かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

UNDERGROUND BEATLES

2024年06月25日 | The Beatles


今日も関西。
昨夜は、某牛丼屋で、うな丼をいただいた。
高くてなかなか手が出なくなったが、量は少ないけど、手軽にいただけるのは、ありがたい。



またまた出たビートルズ本。
58年前の来日のタイミングに合わせているのかもしれないが。

藤本さんと作家の本橋信宏さんの対談。
変な題名だなと思ったら、本橋さんの出しているシリーズの名前にちなんだネーミングとのこと。
ただ、内容にもマッチしていて、楽しく読めた。

藤本さんのトークイベントには、かなり行っているが、それをさらにディープにして、活字に落としたという感じ。
藤本さんの話だけでは、引き出されなかったディティル情報も散りばめられている。
日本ならではの小話も混ぜ込まれ、ただ全体の流れもいい。

いろいろ情報あるが、ポールの四谷トルコ未遂説は、知らなかった。
以前に紹介したマルの本で明らかになったらしい。

ドラッグの話は、知られているものとあまり変わらないが、アルコール→ドラック→宗教の流れの一環と捉えている。

ルーフトップ警官やらせ説については、GET BACKの公開や、当時の警官の証言によって、近時、かなり明らかになっており、そのまとめ的な感じ。

シーズ・リービング・ホームのアイデアになった家出少女が、たまたまレディ・ステディ・ゴーで、ポールがダンス・コンテストで、トップに選んで、表彰した女性だったという。
偶然すぎる!
細かすぎる!

私も初期のバージョンを持っているビートルズ辞典は、元々落流鳥さんが書いたかもしれなかったが、多忙なのため、香月さんが書くことになったという。
あまりにも分量が多くて、原稿用紙を秤で測って、大体の字数を推定したというから、恐れ入る。
まだ、アナログの時代だった。
落水鳥さんの本名は、鳥居さんだが、消息不明とのこと。
あれだけの有名人の消息が不明になるものなのか?

ジョンが、相撲好きで、若浪(私もよく覚えている)ファンだったという話も初耳だ。
いやいや、話は尽きない。

ビートルズファン以外には、全く関係のない話ばかりかもしれないが、ビートルズファンには、お勧めできるマニアック過ぎて、笑える本?
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ビートルズに選ばれた人たち

2024年06月24日 | The Beatles


今日は、関西。
富士山も一応見えたが、かなり蒸し暑い。



とめどもなく出るビートルズ本。
今度は、川上さんという私よりも年下のビートルズファンが、実際に日本公演を見た人を尋ね歩き、そのインタビューをまとめた本が出た。
今までもこの手の本はあったが、それらよりもっと知られていない、隠れたビートルズ来日公演経験者を探し出す。
私の知っているのは、赤穂の岡本さんと、超有名人の川原さんだけだった。
もちろん最後の特別インタビューに登場するバラカンさんは、よくトークイベントにお邪魔しているが。

面白いのは、その記憶に、大きな差があること。
考えて見れば、私が学生時代に行ったディランや、イーグルスや、キッスなど、行った事実は、覚えているが、何日の何時からの公演で、セットリストは?と聞かれても答えられない。
印象に残ったシーンや、演奏を断片的に記憶しているぐらいだ。
たまたま、ディランとキッスは、行った当日の公演の音源が出ているので、聞くことはできるのだが。

それと、チケットの入手の仕方が、バラバラで、今のように秩序だっていなかったことがが、よくわかった。
1人は、20枚入手し、5公演中、4公演見たという人まで。
一般の人では、最高記録ではないか。
売れない他の公演のチケットを買うことにより、入手した人もおり、呼び屋創世記の苦労が偲ばれる。
なんせ、ドルが、360円時代だ。

武道館への行き方の記憶も曖昧。
まだ、東西線が全線開通していなかったのだという。
東京駅とか、飯田橋駅から、歩いて行った。

川上さんも相当の変わり者で、インタビューのため広島から、栃木まで行く?
ポールのコロナ明け初コンサートに、オーストラリアまで行く?

