日本最北端の稚内市の郊外、ひっそりとした丘陵の林を切り開いた場所にそれはあります。
通称「稚内赤れんが通信所」と呼ばれるその建物群は、正式には「旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所という長い名前をもっています。
今はもう使われていない3棟立ての建物群ですが、昭和16年12月8日にハワイ真珠湾の奇襲で火蓋を切った太平洋戦争。
当時の日本海軍連合艦隊司令部は、その開戦の暗号として「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ヒトフタマルハチ)」という電文を発信しました。
実際には国内のいくつかの通信所から相次いで発信されたようですが、その一つがこの稚内に残る赤れんが通信所なのです。
私も稚内で勤務していた平成27年11月に現地を視察していますが、すでに建物のかなりの部分が朽ち果てた状態になっていました。
〈北の心の開拓期 2015-11-10 稚内の戦争遺跡~「ニイタカヤマノボレ」の赤レンガ通信所〉 http://bit.ly/2CUbQWw
【2015年当時の様子】
稚内市内で歴史を研究する「稚内市歴史・まち研究会」では、この稚内の歴史を物語る建物を保存活用することを目指して平成18年より活動を開始。
しかし建物の規模が大きく、なかなか手が付けられずにいたなか平成23年の大雪で望楼を有して特徴的なB棟の屋根が崩れ落ち危険な状態になっていました。
太陽財団などいくつかの寄付などを得て修復に努めてきたこの建物ですが、傷みがひどくこの際、最も特徴的な望楼の望楼周辺だけでも屋根を葺きこれ以上の崩壊を防ぎたいと、クラウドファンディングで資金を集めるプロジェクトが始まりました。
稚内に縁のある方はもちろん、北海道の歴史遺産に関心がおありの方、稚内のファンの方など、広く皆さんのご協力を募ります。
地域で頑張っている人たちに、遠くからエールをお届けください。
【赤れんが通信所修復プロジェクト】 https://actnow.jp/project/wakkanai_akarenga/detail