新聞とネットに関する興味深い記事を二つ読みました。
一つ目は、「edgefirstのメモ」というブログで紹介されていた、
「朝日・木村社長『電子版は春に10万達成』『若者に紙は届かない』『デジタルに対応できない記者は仕事を失う」というタイトルの記事。 →記事はこちら http://bit.ly/W8LZij
内容は、1月9日付の業界紙・新聞情報に掲載されていた朝日新聞社木村社長が年頭あいさつの中で朝日新聞のこれからのデジタル戦略について語った、というものです。
ブログ主は、木村社長が、「反語を用いた遠回しな表現ながら、『デジタルネイティブ世代に紙の新聞は読まれない』ということを示唆している。朝日新聞社のトップがこういうことを発言する以上、もはや朝日は将来的に『紙』にこだわらない体制に舵を切ったと言えるのではないだろうか」と書き、「今回の年頭あいさつで一番驚いた部分がここである」と驚きを隠しません。
引用文の中では、木村社長は、「朝日新聞記者であることを明かしてツイッターを取材・発信に使う「つぶやく記者」はこの1年で約60人になりました」と言い、「…新聞の締め切りは朝刊、夕刊の2回ではなく、24時間です。厳しい言い方になりますが、紙媒体に書くことだけこだわる記者は数年後には仕事がない、くらいに思っていただかなければなりません」と言ったとされています。
天下の朝日新聞が、もはや紙の新聞は読まれないと覚悟したうえでネット展開を模索しそうだというのが最初の記事の驚きです。
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そしてもう一本は、東洋経済オンラインの、「なぜ新聞は『紙』でないと儲からないのか?」と題された記事。まさに上記の朝日の社長の意見と真っ向から対立する意見です。
記事はこちら → http://bit.ly/W8IOqQ
この記事の中では、ニューヨークタイムス(NYT)のネット取り組みが紹介されていて、曰く、「(ネット契約者が次第に増えている状況…といっても53万人くらいだそうだ)…に自信を深めたNYTは、12年4月1日から、ペイウォールをこれまで以上に高くした。無料で読める記事の本数を、それまでの月20本から10本に減らしたのである。ちなみに、このような課金方法を「メーター制課金」(従量課金方式)と呼ぶ」ということなのだそう。
つまり、ただでも読める記事は本数を限って、ちゃんとお金を払った人にだけ全部の記事が読める課金システムにしたというのです。
しかしこれでは新聞社としての収益は改善しなかったようで、その理由として記事は、①紙よりもネットは購読料が安いこと、②ネット版では紙よりも広告収入が圧倒的に落ちるということ、を挙げています。
確かに、紙の新聞ならどうしても広告の部分に目が行くことがあったり、チラシをつい見てしまうということがありますが、ネットでの広告ほどウザいものはありませんからまず見られません。
東洋経済の記事はさらに、『ビジネスインサイダー』の記事を紹介する中で、「『この数字がなぜNYタイムズがジャーナリストをクビするのかを示している』というタイトルで、プリント版とデジタル版の収益構造について分析している」
【「編集者を非難するな、彼女のせいじゃない」とある】
「この記事によると、NYT紙では、プリント版の読者1人につき、1年で平均650ドルの購読料(毎月50ドル強。日曜版を取るとそれ以上)と450ドルの広告収入が得られる。しかし、デジタル版だと1年の平均購読料は150ドルであり、広告収入は25ドルにしかならない」
…とまあ、いかにデジタル化は実物の紙媒体に比べると儲からない構造になっているかを明らかにしています。
東洋経済の記事は、最後を「やはり紙に立脚した新聞というメディアは、ビジネスとしてはもう終わったと見るべきなのだろうか? 『このままでは、プリント版のNYTはいずれなくなるだろう』という見方が、日ごとに現実になっていく」と結んでいますが、これが現実になるとまたいろいろな変化が起きてくるかもしれません。
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さて、というわけで、朝日新聞の社長が言うように、「これからはデジタル化を進めるぞ、みんなついてこい!」と決意を新たにしても、その先には具体的な勝利のための戦略が見えているかどうか不明です。
NYTと同じように、収入構造のなかの広告料の部分を補えるような付加価値を何に求められるでしょうか。まあそれが新しいビジネスチャンスなのかもしれませんが。
また、朝日の社長が言う、「デジタルに対応できない記者は生き残れないぞ」というのは、かなり勘違いしているのではないかと思います。
問題は記事を書く記者にはなくて、それをお金に換えてビジネスにする販売モデルのところが問題になっているというのに記者のせいにしてどうするのか、という事です。
続いて「朝日新聞を名乗ってツイッターができないようじゃ首になるかもよ」とも言っていますが、ツイッターのように裏付けのない記事はたとえ新聞記者を名乗ってもお金にはなりません。単なる無料の落書きであるだけ。
書かれた記事の信ぴょう性を保証してもらうためにわざわざ人はお金を払って新聞を取っているのに、です。
私が考える新聞販売ビジネスモデルとは、記事の裏付けと信ぴょう性に対価を払ってくれる読者がいて、その読者に記事を読んでもらうついでに見てもらえる広告スペースを売ることで、新聞全体の収入を確保するということで成立してるのではないでしょうか。
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情報はどんどん無料の方向に流れていますが、2チャンネルなどの書き込みも、「ソース(出展元)を示せ」と言われ単なる噂話は無視される時代。
情報のソースとなる新聞社の記事がそもそも出なくなるかもしれないというのは高度情報時代の一つの危機です。
信頼できる情報というのは一つの重要な資源ですから、これに対価を払って維持するシステムは何らかの形で残らないといけないはずです。
さてデジタル化に舵を切ろうとする朝日新聞の今後の戦略に注目です。
そもそも紙じゃないと、釧路も困るのです、はい。