あとがきに、"皆さんの共通点は、70代を迎えた全員が現役で仕事を持ち、社会とつながり、若く、ファッショナブルでエネルギッシュなことです。実はこのことこそが、この旅の回答でした。"と締めくくられている。

まさにそう感じさせる1冊だった。
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David Foster

2024年06月23日 | Music
今日は、日中は、ゴルフ。
朝土砂降りだったが、予報が回復傾向だったので、スタート時間を後らしたら、雨は、数ホールで済み、ふだんは、50組近くいるのに、6組しかおらず、すいすい回ることができた。
ラッキー。
スコアは、平凡。



夜は、David Foster のステージ。
2回目だが、期待を裏切らないどころか、そのはるか上をいく。



メンバーは、ギターがJamie Wilson。
マレーシア在住という。
ベースは、Michael Ning。
台北在住という。
ドラムは、John JR Robinsonで、数えきれない名曲のセッションメンバー。
David Negreteは、東京在住のサックス奏者。
フルートも。
キーボードは、Boh Cooper。
超強力メンバー。
ボーカルは、まずKatharine McPhee.
奥さまだがのボーカルも最高で、今回は、観客席を回りながらの大サービス。
歌い方は、ミーシャ。
もう一人のミーシャ?は、Pia Toscanoで、セリーヌ・ディオンが嫌がったというハイ・トーンも見事に熱唱。
初来日という。
宮崎薫さんという日本人のボーカリストも。
KAORUという名前の発音に苦労していた。



途中飛び入りコーナーがあり男女2人が指名され、2人ともうまかったが、女性のレイさんは,たぶんセミプロで、ステージ上の面々、観客を驚かせた。

オスカーを逃した時の,オスカーだったトップ・ガンには、うらみ骨髄。
80年代に自然に聞いていたビッグ・ヒットの数々に、感動の連続。
Davidさんの、嫌味の感じられない自慢話に、観客席大受け。

アメリカのエンタメど真ん中を体感できた。
最高。
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ビートルズ:10のエレメンツ 1968年~1970年

2024年06月22日 | The Beatles


今日は、ゴルフ。
昨日梅雨入りしたばかりだが、今日の天気は最高。



鹿も気持ちよさそう。



終わってから、お墓参りに行ったが、紫陽花もピーク。



さて、昨日は、朝日カルチャー。
ビートルズシリーズの3回目。



全10回シリーズの3回目だが、今回で、ビートルズ時代は最後。
次回からは、解散後の話になるというユニークな講座。

藤本さんは、先週までイギリス・ドイツにいらっしゃったと思うのだが、その後、石垣島に行かれて、お土産のチンスコウをいただいた。
久し振り。

この時期の対象アルバムは、ホワイトからアビーロードまで。
レット・イット・ビーとゲット・バックを2枚と数えると、イエローサブマリンも加えて、5枚。
ただ、実質、ホワイト、レット・イット・ビー、アビー・ロードの3作で、解散にまっしぐらの時期になる。

ビートルズの現役時代で、かなり語りつくされた感もあるが、お二人の独自の考えが披露されて、興味深いセッションになった。

この時期の流れとして、ポケット・ミュージックからアンセムへと捉えられるのではという。
シングルヒットは散々出したので、これからは、もっと壮大な歴史に残るような活動をして、時代をけん引していかなくてはいけないという自負。
メロディ重視から歌詞重視の時代でもある。
そのリーダーは、ポールなのだが、歌で言えば、ジョンもGood Nightなど、名曲を連発。
メッセージ性、普遍性を強めたい中、ポールの曲は、パーソナルなラブソングが多く、ジョンに軍配が上がる?

ヘイ・ジュードと、レボリューションのシングルが典型で、ゴスペルvsブルース・ロックの構図になっている。
ステレオを意識したのもこの頃。
それまでは、モノのミックスしか立ち会わなかったのが、ステレオのミックスにも関わるようになった。
ところが驚くのは、モノとステレオ、両方買ってもらおうという金儲け?の意図があったのだという。
ホワイトアルバムは、ただでさえ、2枚組なのに。

ホワイトアルバムを1枚にしたらという議論は、よくあるが、藤本さんは、とりあえず、4人レコーディングに参加している曲(バック・イン・ザ・USSRは入れる)のみ選べば、ちょうど1枚に収まるという。
それでも、名曲は、結構もれてしまうのだが。
コラージュのポスターは、リチャード・ハミルトンという方の制作になるが、その写真は、ポール主導で選んだといい、ジョンの写真は、ひどいものが多い?

