「中央区を、子育て日本一の区へ」こども元気クリニック・病児保育室  小児科医 小坂和輝のblog

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「独り視る まだ居るんだぞ 昼の月」ふじやん 昼の月を美しいと感じたことはなかったけれど、詠み人の生きる強い力に美を感じます。折々のことばより。

2022-05-28 09:23:49 | 令和の徒然草

 「独り視る まだ居るんだぞ 昼の月」ふじやん 折々のことば 2022.5.28 

 昼の月を美しいと感じたことはなかったけれど、この句を詠んだ人の生きる力に美しさを感じます。

 兼好さんも、昼の月をどう感じておられたかはさておき、月を愛でる気持ちが湧くのは、曇りのない満月ではない旨、述べられていました。(『徒然草』第137段)




*********徒然草 代137段*******

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨にむかひて月を戀ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。歌の詞書にも、「花見に罷りけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて罷らで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。

 萬の事も、始め終りこそをかしけれ。男女の情も、偏に逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜をひとり明し、遠き雲居を思ひやり、淺茅が宿に昔を忍ぶこそ、色好むとはいはめ。

 望月の隈なきを、千里の外まで眺めたるよりも、曉近くなりて待ちいでたるが、いと心ぶかう、青みたる樣にて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたるむら雲がくれのほど、またなくあはれなり。椎柴・白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身にしみて、心あらむ友もがなと、都こひしう覺ゆれ。

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