命の値段、ものすごく違和感のある話です。
このような不幸なことが起きないように安全安心を確保していくことが、社会、子どもの周りにいる大人の役割・使命です。
ただ、万が一、不幸にして、その不条理が起こってしまった場合、その問題を民法上解決するために、命に値段がつけられます。
ここでは、命に値段がある現実は、いやなのですが、その現実から逃げるわけにはいきませんので、民法上の命の値段がつけられる現実を見ておきます。
不法行為によって、生命が奪われた場合の損害賠償です。
賠償額の算定は、財産的損害と精神的損害(慰謝料)からそれぞれ算出され、その合計額として算定されます。
以下の表が、わかりやすく項目を整理されています。
表の中で、 「逸失利益」という概念が用いられますが、原則以下の式で計算されていきます。
逸失利益=就労可能年齢までの平均的な総収入ー(被害者の生活費+中間利息)
逸失利益で生活費がひかれるという点が違和感があるかもしれません。
その方がもし生きていれば、出て行ったであろう生活に関わる費用が控除されるのです。
収入を得るために必要な支出ということです。(収入を失うことによる損失と支出を免れたことによる利益の間には直接の関係がある。)
就労していない子ども(男児)の場合、逸失利益の計算では、原則、平均的な総収入といってもどのような職業についているかわからないため、平均賃金(男性)をもとにした将来の全収入(18~67歳程度)から生活費を控除するという考え方がとられます。
(最判昭和39.6.24)
女児の場合、かつては女性の平均賃金をもとにされていましたが、男女合わせた全労働者の平均賃金を用いるようになってきています。(それでもなお、ある意味、男女格差が出る形となっています。)
(従来 最判昭和49.7.19 → 現在 最決平14.7.9 、東京高判 平成高判平13.8.20)
子どもの場合も、成人と同じように生活費は控除されます。
では、養育費まで控除されるのでしょうか。
最高裁判例で、養育費は、控除されないことが判事されています。
「交通事故により死亡した幼児の損害賠償債権を相続した者が一方で幼児の養育費の支出を必要としなくなつた場合においても、右養育費と幼児の将来得べかりし収入との間には前者を後者から損益相殺の法理又はその類推適用により控除すべき損失と利得との同質性がなく、したがつて、幼児の財産上の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきものではないと解するのが相当である(当裁判所昭和三六年(オ)第四一三号同三九年六月二四日第三小法廷判決・民集一八巻五号八七四頁参照)。」
(最判53.10.20、その引用元の最判39.6.24)
養育費そのものは、親の生きがいの支出であるという風な見なし方です。
亡くなった子どもの命は、還ってくることはないけれども、そういう状況の下、最高裁の思いやりともとれる判決がなされたのだと思います。
*****最高裁ホームページ*****
事件番号
昭和50(オ)656
事件名
損害賠償
裁判年月日
昭和53年10月20日
法廷名
最高裁判所第二小法廷
裁判種別
判決
結果
その他
判例集等巻・号・頁
民集 第32巻7号1500頁
原審裁判所名
福岡高等裁判所
原審事件番号
昭和49(ネ)246
原審裁判年月日
昭和50年03月27日
判示事項
一 死亡した幼児の財産上の損害賠償額の算定と将来得べかりし収入額から養育費を控除することの可否
二 将来得べかりし利益を事故当時の現在価額に換算するための中間利息控除の方法とライプニツツ式計算法
裁判要旨
一 交通事故により死亡した幼児の財産上の損害賠償額の算定については、幼児の損害賠償債権を相続した者が一方で幼児の養育費の支出を必要としなくなつた場合においても、将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきではない。
二 ライプニツツ式計算法は、交通事故の被害者の将来得べかりし利益を事故当時の現在価額に換算するための中間利息控除の方法として不合理なものとはいえない。
参照法条
自動車損害賠償保障法3条,民法709条
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319121435144330.pdf
判決文全文
主 文
