル駅に向かう途中にあった、外務省ビル。
翌日からプーチンが来る予定で、たいへんな時期と重なった。
ちょうど来た時は、400㎞近く西にいたので、助かったが、ただでさえ大渋滞の街だったので、これで規制をかけられたら、身動き取れなかったろう。
ICCに加盟しているモンゴルだが、ソ連にエネルギーを依存しており、とてもそんなことができる状況ではない。
ノモンハン事件(モンゴルvs満州だが、実質ソ連vs日本)の戦勝記念式典に5年毎に招待しているようだ。
ソ連とのつながりは、立ちきれないが、日本への感情はいい。

町中、たぶん8割は、日本車。
その中で、私が1年前まで乗っていた2代前のプリウスが多い。
左ハンドルな稀で、右ハンドルがほとんどだが、これは中古車の輸入車だからとのこと。
プリウスの10~20年落ちが80万円と言っていたが、高いのか安いのかわからない。
白鳳は、トヨタのディーラーを経営しているとのこと。
モンゴル勢で、横綱になった人は、モンゴルで、さまざまな事業を展開している。



鉄道駅は、そう遠くないところにあった。



これは、プラットフォーム側から見た駅舎。
と言っても駅舎以外は、広場みたいな感じ。



駅舎内は、シャンデリアなどがあり、シンプルながら豪華。



時刻表の下に、ピアノがおいてあったが、演奏会でもするのか。
モンゴルと、ロシアの国旗が掲げられていた。



プラットフォームから見て、左が中国、右がロシア。
ちょうど中国側からの列車が到着。
中国側の軌道は幅が違うため、国境で、台車を取り換えるとのこと。
そこで数時間を要するため、そこから、車に乗り換えてしまう人も多いとのこと。
車列はかなり長い。

一方、モスクワまでは、一本で行けるが、5~6日かかるとこのと。
せいぜい80km/hぐらいしか出てない感じだった。



かつての、シベリア鉄道の蒸気機関車が展示されていた。



一番奥のトラックには、石炭を多く積んだ貨車が並んでいた。
ロシアからの輸入か。



真ん中の縦書きの文字が、従来のモンゴル文字。
一応学校でも教えるようになったが、圧倒的にキリル文字での表示が多い。
ガイドさんも、モンゴル文字は使えないということだった。



駅舎には、コンビニや、軽食がとれるレストランが併設されている。



我々が乗る客車にディーゼル機関車が連結された。
機関車も客車も古そうだ。



ここには、プラットフォームがあるが、他の駅にはほとんどなく、ドアから、下に階段が降りるような構造になっている。
当初、西に向かうものと思っていたが、ほとんど北に向かっていて、移動するためではなく、シベリア鉄道に乗ること自体を目的にしたものだった。



構造は、オリエント急行に似ているが、古いし、設備もぼろい。
観光用というより、一般移動者向けのように思われた。
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ユーラシアの中の「天平」

2024年11月30日 | Books


今日は、ゴルフ。
調子は、さっぱりだったが、あまりにもいい天気だったので、写真のみ。
このゴルフ場では、もう20年近くやっているが、最高の天気だったかもしれない。
朝は、3度と寒かったが、朝日に映える富士山は、最高。



特に紅葉が綺麗。



みなとみらいもくっきり。
ベイスターズの優勝パレードは、見逃した。



カラフル。



銀杏も負けてない。



江の島が見えて来た♪♪♪



今日大山に登った人も、最高だったろう。



本書は、書評で知り即ゲット。
ちょっと大部だったが、面白く読めた。
題名が示すように扱っている期間は、天平。
天平といっても、4文字年号の時代もあるから、729〜767年の約40年。
本書を読むと、その濃密なアジアの動きに改めて驚かされる。

唐は、繁栄を謳歌していた時代から一転衰退へ向かう。
西では、イスラム勢力が、東進。
日本は、遣唐使を送っていたが、新羅との関係が、悪化し、戦争準備にはいったが、藤原不比等が失脚し、実施にはいたらず。
渤海が新羅との緊張状態に入り、睨み合い?

