かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

森浩一が語る日本の古代史

2013年08月24日 | Culture・Arts
今日は、ゴルフだった。
雷雨の合間で、雨rainがぱらつき、遠くで雷鳴pikaも聞こえたが、幸い、大きく崩れることはなくcloud、楽しむことができた。
最初からパットが悪く、他のショットも引きずられ、全体的には、いまいちだったが。



今月に入って、森浩一が語る日本古代史というDVDセットをゲット。
森浩一さんは、日本で、もっとも有名な考古学者と言えるだろう。
その本人が、日本各地の遺跡について、語ってくれるDVDセットだ。
そして、8/5に代金振り込み。
そしたら、翌日、訃報が届いた。
何ということだ。
ご冥福をお祈りする。



その後いろいろあって、まだ見れていなかったが、今日一巻目を見て、びっくり。
ご自分の考古学者としての歴史を、自ら語り、考古学に興味を持っている我々のような輩に対する心得を、訴えるように説かれている。
まさに、我々に対する遺言みたいなのだ。

小学校のころから、何故考古学に興味を持ったか。その後の、考古学の発展との関わり。文献と考古学の関係をどう考えたらいいか。

一番印象深いのは、現場主義。
考古学は、遺物だけ見ても、わからない。発掘現場にいないと、発掘物の意味は、理解できない。
そして、全国各地の発掘現場を駆け回った。そのレベルが半端じゃない。
当時からの、遺跡巡りのノートは、まだ続いている。

戦時中は、夜勤になったのを幸いに、昼間遺跡回りをしたという。
米軍が占領していた時代、基地内の古墳を崩すことがあったそうだが、それを止めさせ、数時間発掘作業をしたという。まだ、学生だったから、できただろうが、大人だったら、大問題になったかもしれない。何せ、占領時代の、米軍基地内の話だ。

戦後すぐ行われた登呂遺跡の発掘にも、手弁当で参加。
和歌山県に前方後円墳は、ないと考えられていたが、アマチュアの活躍により、今は、50近くが知られている。

大学に入ったら、すぐ考古学(古代学と名を変えたが)関連雑誌を発刊し、それは、今でも続いている。仁徳天皇陵の呼び名を、大仙古墳とするべきと提唱したのも、森さんだ。
天皇陵については、考古学の観点のみならず、地震学の観点からも、調査を認めるべきと力説される。

すばらしい企画だと思う。続く巻も楽しみだ。
コメント
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