一 上告人らの本訴請求中上告人らが被上告人ら各自に対し各金三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。
二 被上告人らは各自上告人らに対し各金三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。
三 上告人らのその余の上告を棄却する。
四 訴訟の総費用はこれを二分し、その一を被上告人らの負担とし、その余を上告人らの負担とする。
理 由
上告代理人古屋倍雄の上告理由第一の一について
交通事故により死亡した幼児の損害賠償債権を相続した者が一方で幼児の養育費の支出を必要としなくなつた場合においても、右養育費と幼児の将来得べかりし収入との間には前者を後者から損益相殺の法理又はその類推適用により控除すべき損失と利得との同質性がなく、したがつて、幼児の財産上の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきものではないと解するのが相当である(当裁判所昭和三六年(オ)第四一三号同三九年六月二四日第三小法廷判決・民集一八巻五号八七四頁参照)。
したがつて、交通事故により死亡した亡A(当時満一〇歳)の両親である上告人らの被上告人らに対する損害賠償請求について、亡Aの財産上の損害額の算定にあたり、その将来得べかりし収入額から養育費に相当する七七万五五八四円を控除した原判決には、法令の解釈適用を誤つた違法があるといわなければならず、右の違法は原判決の結論に影響を及ぼすことが明らかである。それゆえ、上告人らの本訴請求中上告人らが被上告人ら各自に対し右七七万五五八四円の二分一にあたる各三八万七七九二円及びこれに対する昭和四六年七月三一日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払を求める請求を棄却した部分につき、原判決を破棄し、第一審判決を取り消したうえ、上告人らの右請求を認容すべきである。
同第一の二について
原審が亡Aの将来得べかりし利益の喪失による損害賠償につき、本件事故発生時において一時にその支払を受けるものとし、年五分の中間利息を控除するために採用した所論ライプニツツ式計算法は、交通事故の被害者の将来得べかりし利益を事故当時の現在価額に換算するための中間利息控除の方法として不合理なものとはいえず、所論引用の判例(当裁判所昭和三四年(オ)第二一三号同三七年一二月一四日第二小法廷判決・民集一六巻一二号二三六八頁)は複式ホフマン式計算法によらなければならない旨を判示するものではないから、右判断と抵触するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、採用することができない。
同第一の三及び第二について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はなく、所論引用の判例に抵触するものではない。所論違憲の主張は、ひつきよう、原審の事実の認定を非難するものにすぎず失当である。論旨は、採用することができない。
よつて、民訴法四〇八条一号、三九六条、三八六条、三八四条、九六条、九二条、九三条に従い、裁判官大塚喜一郎、同吉田豊の各補足意見、裁判官本林讓の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官大塚喜一郎の補足意見は、次のとおりである。
上告理由第一の一について、私は、交通事故により死亡した幼児の損害賠償額の算定にあたりその将来得べかりし収入額から養育費を控除すべきではないとする多数意見に同調するものであるが、若干の意見を補足しておきたい。
本林裁判官の反対意見は、養育費は幼児が稼働能力を取得するための必要経費であるから、幼児の将来の得べかりし収入額からこれを控除すべきであるとし、その前提として、失われた稼働能力そのものを積極損害として評価し損害額を算定するという考え方を採るものである。たしかに、現実所得のない被害者の損害額算定については、稼働能力喪失という考えは一応の説得力を持つており、反対意見引用の判例は、この考え方をうかがわせるものと解せられないではないが、なお検討すべき未解決の問題が残されている。すなわち、この考え方を進めていくと、有職者が死亡した場合又は労働能力の全部若しくは一部を喪失したが減収額の明らかな場合に稼働能力喪失説はどう妥当するか、もし、これらの場合については従来の所得喪失説により、現実所得のない被害者については稼働能力喪失説によるとするならば、両者の理論的整合性をどのように考えるか、さらに、稼働能力の評価が抽象的・観念的に流れるおそれはないかなど、その周辺の問題をも含めて、総合的に検討すべき問題が少なくないし、稼働能力喪失説自体必ずしもまだ十分に整理されたものとはいい難いから、これを立論の前提とすることは問題があるように思われる。