まさに、ユーラシアを舞台に、大国が蠢いていた時代と呼ぶに相応しい。
本書では、いわゆる東アジアの目線からの考察が多いが、唐や新羅を通して、その西にも話が及ぶ。
直接的に及ぶのは、ウズベキスタンのサマルカンドや、ブハラぐらいまでだが、西大寺跡からは、そのさらに西で造られた陶器の破片が見つかっており、どのルートで伝わったかは、まだ定かではないという。
日本海側の人々を通した交易だったのか、遣唐使のような公式なルートだったのか。

遣唐使のメンバーは、必ずしも明らかではないのだが、その貢物の内容など、詳細にわかっていることも多い。
規模も大体わかっており、一方、新羅からの使者の規模もかなりであったことがわかる。
そして、その上下関係など、小競り合い、駆け引きが続いていた。
その辺では、大陸の国々の方が隣国と領土が接しているだけあって、経験に勝っていた。
日本は、やはり島国であり、交渉経験に乏しく、情報の伝わり方にも、時間差があった。

遣唐使で、何度も帰国を試みた阿倍仲麻呂や、藤原清河の話は、切ない。
清河の娘は、帰国を果たしていたとは知らなかったが。
本人は玄宗に可愛がられ過ぎて、安禄山の戦いに巻き込まれて、その最後は、定かではない。
安禄山がサマルカンド出身と考えられているとは、知らなかった。
安禄山の戦いは、治ったが、唐は、衰退に向かい、ウイグルや、吐蕃の侵入に悩まされる。
これも、現代史につながるところだ。
そして、その混乱を避けるため、海のシルクロードが、盛んに交易に使われるようになる。

なんとダイナミックなのだろう。
今のユーラシア大陸の秩序が、この頃の光芒がベースになっていることがわかる。
モンゴルが、出てくる前の話にはなるが。
面白かった。
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"徹子の部屋"コンサート

2024年11月29日 | Music


今日もまずまずの天気。
日中は、家事?雑務?
夜は、生まれて初めての"徹子の部屋" コンサート。
もう18年やっているという。
皆勤は、南高節さんのみ。
番組自体も、1976年からというから、私が高校生の時からやっている!



会場は、武道館。
私は、たぶん、昨年のユーミン以来。
9,000人入っていると言っていたから驚きだ。
ステージ右側が、まさに徹子の部屋のスタジオになっていて、ステージ左側で、数曲歌ってから、右側の徹子の部屋で対談するシステム。
時間が来ると、テレ朝のアナウンサーが、バイオリンを弾いたり、銅羅を鳴らしたりして、知らせるが、徹子さんがトークを止めないのがお約束?
コロッケさんに、しつこくネタを出させたり。
今日のコンサートは、来年、放送される予定という。



席は、2階席のステージに向かって左側で最初どうかと思ったが、徹子さんが正面から見れて、歌手のステージも近く良かった。



武道館を満席にする動員力は、凄い。



歌手は、5組だったが、最初の岩崎姉妹の妹の芳惠さんが出だしで転んで、失礼ながら大受け。
特に徹子さんのすぐ近くだったから、いじられまくり。

2番手の南高節さんは、歌も上手いし、トークもはずむ。
流石だし、我々世代は、ど真ん中。
学生時代、まだ新しかった横浜スタジアムでのコンサートに行ったことを思い出した。
今年の紅白に27年振りに出るそうだが、なんと最長老だそうで。
時が経つのは早い。

美川憲一さんとコロッケさんは、定番ネタだが、対談で、美川さんの方から、本人のモノマネを勧めたことを知った。
それを1人で完成させたのは、コロッケさんだが、今や2人で商売してる。
美川さんの歌は、初めてだったが、流石大御所感あり。

マツケンさんは、年明けの暴れん坊将軍の番宣? 
歌も3曲中2曲が、主題歌と挿入歌。
本人が歌ってるのは,初めて見た。

ラストは,平原綾香さん。
たまたま徹子の部屋に同じくサックス奏者のお父様と出ているのを見たことがあったが、お父様も3年前になくなられた。
その映像を今も大切に見ているとのこと。

そして、ラストは、出演者全員で、マツケンサンバ。
初出演の松平さんが、本番で、サンバをやらないのは、不自然だと思っていた。
フィナーレにピッタリ。
来年以降定番になるか?

