北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

忘れ物に見る社会のセーフティネット

2012-08-10 23:45:55 | Weblog
 釧路からの最終のスーパーおおぞらで札幌へ帰ってきました。

 今日の北海道は局地的に大雨が降っていて、釧路到着時に既に1時間40分遅れ。

 乗車してからも大雨のために帯広で数十分足止めを食らうなど遅延の連続で、結局札幌に着いたのは夜の1時15分。まあとにかくついてくれて良かったです。


 【アメでは遅れても仕方がありません】


    ※    ※    ※    ※


 さて、乗車の時点で荷物をナオしたりしてちょっとドタバタしてしまったために、釧路駅で荷物を一つ置き忘れてしまいました。

 そしてそれに気づいたのは乗車してから1時間後のこと。

 焦りながら釧路駅の電話番号を調べて忘れ物がないか連絡をしてみると、「はい、届いています」とのこと。

 本当にホッとしました、日本で本当に良かった。

 他の国では忘れ物や置き引きに遭うのも自己責任の範囲で、
「盗られる方が悪い」というのが当たり前。

 もしも物は盗まれるのが当たり前の国で生活していたら、もっと荷物の管理に注意をしたかも知れませんし、自分の中にどこかで(なくしても出てくるだろう)という甘えがあったのでしょうか。

 しかしやはり、いざ忘れ物をしてみると、無くしたものがちゃんと届けられている社会にいることに感謝したいと思います。

 自分の力が今ひとつ及ばなかったときに、社会がそれを補ってくれることは幸せです。

 日本では高度な公共心によって、忘れ物一つでも持ち主に届くことは社会にセーフティネットが効いていると言えるでしょう。


 消費税を上げる法律が成立しました。

 これによって平成14年には今の5%から8%へ、15年には8%から10%になるとのこと。

 現在の水準の社会保障は多くの借金によって支えられていることと、それが後世の負担になりかねないということを考えあわせると、何らかの増税はこれからの日本に必要なことだと思います。

 また時期が悪いのではないか、という意見には、政治的力学が増税を許す機会というのはそう簡単に訪れるものではなく、この機会を逃すべきではないと思います。

 社会保障は健康で労働で収入を得ている人には無縁かも知れませんが、一度自分の努力の及ばないところで日常が崩れたりあるいは高齢者として社会にお世話になる時のことを考えると、セーフティネットとしてしっかり機能してくれていなくてはなりません。

 将来に安心をもたらして、より健全な社会作りに一人ひとりがあらゆる面で参加と協力をしたいものです。

 
コメント
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