以上の理由により多数意見引用の判例を変更するだけの決定的な理由は見出し難く、現段階においては、右判例の立場を維持すべきものと考える。
裁判官吉田豊の補足意見は、次のとおりである。
上告理由第一の一について、私は、本林裁判官の反対意見に対し一言したい。
幼児の養育費(教育費、生活費等)は、一般に殆んどの場合、父母その他の扶養義務者が負担するものであり、逸失利益の取得者である幼児とはその主体を異にするから、その場合損益相殺の法理を適用する余地はないのである。幼児本人がその養育費を負担するのは、父母その他の扶養義務者がおらず、しかも幼児本人が資産を有するという極めて稀な場合であつて、反対意見がこのような稀有な事象を前提として立論するのは、妥当でない。
反対意見は、幼児の養育費を幼児が稼働能力を取得するための必要経費として幼児の将来の得べかりし収入額から控除すべきであるというが、稼働能力喪失説に立つても、稼働能力の評価は、稼働能力を取得するための必要経費を要因としなければならないものではない。
仮に稼働能力を取得するための必要経費を稼働能力評価の要因とする場合でも、交通事故により死亡した幼児本人の財産上の損害額を算定するについて、幼児の将来取得すべき収入の基本である稼働能力を取得するまでに要すべき養育費を幼児の右損害額から控除することを要すると解することは、幼児本人が養育費を負担するというきわめて稀な場合を想定し、その支出を免れたことを前提とすれば、必ずしも不合理ではない。しかし、幼児の養育費は、一般に殆んど父母その他の者が負担するのであり、その場合、死亡した幼児は稼働能力を取得するまでに父母その他の者から取得すべき養育費相当額を喪失したことになるから、むしろ喪失した養育費相当額も幼児の損害額として計上すべきものとさえ考えられる。そうすると、反対意見が、幼児の損害賠償債権を相続した者が幼児の死亡にともなつて養育費の支出を免れた場合であると否とにかかわらず、死亡した幼児本人の財産上の損害額を算定するについて養育費を控除すべきであるとするのは、理論が一貫しない。
幼児の養育費は父母その他の者が負担するのが一般であるのに、なお幼児の養育費をその稼働能力を取得するための必要経費として、その稼働能力に基づく収入からこれを控除すべきものとすれば、成人が死亡した場合においても、その稼働能力を取得するために要した養育費は、これをその収入から控除すべきものとしなければならないのに、反対意見の趣旨はこれを否定する。したがつて、反対意見が幼児の死亡の場合にのみ養育費を控除することを要するとすることは、むしろ成人の死亡の場合との均衡を失することになるのではないかと思う。
なお、幼児の交通事故による損害賠償額の算定として逸失利益から養育費を控除するという考え方は、加害者と被害者との損害負担の衡平を図るための便法にすぎない面のあることを否定しえないと思われるのであるが、保険制度の発達等社会経済の成長をみるにいたつた今日においては、幼児の養育費を控除することによつて損害賠償額の多額化を抑制することは、必ずしも右の衡平を得るゆえんではないといわなければならない。
裁判官本林讓の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告理由第一の一について、多数意見とは異なり、交通事故により死亡した幼児の財産上の損害額を算定するにあたつては、養育費を控除すべきものであると考える。すなわち、幼児のように現実に所得がなく、不確定な要素の多い被害者については、失われた稼働能力そのものを積極損害として評価し、損害額を算定すべきであり(当裁判所昭和四四年(オ)第五九四号同四九年七月一九日第二小法廷判決・民集二八巻五号八七二頁はこの立場によるものと考える。)、幼児が稼働能力を取得するまでに要すべき生活費、普通教育を受けるための費用等の養育費についても、これを稼働期間中の生活費に準ずる必要経費として幼児の将来の得べかりし収入額から控除することを要すると解するのが相当である。