今回のコロナウィルスは、現代資本主義への痛烈なしっぺ返しに見えます。
経済的な利益を得ようとするエネルギーを糧にして規模を拡大させ技術を発展させてきた現代社会。
省みればその経済的豊かさの恩恵を受けてきた現代社会ですが、その豊かさを求めようとする欲には限界がなく、どこまでもそれを追い求めることが善という考え方が強く滲み出ています。
効率的に儲けようと思うと、資源を効率的に運営することが必要になり「生産性の向上」ということが強く求められます。
生産性向上の源泉の一つは「集積」であり、都市への経済集積は必然となります。
ある論文では集積の重要なメカニズムとして、①輸送費用の軽減、②都市における労働市場の大きさ、③都市におけるアイデア流通の三つを挙げていますが、これらのほかに、「競争と選別のメカニズムによって生産性の低い企業は残れない」という現実もあるでしょう。
こうした都市に人が集まることがヒトヒト接触の確率を増やしてウィルス感染の確率も上げる形になっています。
また、都市では1次産業、2次産業に比べて、サービス業などの3次産業が隆盛になります。
特に日本をはじめとする先進国ではモノからサービスへと消費先が変わってゆき、3次産業が隆盛になります。
そして今日、農林水産業の1次産業、製造業などの2次産業では機械化が進み資本を投入することで生産性が向上しているのですが、3次産業は人手によるサービスが中心で生産性が低いのが現実です。
サービス産業の多くは「生産と消費の同時性」という性質があり、それゆえ都市という人の多いところほど成立してゆきます。
そして多くのヒトが生産して消費するところには多くの接触があり、それがまたウィルス蔓延の下地なのだと。
経済を発展させようとするエネルギーを食い物にして社会にダメージを与える、そんな敵が現れているのが現実です。
突き詰めた集積や便利・効率を追い求め過ぎない、ほどの良い社会とはどうあったら良いのでしょう。
ほどの良いところで止めるルールや理屈や平等感を築くことができるでしょうか。
ポストコロナ時代にどんな反省ができるでしょうか。