かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

日本の歴史4 揺れ動く貴族社会

2011年07月04日 | Books
私もB型だが、何で、次から次へとこんなあほが大臣になるのか?
怒りで、涙も出ない。



いろいろ寄り道ばかりしていて、なかなか日本の歴史シリーズも読み進まないが、ようやく、平安時代を中心とした2冊を読了した。

平安時代というと、優雅な貴族社会とイメージがあるが、本書を読むと、混沌とした不安の満ち溢れた時代であったことがわかる。今回の東日本大震災に匹敵する大地震が起こったのもこの時期だし(本書に直接の記載はなかったが)、疫病も広がった。
武士が出現し、戦乱も多かった。
その中で、宗教もこの時代を読み解くのに重要な要素であった。

宇多天皇は、東寺で潅頂を受け、仁和寺で髪を下ろし、法皇となったのだが、その後、東大寺の戒壇院で受戒し、延暦寺で、三部大法を授けられ、仏教界の最高権威者となったのだそうだ。王権と仏教が互いに支え合う「王法仏法相即論」が生まれた。顕教、密教が王権の安寧を祈り、王権も仏教を守護する体制である。宇多天皇と、仁和寺はそのキーであった。

天皇は、それまでは、国を平定するため、表に出ることが多かったが、この時期から安定して、江戸時代までは、人前に出ないことにより、神秘性を高める方向に変わったという。

災害についての記載も詳しいが、当時、十和田湖火山が噴火したと思ったら、開聞岳が噴火し、集落が放棄されたことも分かっている。地震も、大規模なものが、たて続けに起こったらしい。このあたりは、今回の東日本大震災にも当てはまる可能性が高い。富士山の西湖、精進湖、本栖湖が出来たのも、864年の噴火によるものという。

宗教で言えば、やはり空海の話が興味深い。空海が遣唐使船で唐に渡り、青龍寺の恵果(けいか)を訪れ、真言密教を学び、第一の弟子になった。その後、恵果が無くなり、空海は、帰国してしまったため、インド直伝の正当な密教は、中国に残ることなく、日本に将来された。
真言密教の法脈は、大日如来°熏ьFた(土へんに、垂)@エ猛(りゅうみょう)@エ智(りゅうち)°熏・q-不空金剛-恵果-空海となるのだそうだ。

この世をば わが世とぞ思う 望月の 欠けたる事も 無しと思えば
というのは、藤原道長の有名な歌だが、これに藤原実資(さねすけ)は、返歌を読まなかったという。この実資たる人物、道長と同等の家柄ながら、ずっと道長に遅れをとった。ただ、彼が詳細な日記をつけていたために、この藤原氏の栄華の状況が手にとるようにわかるのだそうだ。皮肉なことだ。
日記では、返歌をしなかったが、あまりにも素晴らしすぎてということになっているが、実は、あほらしくて、返歌などする気になれなかったのではと著者はいう。

日記が好んでかかれたのも、平安時代の特徴だが、当時の日記は、人に見せるために書かれたそうだ。備忘録にすると同時に、先例を子孫に伝えるためという。ブログの元祖と言えよう。

著者のおかげで、この時代の息吹をリアルに感じることができた。
コメント
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