けだし、幼児は、死亡当時においては稼働能力をもたない未完成の状態にあるにもかかわらず、既に稼働能力を有する成人が死亡した場合と同様に将来の得べかりし収入額から稼働期間中の生活費等の必要経費のみを控除した額をもつてその財産上の損害額とし、幼児が稼働能力を取得するためにはそれまでの間の養育費を必要とするはずであつたことをまつたく考慮しないのは、成人が死亡した場合との均衡を失することとなり、相当ではないからである。右に述べたところは、死亡した幼児の財産上の損害を算定するについての法理であつて、右損害賠償債権を相続した者が幼児の死亡にともなつて養育費の支出を免れた場合であると否とにかかわらずその適用をみるものであることはいうまでもない。
なお、吉田裁判官の補足意見のうち、成人死亡の場合との不均衡を指摘される点につき一言する。養育費の控除は、幼児の将来うべかりし財産上の損害額を算定するためのものであるから、控除すべき養育費も事故後成人に達するまでの間のそれであり、事故前の養育費を含まない趣旨であることは当然である。したがつて、成人が死亡した場合には、養育費を控除する問題は起こる余地がないのである。
以上の理由により養育費を控除すべきでないとする当裁判所の判例(昭和三六年(オ)第四一三号同三九年六月二四日第三小法廷判決・民集一八巻五号八七四頁)は変更すべきである。
これと結論において同旨の見地に立つて、亡Aの財産上の損害額の算定にあたり、その将来の得べかりし収入額から養育費に相当する金額を控除すべきものとした原審の判断は正当として是認することができる。よつて、本件上告は棄却すべきものと考える。
最高裁判所第二小法廷
裁判長裁判官 大塚喜一郎
裁判官 吉田 豊
裁判官 本林 讓
裁判官 栗本一夫
********************************************
事件番号
昭和36(オ)413
事件名
損害賠償等請求
裁判年月日
昭和39年06月24日
法廷名
最高裁判所第三小法廷
裁判種別
判決
結果
その他
判例集等巻・号・頁
民集 第18巻5号874頁
原審裁判所名
名古屋高等裁判所
原審事件番号
原審裁判年月日
昭和36年01月30日
判示事項
事故により死亡した幼児の得べかりし利益の算定は可能か。
裁判要旨
事故により死亡した幼児の得べかりし利益を算定するに際しては、裁判所は、諸種の統計表その他の証拠資料に基づき、経験則と良識を活用して、できるかぎり客観性のある額を算定すべきであり、一概に算定不可能として得べかりし利益の喪失による損害賠償請求を否定することは許されない。
参照法条
民法709条
判決文全文
主 文
原判決中、得べかりし利益の損害賠償請求につき原審の認容した部分を破棄する。
右破棄にかゝる部分について、本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。
上告人らのその余の上告を棄却する。
前項の部分に関する上告費用は上告人らの負担とする。
理 由
上告代理人三宅厚三の上告理由第一点について。
(一) 上告人らは、論旨一、において、総論的に、本件のごとく被害者が満八才の少年の場合には、将来何年生存し、何時からどのような職業につき、どの位の収入を得、何才で妻を迎え、子供を何人もち、どのような生活を営むかは全然予想することができず、したがつて「将来得べかりし収入」も、「失うべかりし支出」も予想できないから、結局、「得べかりし利益」は算定不可能であると主張する。なるほど、不法行為により死亡した年少者につき、その者が将来得べかりし利益を喪失したことによる損害の額を算定することがきわめて困難であることは、これを認めなければならないが、算定困難の故をもつて、たやすくその賠償請求を否定し去ることは妥当なことではない。けだし、これを否定する場合における被害者側の救済は、主として、精神的損害の賠償請求、すなわち被害者本人の慰藉料(その相続性を肯定するとして)又は被害者の遺族の慰藉料(民法七一一条)の請求にこれを求めるほかはないこととなるが、慰藉料の額の算定については、諸般の事情がしんしゃくされるとはいえ、これらの精神的損害の賠償のうちに被害者本人の財産的損害の賠償の趣旨をも含ませること自体に無理があるばかりでなく、その額の算定は、結局において、裁判所の自由な裁量にこれを委ねるほかはないのであるから、その額が低きに過ぎて被害者測の救済に不十分となり、高きに失して不法行為者に酷となるおそれをはらんでいることは否定しえないところである。