先日、娘の旦那さんである婿さんと、「子どもの頃、どんなテレビゲームで遊んだか」という話になりました。
婿さんは、「僕は二人いる兄と歳が離れていましたが、長兄はドラゴンクエストで次兄はファイナルファンタジーでした。で僕は、兄たちがこなすゲームを見ているのが好きでしたが、結局はドラクエの方になりましたね」と言って、「ドラクエもⅠ~Ⅵまでやりましたが、機械が変わったところで離れちゃった感じですね」とのこと。
長女の方は「印象に残っているのはドンキーコングかな。1か2か忘れちゃったけど」と言います。
私の方は、スペースインベーダーゲームが20歳のときで、その5年後の1983年に任天堂のファミコンが出て、テレビゲームが爆発的に売れ始めたという、いわば人生の真っただ中に始まったゲームだったのですが、案外縁がありませんでした。
スーパーマリオもやってないし、DQやFFもやったことがなく、唯一はまったのはバイオハザードシリーズでしょうか。
しかしそれ以上にバリエーション豊かにゲームで遊んだという記憶がありません。
ゲームに熱中しなかったのは、もう大人になっていたからなのか、ゲームに熱中するだけの時間がなかったからなのか。
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そんな話が進んだ後に婿さんは、「最近のゲームはプレイヤーに媚びた感じがします」と言い出しました。
「え、どうして?」
「ゲームに使える記憶容量に限界もあったんだと思いますが、昔は回復アイテムや武器を持てる数がすごく制約されていたんです。少ない持ち物の中で、武器を選ぶか回復アイテムを持つかが勝負の分かれ目にもなっていました。それが今ではゲームの記憶容量が膨大になって、回復アイテムも武器もいくらでも持てるようになりました。その選択の妙が失われました」
「なるほど」
「それに、昔のロールプレイングだと、次にどこへ向かったらよいかがわからなくて、何度も回り道をしたり同じ所へ行ったりして、次の目的地を探り当てるまでにすごく時間がかかったんです。
それが今では案内役がいたりして、次はどこへ向かうべきかを教えてくれるようにもなったりしているんです。プレイヤーがそういう迷う時間に耐えられないのか、時間の節約を求める声が強いのか、そういう変化がありますね」
なかなか面白い見方です。
「それに、今ではプレイブックが売られたり、先行者が進み方を動画で上げたりして、皆答えを見ながらプレイしている人も多くなりました。そういうところも急いでプレイしたい人が増えたんでしょうね」
ゲームの種類が増えたというのは、一見豊かなように見えますが、それを数多くこなそうと思うと、限られた時間という制約の中で、効率的にこなしていかないとゲームが進まないというジレンマに陥ってしまいます。
最近私はテレビドラマを見るときも、必ず予約して字幕付きで1.3倍速で見ることが増えました。
そうしないと少ない時間で多くのドラマが見られないからです。
聞くところによると、ネットフリックスなどのネット動画配信サービスでも早回しのモードがあるのだとか。
果たしてそれって豊かな暮らしと言うことなのでしょうか。
私たちは「選べる豊かさ」と、「選べる数に翻弄されている貧しさ」とどちらを生きているのでしょうか。
ちょっと考えさせられました。