当時も、途中でリンゴが抜けたり、雰囲気をよくするためクラプトンを誘ったりという険悪な雰囲気だったとも言われるが、いろいろ研究すると、ベース・トラックを作っている時は、和気あいあいで、オーバー・ダビングを加えていく段階で、雰囲気が悪くなり、プロデューサーも匙を投げてしまうような状況にまでなってしまう。
4人の理想の音楽の違いが表に出てしまうのだろう。

マインド・ゲームズの豪華版が出る予定だが、お二人は既にお聞きになっていて素晴らしいという。
オリジナル版では、ぺちゃんこな音が、普通の?音に聞こえる。
まさに、この部分が、当時のミュージシャンの個性が出るところなのだろう。
ジョンは、特に自分の声を当時嫌っていたことは、よく知られている。

レット・イット・ビーについては、ゲット・バックで、かなりその製作過程が明らかになったので、今さら感もあるのだが、その中の傑作アクロス・ザ・ユニバースは、当時、チャリティアルバムにしか収められていなかったのだが、その製作過程がちょっと映像に残っていたため、曲不足の中、アルバムに収められることになり、今や、名作中の名作。
あの呪文は、アシュラムに入る際の合言葉とわかっているのだが、意味は、尊師に勝利あれ!ということだという。
宗教とはそういうものなのだろう。
ちなみに、そのチャリテイアルバムの発案者は、スパイク・ミリガンだったそうだ。
あの、映像がなければ、レット・イット・ビーに収められることもなかった。
途中まで、セッションもぐちゃぐちゃだったが、途中から、ルーツ・ロックを目指すというゴールが定まってきた様子がわかる。

鈴木さんは、ここで一服した方がよかったとの意見。
特に、ジョージは、ほとんどギターを弾いておらず、シタールや、ムーグに夢中だった。
ディレイを多用し、意図的に音をわからなくした?
藤本さんは、ここで一服したらその後の作品を作ることなく解散してしまったのではないかとのご意見。

ジョンとヨーコのバラ―ドは、2人で作ったが、ポールがジョンをビートルズにとどめたいという気持ちから協力したと言われている。
かつて、ナーク・トウインズというアコースティック・デュオを組んでいたことがあり、その再結成という意味もあった。
イメージ的には、数年後に結成されるウィングス+ジョン。
そのタイミングでジェフエメリックが戻ったことも大きい。
鈴木さんは、この時期まで、ジョンとポールは仲良かった説だが、藤本さんは、懐疑的。
藤本さんは、ライブが終わった段階で、解散は、不可避だったと見る。

アビーロードは、4人が最後のアルバムになるかもしれないと思いながら作った力作だが、B 面は、ほとんどポールの独壇場。
ジョンのカム・トギャザーの盗作問題は、有名だが、サン・キングも、フリート・ウッド・マックの、全米1にもなったアホウドリという曲にかな似ている。
ジョンのクリエイティビティは、かなり厳しい面もあった。

お二人の推し曲は、ユー・ノー・マイ・ネームなのだが、これは、67年5月に録音された3つのインストに音声をかぶせて作られたのだそうだ。
当初の音源は、映画のサントラ用に造られた可能性があるという。
そして、この摩訶不思議なパロディソングが作られ、レット・イット・ビーのB面に収められることになった。
ビートルスらしいと言えば、ビートルズらしい。

そして、解散となるのだが、他のバンドと同じように、マネジメント問題に端を発している。
4人は、ソロ活動を始めていたが、けんか別れすることになるとは、思っていなかったのではないかと。

もう50年以上前の話で、確認のしようもないのだが、ビートルズとしての4人の活動は、終わってしまう。
そして、ソロ活動に移るのだが、ジョンを除いて、3人のソロ活動の方が、ビートルズ時代よりも長い。

