稼プロの関係者の皆様。18期の市原です。
前回同様、未来を考察したとき、気になったことをご紹介します。住環境を検討した際のお話。
現在の最新住宅は、非常に便利で、かつ防犯面にも優れた設備が導入されています。
玄関の鍵は、非接触のICカードや指紋認証になっており、生体認証であれば、昔のように鍵をポケットから探す手間がなくなると同時に、物理的なピッキング被害はなくなります。玄関に限らず、多くの扉は、いずれ自動化するでしょう。また、水栓にはセンサーが付き、手を近づけると自動で水が流れます。
これらは、いずれも非常に便利です。特に、高齢化が進む我が国においては、欠かすことのできない設備といえます。しかし、これらによって失われるものもあります。
水栓を例に考えます(下図参照)。私が子供のころの水栓の持ち手は、“捻る”という動作が欠かせませんでした。しかし、現在は持ち上げるに代わり、この先は自動化が進めば、この動作も失われます。
この捻る動作は、現代の住宅から急速に失われています。玄関の鍵穴に鍵を刺して捻る、扉のノブをもって捻る、このいずれも、近い未来に失われます。
さらに、住宅では段差の解消が進み、転倒による事故を防ぐ設計になっています。住宅以外でも、安全性が最優先され、結果として怪我を体験しないで成長する子供も増えています。これ自体は素晴らしいことですが、以前、保育の先生がたに「最近の子供は体の動かし方を知らず、些細な事故が重大事故になる」とも伺いました。例えば、転んだ経験が少なければ、前に倒れたとき手で顔を守る動作ができない。後ろに倒れるとき、手首を捻ることができなければ、その体は支えられません。考え方次第ですが、住宅の敷居で“安全に”躓く経験は、子供の成長とって貴重な体験だったともいえます。
製品改良は、必要とされる動作数や負荷の削減などを実現します。これは体験の蓄積がある大人にとって便利でも、子供には体験の喪失です。もちろん、利便性の向上は誰もが望みますし、改良・変化にあるリスクは検証されています。ただし、大人にとって直感的にわかりやすいものが中心で、喪失リスクの検討はあまり耳にしません。声なき子供の、見えにくい喪失というリスクは、その多くが誰にも気づかれず、評価されないのではないでしょうか。
新商品開発をお付き合いする中、見えにくい喪失への検証も、時には必要なのかもしれません。これは、1歳半の娘を持つ親として、変化することの難しさを感じた気づきでした。もちろん、これに定型的な答えは存在しませんが。