今日は、TOKYO BEATLES WEEK のイベント2回目、
場所を、松見坂CHOP+ARCHIに移して、Peppersを読み解くというお題。
名プロデューサーの川原伸司さん、藤本国彦さん、福岡耕造さんのトークショー。
会場は、建築のデザイン会社の2階?
実は、まだ行きたいのがあるのだが、スケジュールが合わず、今日が、最後。
先月のアップリンクでのイベントとダブル話もあったが、その道のプロからの楽しい話を、沢山聞けた。
やはり、INGで聞いていたプロの話は、貴重だ。
川原さんの、ビートルズとの出会いは、ヤーヤーヤーだったという。
まだ、ロックという分野が、確立していない中、映画音楽からはいったということらしい。
武道館にも、もちろん行かれているが、読売新聞の抽選に、家族3人応募したら、1枚あたったとのこと。
周りでは、他の公演と抱き合わせ販売で、入手した人が多かったとのこと。
聞こえた聞こえない、いろんな意見があるが、貧弱なPAシステムで、席によって、聴こえ方のばらつきが激しかったのではとのご意見。
因みに席は、右の端でジョンしか見えなかったらしい(音は聴こえた)。
当時、ビートルズのアイドルとしての人気は下降気味で、モンキーズが凄い人気を誇っていた。
チームとして、技術的にもしっかりしていた。
ビートルズは、次の展開を考えざる得ない状況であった。
ペッパーズは、日本盤を即買ったが、米軍とのコネが、ある人は、3ドルで、オンタイムで、米国盤をゲットしていたとのこと。ただ、米国盤は、出来不出来があるので、日本盤にしたとのこと。
まだまだ、戦後の匂いが、残っていた時代だ。
日本ではステレオしかで出ていないが、日本のレコード会社の戦略だったという話は前にも聞いた。
当時のステレオは、モノが4本走っていると考えればわかりやすい。ステレオでも何でもない。
今は、トラックは無限に使えるが、矢野顕子は、ピアノだけで、マイクを、16本使うのだという。
当時は、4トラックだから、そこから本当のステレオが作れる訳はない。
今回の音は、モノベイシスのステレオミックスということで画期的。
ピンクレディネタとしては、波乗りパイレーツ。
なんと、英語バージョンを、ビーチボーイズと録音したそうで、アメリカで、ラジオ番組にも出ていたそうだ。ピンクレディ末期のことだが。
ペッパー警部の英語盤も出していて、世界中で、発売された。
奈良橋陽子さんの末ナ、彼女は、後にゴダイゴをヒットさせた。
若山一郎さんに若いおまわりさんから着想を得た楽曲で、ビックヒットになったのは、ご存じのとおり。
ビーチボーイズの曲は、画期的で、曲のコードと、ベースの音の組み合わせを崩していて、ポールは、そこから多くのヒントを得た。
パーカッションを、多用するのも、ビーチボーイズから学んだ。
まさに、ラバーソウル→ペットサウンズ→ベッバーズという流れ。
ただし、コマーシャルセンスは、ポールが上で、ビーチボーイズは、ここで壁にぶちあたる。
これは、アメリカのレコード製作費が、レコード会社持ちで、レコード会社の意向が優先されがちという事情があるという。だから、薬に走る人も多い。
イギリスのミュージシャンは、製作費が、自分持ちなので、製作の自由度が、高かったという。
だからビートルズが、比較的自由に音作りができた。
今回の音源で、わかったのは、通常、最初に音入れするベースとドラムか、後から音入れされていることとのこと。
そのため、メドレーでのつなぎが、スムーズに聴こえる効果を、出している。
EMIスタジオは、素晴らしい機材を揃えてあるが。それは、そもそもEMIが、音のプロ中のプロであることによる。
CTスキャン、ソナーなどの技術も、EMI発なのだそうだ。
50Hzと、60Hzの音が違い、盗電までして、いい電気を得ようとしていた話とか(大瀧さん)、当時のサイケデリックカルチャーは、音楽だけではなく、映画、ファッション、文学など、様々な分野で、同時並行的に起こっていて、そこに、戦後の世界への不満、ベトナム戦争への厭戦ムードが、強く影響していることなと、楽しい話は尽きなかった。
ただ、いつまでたっても終わりそうもないので、中締め的タイミングで、退散。
それにしても、ビートルズマニアの、深度は、深まるばかり。
発売前のミュージックライフもゲット。
こちらも読み応えが、ありそうだ。
ビートルズマニアのパワーを感じた一夜。