用事があって訪ねた訪問先で、我々を担当してくれている方が面会するなり「東京のコロナ陽性が2400人超えですって!」と興奮していました。
「えっ!出てくるときにネットを見ていたら2000人超えとありましたが、2400人ですか。まずいですね~」
「まずいです。改めて気を引き締めなくてはね」
話題はどこへ行ってもコロナですが、最近の東京を中心とした陽性者の伸び率には愕然としてしまいます。
そして彼はおもむろに「それにしても菅総理の言葉の弱さにはちょっとがっかりですわ。原稿を読むだけでは言葉はともかく中身と心が伝わってこないよね」と浮かない顔。
と、その一方で「でもトランプさんほどカリスマ性があっても、デモを扇動するようじゃ困るよね(笑)」とアメリカのデモ隊による議事堂占拠にうんざりした様子。
私が掛川で仕えた故榛村純一市長は、「政治家が言葉でその場をやり過ごすようなことをしているから政治が良くならないんだ」と言っていました。
だから榛村さんは「10人以上で15分以上話をするときは必ずレジメを渡すようにしている」と言って、そのとおりに会合があるたびにその場に即したレジメを配っていました。
私はその場面を最初に見たときに驚いてしまって「そんなに証拠を残したら、後から『あなたは以前言っていることと違うことをしているじゃないか』と言われたらどうするんですか?」と訊ねたものです。
すると榛村さんは「はは、そのくらい真面目にレジメを読んで話を聞いてくれりゃあ立派なもんだよ。もし僕が言った言葉の通りにしなかったとしたら、そこにはちゃんとした理由があるのだから、その理由をじっくり説明してあげたいね」とこともなげに言いました。
自分の言葉に責任を持つという姿勢を行動で示すこと、それこそがまさに榛村さんが唱え続けた"生涯学習の実践"であると思い知らされたものです。
掛川での3年間を経験してから、私も榛村さんに私淑して、自分が講演をするときは榛村さんのスタイルに似せたレジメを配布するようにしています。
「言葉は空中で消えちゃうんだよ。そのときは覚えていたつもりでもそんなことはすぐに忘れてしまう。しかしレジメを渡せば、それを家に持ち帰った時に家人が見るかもしれない。そうやって情報を地道に伝える努力が必要なんだよ」
これってもはや名言レベルの言葉だと思いました。
そういう言葉を大事にする理想像がありながら、それを真似て実践できる人が少ないのはなんとも残念だなあ。