かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

釈尊の生涯

2011年07月30日 | Books
今日は、ゴルフだった。朝行く時に土砂降りになり、だめかと思ったら、結局プレー中は、一度も雨は降らず、かえって涼しくてよかったぐらい。帰りは、真夏の日差しまで戻った。と思ったら、今は外は雷雨だ。
夏終盤の不安定な天気を思い起こさせるが、大雨の状況は、深刻だ。被災地の方々に、お見舞いを申し上げる。



仏陀の生涯に関する本をいろいろ読んできたが、本書がどうも元祖らしい。中村元さんによる本書は、元は、1957年に著わされた。私の生まれる前だ。今も、平凡社ライブラリの一巻として発行され続けている。

中村さんは、ブッダの生涯を、なるべく古い記録から、あぶり出そうとした。もちろんそれも言い伝えであるから、程度問題であるのだが、後から付け加えられたものをなるべく排除し、史実らしきもののみを抽出した。これが、その後のブッダの本に大きな影響を与えたのは、間違いない。

中村さんは、ブッダの誕生を463BC年、入滅を383BC年とした。アショカ王の年代が基礎になっているが、学者によって100年ほどの差がある。ただ、中村さんによると、年代の不明な古代インドとしては、僅か100年の差異しかないということは、驚くべきことという。
確かに、ほとんど記録の残っていない2500年ぐらい前の話。個人としてのブッダの歴史性が確定したことだけでも、凄いことなのだ。

古代の経典からの抜粋部分は、なかなか理解が難しい。一貫性があるのかないのかわからない部分もある。それに対し、中村さんはこう答えている。

「悟りの内容にかんして経典自体の伝えているところが非常に相違している。いったいどれがほんとうなのか。ゴータマのえた悟りは、不安定、曖昧模糊たるものであろうか?仏教の教えは確立していなかったのであろうか?
まさにそのとおりである。釈尊の悟りの内容、仏教の出発点が種々に異なって伝えられているという点に、われわれは重大な問題と特性を見出すのである。
第一に仏教そのものは特定の教義というものがない。
第二に、特定の教義がないということは、けっして無思想ということではない。既成の信条や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地をえようとするのである。
第三に、人間の理法(ダルマ)なるものは固定したものではなくて、具体的な生きた人間に則して展開するものであるということを認める。実践哲学としてのこの立場は、思想的には無限の発展を可能ならしめる。」

この説明自体も簡単なものではないが(現代文の試験に出て来たら、満点はとれないだろう)、膨大な様々な経典を前にした時、まず心得ておくべきことかもしれない。

レベルの高い、かつ元祖本として、ブッダに興味のある人は、是非読んでおくべき本だろう。
コメント
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