釧路での人生の大先輩である於島廣明さんが亡くなられました。
私が釧路へ来た時にとても喜んでくれた方の一人で、おしゃれですぐに打ち解けてお話のできる方でした。
釧路では若い時に青年会議所でも活躍され、独特の風景画作家としても知られていました。
私は「致知」という月刊誌を愛読していますが、共に致知を読む於島さんと話をしているうちに、釧路くらいの大きな都市に「致知」を読みあう木鶏の会がないのは寂しいね、という話になり、「とにかく知り合いだけ集まって立ち上げましょう」と友達に声をかけてくれた世話人の一人でした。
とても勉強熱心な方で、分からないことがあるとすぐに調べて教えてくれる向学心は最後まで衰えませんでした。
様々な会の事務局を引き受けて友達の多い方でもありました。
◆ ◆ ◆
入院されたと聞いた年末にお見舞いに訪ねたら、自分の生を終えるためのノートを作っていて、「小松さん、もう本行寺のお坊さんに来てもらって戒名を決めましたよ」と笑っていました。
葬儀委員長も決め、「葬儀委員には名前を貸してね」とも。
自分の人生が残り少ないと分かっていたとしてどれくらいのことができるのかと思うと潔く、覚悟を決めた日々でした。
生き方のお手本だけど自分はその通りにできるかと自問してもまだ自信はありません。
話をするときに、ちょっと首をすくめながらニヤッと笑う癖がありました。
今こうしてみると、フェイスブックなどにはまだ元気だったころの思い出が掲載されています。
とても残念で悲しい日となりました。
故人の冥福を心からお祈りします。 合掌
私が釧路へ来た時にとても喜んでくれた方の一人で、おしゃれですぐに打ち解けてお話のできる方でした。
釧路では若い時に青年会議所でも活躍され、独特の風景画作家としても知られていました。
私は「致知」という月刊誌を愛読していますが、共に致知を読む於島さんと話をしているうちに、釧路くらいの大きな都市に「致知」を読みあう木鶏の会がないのは寂しいね、という話になり、「とにかく知り合いだけ集まって立ち上げましょう」と友達に声をかけてくれた世話人の一人でした。
とても勉強熱心な方で、分からないことがあるとすぐに調べて教えてくれる向学心は最後まで衰えませんでした。
様々な会の事務局を引き受けて友達の多い方でもありました。
◆ ◆ ◆
入院されたと聞いた年末にお見舞いに訪ねたら、自分の生を終えるためのノートを作っていて、「小松さん、もう本行寺のお坊さんに来てもらって戒名を決めましたよ」と笑っていました。
葬儀委員長も決め、「葬儀委員には名前を貸してね」とも。
自分の人生が残り少ないと分かっていたとしてどれくらいのことができるのかと思うと潔く、覚悟を決めた日々でした。
生き方のお手本だけど自分はその通りにできるかと自問してもまだ自信はありません。
話をするときに、ちょっと首をすくめながらニヤッと笑う癖がありました。
今こうしてみると、フェイスブックなどにはまだ元気だったころの思い出が掲載されています。
とても残念で悲しい日となりました。
故人の冥福を心からお祈りします。 合掌