かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

ベトナムとアメリカ

2006年08月05日 | Thailand・Vietnam・Phillipines

ベトナムは、唯一、アメリカに勝った国と言えるかもしれない。
では、ベトナムは、それを自慢しているかというとそんなことはない。逆に街中の様子を見るとアメリカに対する感情は、良いようだ。

というのも、ベトナムは、有史以来、回りの国からの影響を受け続けてきた。中国の属国であった時期もあるし(越の国)、チャンパ時代、クメール帝国とも戦いを続けた。植民地時代になってからは、ご存知のようにフランスの支配下になり、第二次世界大戦中、一時的に日本の支配下になったが、戦後、またフランスが戻ってきて、再度独立を果たすのに10年近くを要した。やっと独立したと思ったら、南下する共産主義とそれを阻止しようとするアメリカ側の戦場の舞台となり、泥沼のベトナム戦争となった。
それが終わったら、カンボジアの政情不安に(友情からか?)介入。それが、中国の怒りを買い、中越戦争。
平和なベトナムを謳歌しているのは、この20年足らずといったところか。

そんな中、ベトナム戦争の雰囲気を味わいたい方は、ホーチミンシティから半日ぐらいで見れる、クチトンネルや、デルタ地帯のベトコン水上基地(南部開放戦線カンザー基地跡)がお勧めだ。
ベトナム人の粘り強さと頭の良さがよくわかる。またホーチミンシティ(サイゴン)から、こんなに近い場所にベトコンがたくさん跋扈していた中、アメリカ側の勝ち目は最初から薄かったのかなとも思う。

そんな時間がないという人には、ホーチミンシティ中心部に、戦争証跡博物館がある(写真)。これは、元々アメリカ戦争犯罪博物館という名だったが、アメリカ+犯罪という文字をはずした。でも、展示内容は変わっていないので(建物が立派になっていたのには驚いた)、アメリカがいかに、ひどい戦争をしたかという展示になっている。当時、アメリカ国内でも、ベトナム戦争の意義、やり方については、批判が多かった訳で、アメリカ人も、懺悔の気持ちもこめてこの展示を見ている。
特に枯葉剤等の弱者への影響が大きい化学兵器については、後々まで影響が残るため、展示を見ていても、気分が悪くなる。
命をかけたジャーナリスト(日本人では、安全への逃避の写真で知られる沢田教一氏の写真や、地雷を踏んだらサヨウナラで知られる一之瀬泰造氏のカメラ)の遺品も展示されている。
戦争の悲惨な現実を、このように感じられる機会を作ることにより、安易に戦争に走らないような人を育てる教育は、きっちり続けるべきだろう。

今、ベトナム人のアメリカに対する(日本に対しても)感情がいいのは、長年戦争を続けてきたベトナムにとって、ベトナム戦争や、日本の支配は、ごく短い期間のことであり、一方、これからベトナムが復興、発展を遂げていくには、両国との協調がもっとも大事だと理解しているベトナム人の頭の良さから来ていると思う。

コメント
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