観客は、いつもにも増してお年寄りが多く、武道館の傾斜のきつい階段には、本当に苦労していた。
武道館は、お年寄りにはきつい。

ということで、普段は、行かないコンサートだったが、楽しめた。
徹子さんに脱帽。
いつまでも、お元気で‼︎
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ちらっと福知山

2024年11月28日 | Kyoto・Osaka・Shiga ( Japan )


今日は、いい天気。
関西ついでに、行ったことのない福知山に行ってみた。
結構不便。
行きは、新大阪から特急こうのとり。
東海道線から、福知山線に入る。



よくぞ、走ってくれている?
結構山の中を走るし、途中から単線になる。
これは、帰りの山陰本線も同じ。



駅は、近代的で、京都府の北西部のターミナル駅になっている。
舞鶴とか城崎とか、すぐそこ?



最初に訪れたのが御霊神社。
明智光秀を祀っているが、閑散としている。
紅葉は、見頃。



神主さんも常駐ではないかもしれない。



由良川と音無瀬橋。
美しいが、氾濫を繰返す暴れ川だったらしい。
光秀が築いた堤もあった。
大きく流れを変えたそうだ。



千原ジュニアの句碑。
プレバトの企画で、立てられたらしい。
夏井先生のご推薦!
福知山城を見上げる絶好のロケーションにある。
故郷に錦を飾った?



そして福知山城へ。
再建だが、かなり忠実に造られたらしい。
川沿いの高台にあり、紅葉に映える。



中は、4層で、1階、2階が展示室。
4階が、展望室になっている。
展示もしっかりしており、福知山城の歴史がよくわかる。
明智光秀が築いたが、本能寺の変を起こし、使った期間は、短かった。



昨年は、竜王戦の会場にもなった。



見事な景色。
城下町を見下ろしたところ。
天候にも恵まれた。



最後に訪れたのが、一宮(いちぐう)神社。



奈良時代の創建で、福知山藩の鎮守だったそうだが、閑散としていた。
御霊神社の方が人気?



小さいが、能舞台もあった。



他にも見所はあるのだが、市街地から離れているので断念し、帰路へ。
どこに向かっているのかわからない列車がたくさんいる。
天橋立方面行きか。



列車の長さも様々で、乗車口表示もカラフル。
帰りは、特急きのさきにて、京都へ出た。
乗車口は、赤表示。



ということで、コンパクトだったが、福知山に初めて行けた。
天候にも恵まれてよかった。
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草原の国モンゴルその1 いざモンゴルへ

2024年11月27日 | China・Mongolia
今日も関西、曇り空。
9月のモンゴルの話もそろそろ始めないと。



シカゴ駐在時に、シカゴより寒い唯一の日本大使館は、ウランバートルと聞いたことがあった。
9月上旬というタイミングは、旅行シーズンでは、最後のタイミングとなる。

今回は、成田T-2で、ラウンジも使えなかったものだから、一般のレストランで、軽く腹ごしらえと思ったら、とんでもない値段。
円安、インフレもここまで来ていたのか。
しょうがないので、サンドイッチとコーヒーにしたが、それでも900円。



初めてのモンゴル航空(MIAT)。
B737で、サービスも問題なし。
保有機体は10機程度で、たぶん帰りも同じ機体。



時差は、1時間で、5時間程度かかって無事到着。



モンゴルでは、何でもチンギス・ハーン。
日本だと、元を興したフビライハンのイメージがあるが、扱いが全然違う。



小さいが、中は近代的。
日本のODAを使い、2021年に開港したそうだ。
標高1,366m。
今の便数だったら問題ないが。



空港を出るといきなり大草原。
ウランバートルから、50km程度の場所にあるが、市内の渋滞を気にしなければ、許容範囲。



空港を正面から。



モンゴル空港に夕陽。



5,000円で、107,500トゥグリクに両替。
買い物は、全てカードで決済できたので、食事時のアルコール代にしか使う機会がなかった。
表のデザインは、全てチンギス・ハーン。
だいたい、20で割れば円貨になるので、これは、1,000円札。
ビールは、缶で10,000トゥグリク、生で、15.000トゥグルク。
マーケットで買っても値段はそう変わらない。



泊まったのは、モンゴル初の日系ホテルと言われるFlower Hotel。
私は、入らなかったが、大浴場?がある他、レストランも和・印・中ある。
ホテル自体は、問題ないが、ホテルに通じる道は、大型バスがやっと通れる細い道。

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