7月以降の講座も申し込んだので、楽しみ。
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ザ・ビートルズ vs ジェームズ・ボンド

2024年06月21日 | The Beatles
今日は、ゴルフだったのだが、土砂降りでキャンセル。
やっと梅雨入りした。
夜は、朝日カルチャーに行ったのだが、その話は、また後日。



本書は、本屋で見つけた。
あまりの厚さ(591ページ)にたじろいだが、面白そうだったので、ちょっと迷ってゲット。

長すぎるのが玉に瑕だが、上手く書けている。
原作者は、1971年生まれのイギリス人ということだが、よく調べてまとめている。
訳者にも脱帽。

ビートルズに関しても、ジェームズ・ボンドに関しても、同じような深さで、同じような長さで、蘊蓄を語るが、その二つの糸を、自然に絡ませて、イギリスの2大ポップカルチャーの凄さを浮かび上がらせる。

あまりにもたくさんの情報量なので、印象に残ったところのみ。

ビートルズファンは、ビートルズと007との関係で最初に思い起こすのは、HELP!だろう。
ほとんど007のパロディだから。
ただ、2つのコンテンツの接点は、そんなものではないことがわかる。

そもそもデビューのタイミングが、同時。
もちろん小説は、前からあったが、内容が結構やばくて、映画化がなかなかできなかった。
原作者のイアン・フレミングは、かなり酷い人間だったそうだ。
特に、女性蔑視が酷くて、とてもそのままには映画にできなかったが、そこを上手くかわして映画化され、ビッグヒットに繋がっていく。
途中からは、原作も尽き、映画独自のストーリーが作られるようになるが、時代の流れとともその傾向が変わってきたことは、我々も知っている。
ただ、これだけ長続きしているシリーズものは、他にない。

バンド・オン・ザ・ランのジャケット写真も、007を意識したものだが、そのメイン・アクターのクリストファー・リーは、実際の007でも活躍するとこになる。
もちろん、ポールは、007のテーマ曲を作り、大ヒットとなったが、今もコンサートのハイライト曲になっている。
バンド・オン・ザ・ランについては、もう一つ面白い話が。
まだ、冷戦中の1977年に、バンド・オン・ザ・ランが、ロシアの国営レーベルから正式発売になったのだという。
ところが、タイトルトラックが、脱獄、囚人、自由をイメージさせるとして削られてしまい、心のラブソングに差し替えられたのだという。
バンド・オン・ザ・ランのない、バンド・オン・ザ・ラン?
ジャケット写真も当然差し替えられた。

ボンド映画が私的にだが、初めて公開されたのも、その時期という。
イアン・フレミングの叔父は、クリストファー・リーの継父、つまり、従兄弟同志なのだという。
偶然にしては、できすぎているではないか。

007と言えば、ロシアのスパイが暗躍するストーリーが多いが、ポールの赤の広場でのコンサートには、プーチンも来ていたそうだ。
全然楽しそうではなかったそうだが、コンサート前の面談では、ビートルズは、自由の象徴だったと語ったという。
まだ、プーチンがこんな独裁者になるとは、みな思っていなかった頃の話だ。
例の肋骨レコードの話も出てくる。
当局は、それに対抗するため、偽肋骨レコードを大量に作り、それを聞くと、ロックを聞くと粛正するとの音声が流れたという。

007には、ストロベリー・フィールズなる人物も登場するが、すぐ無意味に殺されてしまう。
リンゴの今の奥さんは、もちろん元ボンド・ガール。
007には、Tomorrow Never Dieと題されたストーリーがあるが、これも、リンゴの造語である、Tomorrow Never Knowsから、とったものだろう。

本書を読んでいて思い出したもう一つは、ロンドンオリンピックの開会式。
エリザベス女王が、007よろしく、降下して来て、ポールがヘイ・ジュードを歌った。
まさに、イギリスのエンタメを代表する2大コンテンツの揃い踏みだったわけだ。

徹底的にマニアックだが、ビートルズか007に興味のある人であれば、ニヤリとさせられる小話満載!
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