したがつて、年少者死亡の場合における右消極的損害の賠償請求については、一般の場合に比し不正確さが伴うにしても、裁判所は、被害者側が提出するあらゆる証拠資料に基づき、経験則とその良識を十分に活用して、できうるかぎり蓋然性のある額を算出するよう努め、ことに右蓋然性に疑がもたれるときは、被害者側にとつて控え目な算定方法(たとえば、収入額につき疑があるときはその額を少な目に、支出額につき疑があるときはその額を多めに計算し、また遠い将来の収支の額に懸念があるときは算出の基礎たる期間を短縮する等の方法)を採用することにすれば、慰藉料制度に依存する場合に比較してより客観性のある額を算出することができ、被害者側の救済に資する反面、不法行為者に過当な責任を負わせることともならず、損失の公平な分担を窮極の目的とする損害賠償制度の理念にも副うのではないかと考えられる。要するに、問題は、事案毎に、その具体的事情に即応して解決されるべきであり、所論のごとく算定不可能として一概にその請求を排斥し去るべきではない。
(二) よつて、以上の観点に立ちながら、進んで、上告人らが、論旨二、以下において各論的に、原判決の算定方法の違法を主張する諸点につき判断することとする。
(い) 上告人らは、まず、原審が、統計表に基づいて余命年数を求め、二〇才から五五才まで三五年間を稼働可能期間とし、国民の収入及び支出の平均又は標準を示すものとは認められない判示諸表によつて「得べかりし収入」と「失うべかりし支出」を想定して「得べかりし利益」を算出しているのは不合理であると主張する。
(イ) 稼働可能期間について。
しかしながら、原審は、本件被害者らは、本件事故当時満八才余の普通健康体を有する男子であること、判示統計表により同人らの通常の余命は五七年六月余であり、二〇才から少くとも五五才まで三五年間は稼働可能であることを認定しているのであり、右認定は、平均年令の一般的伸長、医学の進歩、衛生思想の普及という顕著な事実をも合せ考えれば、相当としてこれを肯認することができ、この点に所論のごとき不合理は認められない。
(ロ) 収入額について。
つぎに、原審は、本件被害者らは、右稼働可能期間中、毎年、判示証拠資料により認めうる昭和三三年四月から九月までの間のわが国における通常男子の一ヵ月の平均労働賃金二万六四八円、元年分にして二四万七七七六円の金額を下らない収入を得べきものと推認し、その年収額から後出の支出年額を控除した額を基準としてホフマン式計算方法による一時払いの損害額を算出しているのであるが、被害者らがいかなる職業につくか予測しえない本件のごとき場合においては、通常男子の平均労賃を算定の基準とすることは、将来の賃金ベースが現在より下らないということを前提にすれば、一応これを肯認しえないではないが、収入も一応安定した者につき、将来の昇給を度外視した控え目な計算方法を採用する場合とは異なり、本件のごとき年少者の場合においては、初任給は平均労賃よりも低い反面、次第に昇給するものであることを考えれば、三五年間を通じてその年収額を右平均労賃と同額とし、これを基準にホフマン式計算方法により一時払いの額を求めている原審の算出方法は、これを肯認するに足る別段の理由が明らかにされないかぎり、不合理というほかはないところ、原判決はこの点につきなんら説明するところがないので、少くとも右の点において原判決には理由不備の違法があるものといわなければならない。
(ハ) 支出額について。
(A) 原審は、本件被害者らの稼働可能期間中における毎年の生活費は、判示証拠資料により認めうる昭和三三年度における勤労者の平均世帯(世帯員数四・四六人)の実支出額一カ月三万六三八円、一人平均六八六九円、その元年分である八万二四二八円と同額と認めるのを相当としているところ、上告人らは、本件被害者らは何時結婚し、何人の子供をもち、いかなる生活を営むか不明であるばかりでなく、世帯主の生活費は他の世帯員のそれより多いことは経験則上顕著であるから、世帯の支出額を均分したものを世帯主と認められる被害者らの生活費とすることは不合理であると主張する。ところで、被害者らが独身で生活するという特別の事情が認められない本件のごとき場合においては、平均世帯を基準として被害者ら各自の生活費を算出すること自体は、一応これを肯認しえないではないが、原判決が、首肯するに足る理由をなんら示すことなく、右三五年間を通じて被害者らの生活費が昭和三三年度の前示生活費と同額であるとしていること、及び前示世帯の支出額を世帯員数で均分したものが被害者ら(男子であり、世帯主となるものと推認される)の生活費であるとしているのは、理由不備の違法があるものといわなければならない。
