超マイペースなひとは、今から700年前の徒然草の中でも登場しています。
友人たちとの読書会で話題になりました。
しかし、最後の文章にあります。
「人に厭はれず、萬許されけり。徳の至れりけるにや。」
「徳」があったから、みんな許したようです。
その「徳」の境地とは、なんだったのだろうか。。。
*********徒然草 第60段*******
https://tsurezuregusa.hatenablog.jp/?page=1510072920
眞乘院に、盛親僧都とて、やんごとなき智者ありけり。芋頭といふ物を好みて、多く食ひけり。談義の座にても、大きなる鉢にうづたかく盛りて、膝もとにおきつゝ、食ひながら書をも讀みけり。煩ふ事あるには、七日、二七日など、療治とて籠り居て、思ふやうによき芋頭を選びて、ことに多く食ひて、萬の病をいやしけり。人に食はすることなし。たゞ一人のみぞ食ひける。極めて貧しかりけるに、師匠、死にざまに、錢二百貫と坊ひとつを讓りたりけるを、坊を百貫に賣りて、かれこれ三萬疋を芋頭の錢と定めて、京なる人に預けおきて、十貫づゝ取りよせて、芋頭を乏しからずめしけるほどに、また、他用に用ふる事なくて、その錢皆になりにけり。「三百貫のものを貧しき身にまうけて、かく計らひける、誠にあり難き道心者なり。」とぞ人申しける。
この僧都、ある法師を見て、「しろうるり」といふ名をつけたりけり。「とは、何ものぞ」と、人の問ひければ、「さる者を我も知らず。もしあらましかば、この僧の顔に似てん」とぞいひける。
この僧都、みめよく、力強く、大食にて、能書・學匠・辯説、人にすぐれて、宗の法燈なれば、寺中にも重く思はれたりけれども、世を輕く思ひたる曲者にて、萬自由にして、大かた人に隨ふといふ事なし。出仕して饗膳などにつく時も、皆人の前据ゑわたすを待たず、我が前に据ゑぬれば、やがて獨り打ち食ひて、歸りたければ、ひとりついたちて行きけり。齋・非時も、人に等しく定めて食はず、我が食ひたき時、夜中にも曉にも食ひて、睡たければ、晝もかけ籠りて、いかなる大事あれども、人のいふこと聽き入れず。目覺めぬれば、幾夜も寝ねず。心を澄まし嘯きありきなど、世の常ならぬさまなれども、人に厭はれず、萬許されけり。徳の至れりけるにや。
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