今日は、ゴルフ。
昨日梅雨入りしたばかりだが、今日の天気は最高。
鹿も気持ちよさそう。
終わってから、お墓参りに行ったが、紫陽花もピーク。
さて、昨日は、朝日カルチャー。
ビートルズシリーズの3回目。
全10回シリーズの3回目だが、今回で、ビートルズ時代は最後。
次回からは、解散後の話になるというユニークな講座。
藤本さんは、先週までイギリス・ドイツにいらっしゃったと思うのだが、その後、石垣島に行かれて、お土産のチンスコウをいただいた。
久し振り。
この時期の対象アルバムは、ホワイトからアビーロードまで。
レット・イット・ビーとゲット・バックを2枚と数えると、イエローサブマリンも加えて、5枚。
ただ、実質、ホワイト、レット・イット・ビー、アビー・ロードの3作で、解散にまっしぐらの時期になる。
ビートルズの現役時代で、かなり語りつくされた感もあるが、お二人の独自の考えが披露されて、興味深いセッションになった。
この時期の流れとして、ポケット・ミュージックからアンセムへと捉えられるのではという。
シングルヒットは散々出したので、これからは、もっと壮大な歴史に残るような活動をして、時代をけん引していかなくてはいけないという自負。
メロディ重視から歌詞重視の時代でもある。
そのリーダーは、ポールなのだが、歌で言えば、ジョンもGood Nightなど、名曲を連発。
メッセージ性、普遍性を強めたい中、ポールの曲は、パーソナルなラブソングが多く、ジョンに軍配が上がる?
ヘイ・ジュードと、レボリューションのシングルが典型で、ゴスペルvsブルース・ロックの構図になっている。
ステレオを意識したのもこの頃。
それまでは、モノのミックスしか立ち会わなかったのが、ステレオのミックスにも関わるようになった。
ところが驚くのは、モノとステレオ、両方買ってもらおうという金儲け?の意図があったのだという。
ホワイトアルバムは、ただでさえ、2枚組なのに。
ホワイトアルバムを1枚にしたらという議論は、よくあるが、藤本さんは、とりあえず、4人レコーディングに参加している曲(バック・イン・ザ・USSRは入れる)のみ選べば、ちょうど1枚に収まるという。
それでも、名曲は、結構もれてしまうのだが。
コラージュのポスターは、リチャード・ハミルトンという方の制作になるが、その写真は、ポール主導で選んだといい、ジョンの写真は、ひどいものが多い?
当時も、途中でリンゴが抜けたり、雰囲気をよくするためクラプトンを誘ったりという険悪な雰囲気だったとも言われるが、いろいろ研究すると、ベース・トラックを作っている時は、和気あいあいで、オーバー・ダビングを加えていく段階で、雰囲気が悪くなり、プロデューサーも匙を投げてしまうような状況にまでなってしまう。
4人の理想の音楽の違いが表に出てしまうのだろう。
マインド・ゲームズの豪華版が出る予定だが、お二人は既にお聞きになっていて素晴らしいという。
オリジナル版では、ぺちゃんこな音が、普通の?音に聞こえる。
まさに、この部分が、当時のミュージシャンの個性が出るところなのだろう。
ジョンは、特に自分の声を当時嫌っていたことは、よく知られている。
レット・イット・ビーについては、ゲット・バックで、かなりその製作過程が明らかになったので、今さら感もあるのだが、その中の傑作アクロス・ザ・ユニバースは、当時、チャリティアルバムにしか収められていなかったのだが、その製作過程がちょっと映像に残っていたため、曲不足の中、アルバムに収められることになり、今や、名作中の名作。
あの呪文は、アシュラムに入る際の合言葉とわかっているのだが、意味は、尊師に勝利あれ!ということだという。
宗教とはそういうものなのだろう。
ちなみに、そのチャリテイアルバムの発案者は、スパイク・ミリガンだったそうだ。
あの、映像がなければ、レット・イット・ビーに収められることもなかった。
途中まで、セッションもぐちゃぐちゃだったが、途中から、ルーツ・ロックを目指すというゴールが定まってきた様子がわかる。
鈴木さんは、ここで一服した方がよかったとの意見。
特に、ジョージは、ほとんどギターを弾いておらず、シタールや、ムーグに夢中だった。
ディレイを多用し、意図的に音をわからなくした?
藤本さんは、ここで一服したらその後の作品を作ることなく解散してしまったのではないかとのご意見。
ジョンとヨーコのバラ―ドは、2人で作ったが、ポールがジョンをビートルズにとどめたいという気持ちから協力したと言われている。
かつて、ナーク・トウインズというアコースティック・デュオを組んでいたことがあり、その再結成という意味もあった。
イメージ的には、数年後に結成されるウィングス+ジョン。
そのタイミングでジェフエメリックが戻ったことも大きい。
鈴木さんは、この時期まで、ジョンとポールは仲良かった説だが、藤本さんは、懐疑的。
藤本さんは、ライブが終わった段階で、解散は、不可避だったと見る。
アビーロードは、4人が最後のアルバムになるかもしれないと思いながら作った力作だが、B 面は、ほとんどポールの独壇場。
ジョンのカム・トギャザーの盗作問題は、有名だが、サン・キングも、フリート・ウッド・マックの、全米1にもなったアホウドリという曲にかな似ている。
ジョンのクリエイティビティは、かなり厳しい面もあった。
お二人の推し曲は、ユー・ノー・マイ・ネームなのだが、これは、67年5月に録音された3つのインストに音声をかぶせて作られたのだそうだ。
当初の音源は、映画のサントラ用に造られた可能性があるという。
そして、この摩訶不思議なパロディソングが作られ、レット・イット・ビーのB面に収められることになった。
ビートルスらしいと言えば、ビートルズらしい。
そして、解散となるのだが、他のバンドと同じように、マネジメント問題に端を発している。
4人は、ソロ活動を始めていたが、けんか別れすることになるとは、思っていなかったのではないかと。
もう50年以上前の話で、確認のしようもないのだが、ビートルズとしての4人の活動は、終わってしまう。
そして、ソロ活動に移るのだが、ジョンを除いて、3人のソロ活動の方が、ビートルズ時代よりも長い。
7月以降の講座も申し込んだので、楽しみ。