2ヶ目は、宇佐神宮に行く予定だったのだが、大分への道がまだ復旧しておらず、佐賀県の吉野ヶ里歴史公園に行くことにした。
入口は、なかなか近代的。
資料によると、人家や、畑が多くあったエリアだったが、発掘のため立ち退いて、その後延々と発掘調査が続いている。
入口は、ジュラシックパークのようだが、まさに弥生パークと呼ぶにふさわしい充実振りだった。
これは、環濠。よそ者が入ってこないように、厳重に防御している。立っている杭は、逆茂木と呼ばれている。外を向いている。
中に入ると、集落が広がる。南内郭と呼ばれているエリアだ。
この地域は、北に行くほど身分の高い人が住んでいたと考えられている。一番北は、墓地だ。
物見やぐらには登ることができ、村を見下ろすことができる。
竪穴式住居の内部も一部公開されており、当時の風俗が再現されている。
北の方向を臨む。右奥に見えるのは、北内郭。祭りごとの場所と考えられており、大規模な建物も再現されている。
こちらは、南のムラ。一般人の住んでいたと思われる地区。
南内郭の中の王たちが住んでいたと思われる地区。
南内郭と、その外の倉と市のエリア。
弥生人の人々の暮らしを実感できるすばらしい公園だ。
入口は、なかなか近代的。
資料によると、人家や、畑が多くあったエリアだったが、発掘のため立ち退いて、その後延々と発掘調査が続いている。
入口は、ジュラシックパークのようだが、まさに弥生パークと呼ぶにふさわしい充実振りだった。
これは、環濠。よそ者が入ってこないように、厳重に防御している。立っている杭は、逆茂木と呼ばれている。外を向いている。
中に入ると、集落が広がる。南内郭と呼ばれているエリアだ。
この地域は、北に行くほど身分の高い人が住んでいたと考えられている。一番北は、墓地だ。
物見やぐらには登ることができ、村を見下ろすことができる。
竪穴式住居の内部も一部公開されており、当時の風俗が再現されている。
北の方向を臨む。右奥に見えるのは、北内郭。祭りごとの場所と考えられており、大規模な建物も再現されている。
こちらは、南のムラ。一般人の住んでいたと思われる地区。
南内郭の中の王たちが住んでいたと思われる地区。
南内郭と、その外の倉と市のエリア。
弥生人の人々の暮らしを実感できるすばらしい公園だ。