北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

人生は梅の花のように

2013-01-04 23:45:33 | Weblog
 午前の汽車で釧路へ戻ってきました。

 途中トマムあたりは雪が降っていましたが、帯広から釧路へかけては道東らしい快晴が広がっています。

 やはり冬の道東はこうでなくては、ね。


     ◆ 

 
 釧路では早速、知人との新年会に誘われて、夜遅くまで酒を酌み交わしました。

 人生の大先輩を相手にして、「長年釧路に住まわれて、釧路のまちをどのようにしたら良いと思われますか」と無鉄砲な質問をぶつけてみました。

 本当は私が答える側であるはずですが。

 するとその大先輩は、「江戸時代に梅の盆栽が流行ったんですよ」と言います。

「樹木と言えば、大木になるものこそが良木だと思っている人が多いでしょう。しかし灌木には灌木なりの良さがあるんです」
「はい」

「梅は上手に剪定をすることで小さな鉢に収まる盆栽になります。そして冬の風雪に耐えて、春になると一番に咲く。しかも可憐な花を咲かせて香りもすばらしいと来ている」
「なるほど…」

「釧路市民も、一人一人が大木を目指さなくても、自分の伸びるところを伸ばし、増長してしまうようなところは剪定をするように自分を律する。そうして風雪に耐えて良い香りを振りまくように花を咲かせる。そういう市民になればいいとおもうんです」





   ◆   ◆   ◆

 
 梅は『好文木(こうぶんぼく)』とも言われます。

 それは昔、晋の武帝が学問に親しむと花が開き、学問をやめると花が開かなかったという故事に由来する物語からのこと。

 桜が花見の対象になってくるのは平安中期以降と言われで、古来、春の花見と言えば元々は梅の花のことでした。

 大きくなることを目指すだけが良いわけではなく、風雪に耐えて花開き、例え身は小さくとも納まるべきところに納まる。

 そして学問を好み周りを芳香で潤す。

 一人一人がそんな梅の花のような凛とした生き方を目指したいものです。

 どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
コメント
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