(B) 上告人らは、さらに、論旨二の後段において、被害者らの収入からは、被害者本人の生活費のみならず、被害者らの負担すべき扶養家族の生活費をも控除すべきであると主張するが、収入から被害者本人の生活費を控除するのは、本人の生活費は、一応、収入を得るために必要な支出と認められるからであるが(収入を失うことによる損失と支出を免れたことによる利益の間には直接の関係がある)、扶養家族の生活費の支出と被害者本人の収入の間には右のごとき関係はなんら認められないのであるから、扶養家族の生活費の額は、収入額からこれを控除すべきではなく、この点に関する原判旨は、簡に失しているが、結論において正当であり、所論は採用し難い。
(C) 上告人らは、また、論旨三において、被害者らの得べかりし収入額から、稼働可能期間経過後(五五才より後)に被害者らが支出すべかりし生活費を控除すべきであると主張するが、右支出も前記収入と前述のごとき直接の関係に立つものでないばかりでなく、五五才を超えても無収入であるとはかぎらず、また、第三者による扶養もありうることであるから、その間の生活費を前記収入から当然に控除しなければならない理由はない(二〇才までの期間における生活費についても同様であり、上告人らも右生活費を右の意味において控除すべしとは主張していない)。この点に関する原判旨もまた簡に失しているが、結局において正当であり、所論は採用しえない。
(D) 上告人らは、さらに二〇才ないし五五才を基準として損害額を算定すれば、一才の幼児が死亡した場合と一八・九才の青年が死亡した場合とでは、その「得べかりし利益」は同額となり、二五・六才以上の成年が死亡した場合のそれは、一才の幼児が死亡した場合のそれより少額となつて不合理であると主張するが、所論は、ホフマン式計算方法を度外視し、かつ、稼働可能期間の長短を忘れた議論であり、採用のかぎりでない。
(E) 上告人らは、また、論旨三において、本件損害賠償請求権を相続した被上告人らは、他面において、被害者らの死亡により、その扶養義務者として当然に支出すべかりし二〇才までの扶養費の支出を免れて利得をしているから、損益相殺の理により、賠償額から右扶養費の額を控除すべきであると主張するが、損益相殺により差引かれるべき利得は、被害者本人に生じたものでなければならないと解されるところ、本件賠償請求権は被害者ら本人について発生したものであり、所論のごとき利得は被害者本人に生じたものでないことが明らかであるから、本件賠償額からこれを控除すべきいわれはない。所論は、採用に価しない。
(ろ) なお、上告人らは、論旨四において、原判決のホフマン式計算方法の適用の誤りを主張するが、不法行為による損害賠償の額は、不法行為時を基準として算定するのを本則とするのであるから、原審が、ホフマン式計算方法を適用するについて本件事故の時を基準とし、その時における一時払いの額を算出したのは正当である。所論は、ひつきよう、独自の見解の下に原判決を非難するものであり、採用のかぎりでない。
(三) 以上、要するに、本訴請求中、得べかりし利益の喪失による損害の賠償を求める部分については、原判決に少くとも前示のごとき諸点につき理由不備の違法があることが明らかであり、所論は、結局において理由があるので、原判決は、右限度において破棄を免れない。
同第二点について。
上告人らは、原判決が損害額を算定するにつき、被上告人らの監督義務者としての過失をしんしやくしなかつたのは違法であると主張するが、原審認定の事実関係の下においては、被上告人らに監督上の過失が認められないとした原審の判断は、これを肯認しえないではない。所論は、ひつきよう、原審の認定しない事実に基づき又は独自の見解の下に、原判決を論難するに過ぎないものであり、採用し難い。
よつて、民訴四〇七条、三九六条、三八四条、九五条、九三条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
最高裁判所第三小法廷
裁判長裁判官 横 田 正 俊
裁判官 石 坂 修 一
裁判官 五 鬼 上 堅 磐
裁判官 柏 原 語 六
裁判官 田 中 二 郎
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