北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

真のスポーツ精神とは

2012-08-02 23:45:14 | Weblog
 今日の釧路は午後からぐっと冷えてきました。

 幣舞橋のたもとにあるビルの温度計はなんと14℃、まさにヒア(冷)ガーデンに相応しい寒さです。

 今日も熱燗は売れたでしょうか?


 【14℃が見えますか?】


    ※     ※     ※     ※     ※


 ロンドンオリンピックの生放送は、連日深夜に及び、睡眠不足に悩む日本国民はさぞ多いことでしょう。

 体操男子個人総合では内村航平選手が28年ぶりの金メダルを獲得し、日本中が沸きました。

 「美しい体操をする」ということが彼の演技の目的で、金メダルはそのご褒美ということでしょうか。

 中世から近世のイギリスでは、貴族が自分の領地内に住む住民に対して、自分で食べるために動物を獲るのはお構いなし、しかし遊びとして動物を獲るのは厳しく禁止していたと言います。

 つまり、生業としてのハンチングは庶民のものでしたが、スポーツハンチングは貴族のものということ。

 貴族が自分自身の優越性を示すエピソードですが、遊びのために知恵を使い、肉体を使い、道具を使い、スキルを身に着けるという精神は、現在のスポーツ精神にしっかりと生きています。

 近代とは、こうした上流階級に許された世界を庶民が獲得し世俗化させてきた過程でもあります。

 世俗化を許さず、自らにもルールを課したという意味で、イギリス貴族の世界には、日本でいう「道」の世界と共通し共感できるところが多いようにも思われます。

 結果としての勝負にこだわるようになると、ズルやドーピングを始め、勝てば何でもよいという風潮が生まれ、それ自身がスポーツ精神からはかけ離れているということを再度確認した方が良いかもしれません。

 サッカーなでしこジャパンは移動による疲労を避けるために引き分けでも良しとしましたが、これは下手をすると負ける可能性があるわけで、立派な戦略の範囲。

 一方女子バドミントンではトーナメントでより有利な組み合わせに入ろうとして、サーブをことごとくミスするという負け狙いの試合運びに対して厳しい処分が出たということでした。

 純粋に理想の体術をするということを目的としたスポーツ精神は甘いのでしょうか。

 現実はそうではないとしても、その精神は誰かが唱え続けていつか実現する理想として掲げるのが日本らしいのかもしれません。

 まだまだ日本人の登場する種目はあります。

 日本らしい戦いぶりで金メダルを狙ってほしいものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする