今日も、ゴルフ。
前半踏ん張ったが、後半息切れ。
昨日より、気温は少し下がったのだが、残念!
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本書は、本屋で見つけた。
昨年10月に出たNHKブックス。
白村江での敗戦からの10年間を論じているが、結構、目からウロコだった。
今までの私が持っていたイメージは、白村江で負けた倭は、防御を固めると同時に、百済から逃げてきた渡来人が、大和国整備に貢献したというものだった。
ところが、本書は、日本書紀などには書かれていないが、白村江での敗戦後、唐と敗戦処理のための条約が結ばれ、唐のキビ政策(領域化と冊封の中間)の下に一旦はいった。そして、唐の指導の下、新たな国づくりに注力した。その時、西日本各地に造られた山城は、その情報網構築のための拠点である。
ところが、高句麗滅亡後、新羅が、唐のいうことを聞かなくなったため、唐は引き上げ、我々が見ている大和になっていったというストーリーだ。
大野城、水城、太宰府に行くと、確かにかなり内陸だが、そこまで唐軍が攻めてくるのを迎え撃つよりも、水際で食い止めた方が容易であるはず。
かつ、中国から近畿にわたって連なる山城が、防御に役立つのかと聞かれると、これも確かにクエスチョンだ。
かなり説得力があるように思う。
日本書紀がその点に直接触れていないのも、日本書紀が書かれた背景を考えると、理解できないこともない。
中国側にさらにこの説を補強するような資料が見つかれば、これが通説と言われる時代も来るか?
前半踏ん張ったが、後半息切れ。
昨日より、気温は少し下がったのだが、残念!
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本書は、本屋で見つけた。
昨年10月に出たNHKブックス。
白村江での敗戦からの10年間を論じているが、結構、目からウロコだった。
今までの私が持っていたイメージは、白村江で負けた倭は、防御を固めると同時に、百済から逃げてきた渡来人が、大和国整備に貢献したというものだった。
ところが、本書は、日本書紀などには書かれていないが、白村江での敗戦後、唐と敗戦処理のための条約が結ばれ、唐のキビ政策(領域化と冊封の中間)の下に一旦はいった。そして、唐の指導の下、新たな国づくりに注力した。その時、西日本各地に造られた山城は、その情報網構築のための拠点である。
ところが、高句麗滅亡後、新羅が、唐のいうことを聞かなくなったため、唐は引き上げ、我々が見ている大和になっていったというストーリーだ。
大野城、水城、太宰府に行くと、確かにかなり内陸だが、そこまで唐軍が攻めてくるのを迎え撃つよりも、水際で食い止めた方が容易であるはず。
かつ、中国から近畿にわたって連なる山城が、防御に役立つのかと聞かれると、これも確かにクエスチョンだ。
かなり説得力があるように思う。
日本書紀がその点に直接触れていないのも、日本書紀が書かれた背景を考えると、理解できないこともない。
中国側にさらにこの説を補強するような資料が見つかれば、これが通説と言われる時代も来るか?