ユン・チアン女史著のマオについての書評は、溢れかえっている。それだけ、衝撃的な内容だったということだろう。
読了したが、結構長い。後書きによると、原著には、113ページの注釈があったそうだが、流石に、翻訳本に入れるのは止め、H/Pに掲示することにしたという。講談社のH/Pで、誰でも見れるので、興味のある方はどうぞ。これだけでも、すごい。
女史の怨念にも似た執念の一冊と言えるだろう。とにかくよく調べている。そして、どの程度客観的かはわからないが、かなりの説得力を持って、毛沢東は、最初から最後まで、中国人民のことなど全く考えない残虐な単なる暴君だったと言い切るのである。
30年前の1976年9月9日に毛沢東は亡くなったのだが、当時高校生であった私は、何のきっかけか忘れたが、世界史のK先生を囲んで、岩波新書かなんかの中国近代史の読書会に参加していた。その読書会の最中に、毛沢東の死が訪れ、大きく印象に残ったのだが、確かその本には、毛沢東は、中国建国までは革命・統一の立役者だったが、その後の大躍進政策は失敗し、文化大革命の評価はまだ定まらないものの、権力闘争の色彩が強いというものだったと思う。
”マオ”によれば、毛沢東は、共産主義などどうでもよかったらしい。
その他の本では、やはりチアン女史の”ワイルドスワン”と、元毛沢東の主治医だった人が書いた(執筆後シカゴで怪死した)”毛沢東の私生活”が印象に残っている。ただ、これらの本も、毛沢東の後半生に関するものが中心で、最初から最後まで、これだけ踏み込んで触れたものを読んだのは始めてだ。前半生については、資料も乏しく、または後に作られた物ばかりなので、真実をつかむのは、難しくなっているのだろう。
ちょっとしつこく感じる方もいるかもしれないが、毛沢東に興味のある方は、必読の書。それにしても、毛沢東とその側近達との微妙な綱渡りの関係は、まさに恐怖の駆け引きと呼ぶにふさわしい。とても常人では耐えられない恐怖だ。毛沢東と周恩来の関係がこのような関係だったとは。
カンボジアのポルポトの所業など、逸話にも残されているように、比較の対象にならないか?
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