北の心の開拓記  [小松正明ブログ]

 日々の暮らしの中には、きらりと輝く希望の物語があるはず。生涯学習的生き方の実践のつもりです。

「空き家のリノベーションで地域を活性化する」 ~ 都市地域セミナー

2019-10-11 23:29:21 | Weblog

 

 私の所属している公益社団法人都市計画学会の北海道支部は、都市の有り様について興味と関心を持っていたり調査研究を行っている人たちが集う学会です。

 人が集まって住み生活をする都市にはまだまだ様々な問題・課題がありますが、今日地方の都市において最も大きな問題は、都市がこれからも継続してゆけるのかどうかということです。

 そのネガティブな最大の要因は人口減少です。

 そこに住み暮らす人たちの数が少なくなれば、都市の中で様々な役割を担う人たちがいなくなり、それはもう都市ではなくなってしまうのではないか。

 そんな漠然とした不安が今現実のものになろうとしています。

 都市計画学会北海道支部では、特に北海道で顕著な課題として人口減少を取り上げ、都市がこれからも継続してゆくことを支えるような活動に光を当てたいと考えました。

 そこで毎年開催している都市地域セミナーですが、今回は「空き家のリノベーションで地域を活性化」というタイトルのセミナーを計画しています。

 ゲストには、札幌市内で複数のゲストハウスを展開し地域を変えたいと考えている柴田涼平さんと、自らも中古物件をリノベーションして商店街の核としてゲストハウスを始めた林匡宏さんのお二人をお招きすることとしました。

 理念だけではなく実践家として空き家のリノベーションに取り組んでいるお二人のお話の中に、全道各地において人口減少に悩む都市へのヒントがあるのではないかと期待します。

 私自身、お二人の現場をお訪ねして直接お会いして話も伺いましたが、正直なところ現代の若者が「働く」とか「社会を変えたい」ということへの世代間ギャップを強く感じました。

 国などから与えられるヒントに頼り切らずに、市町村自らも新たな問題解決のタネを、人を通じて得るような努力が必要なのだと思います。

 どうぞこの機会に、これからの地域社会を支える若者のお話に耳を傾けていただきたいと思います。

 もちろん、お話の後の懇親会にこそ真の意味があるのですが(笑)

 

 

【令和元年度 第1回 都市地域セミナー】
 
 「空き家のリノベーションで地域を活性化」のご案内

 日時: 令和元年10月24日(木) 18時~
 会場:『かでる2・7』 520研修室(札幌市中央区南2条西7丁目)
 参加費:無料

 詳しい印刷物はこちら↓
 http://bit.ly/2VxyE6R

 http://www.cpij-hokkaido.jp/20191003_seminar.pdf 

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「そんなことがありましたか」 ~ 昔の姿勢が今になって問われます

2019-10-10 23:48:53 | Weblog

 

 快晴の北海道で今日と明日は、襟裳方面から帯広へ抜けるルートで挨拶回りの出張です。

 北海道は広いので、札幌を起点とする一泊二日ではなかなか全道は回りきれませんが、地道に足跡を残してゆきましょう。


    ◆


 今日は国道の維持事業に携わる会社を訪問してご挨拶をしてきました。

 こちらは、数日前に訪問の約束を取ろうと電話をしたときに、「初めまして、前田道路の小松と申します…」とこちらの身の上を説明したところ、「あのう、確か開発局の機械課長でいらした方ですよね。私、覚えています。どうぞお越しください、お待ちしております」と言って下さったところです。

 会社に到着してご挨拶をすると、なるほど確かにお会いしたことがあるような気がしてきました。

 応接室に通されて世間話をしていると、先方が「小松さんが機械課長だった時の思い出があるんです」と昔の思い出を話してくれました。

「実は当方で開発局さんからお借りしている官貸の除雪車がありまして、それを破損してしまったという事故を起こしたことがあったんです。ある橋のジョイント部分が"櫛の歯"ではなくて斜めに角度の付いた"一文字"のジョイントだったんです。そこに除雪車の前に斜めに取り付けている排雪板がこれまたちょうど同じ角度で、ある程度の速度で走っていたのにそこにはまって急停止するという事故でした。
 幸いオペレーターは腰を少し傷めるくらいの軽傷で済んだのですが、除雪車のブレード(排雪板)が大きく損傷してしまいました。それで(これは謝りに行かなくてはなるまい)と思って札幌の開発局さんまで謝罪に伺って、そのときに対応してくださったのが機械課長だった小松さんでした。今お顔を拝見して改めて思い出しました」
「そうですか、そう言われるとそんなこともあったような気がしてきましたが、まあお仕事をされている以上、いろいろな事故やトラブルはつきものですからね」

 そんなやりとりがあって、終始和やかな時間が過ぎました。

 お別れをしてから車の中で同行者が「皆さん、昔の話でも結構覚えているんですね」と言うので、「先方にすれば申し訳ないのと叱られるかもしれない、というので緊張もしていたのでしょうね」とそのときの心情が推し量られました。

「でも僕も詳しくは記憶していないのですが、ああして恨みごとではなく思い出話になっているというのは、こちらの応対も横柄だったり感情的になったりしていなかったということでしょうかね。よかったよかった」


 自分がどこでどう見られているか、どういう評判が立つか、などということは自分ではどうしようもありません。

 でも目の前に問題があったときに、それに対してどう対応しようとしたかという姿は自ずから積み重なって行くものです。

 目の前のことを誠実に一生懸命にやるしかありませんね。

 帯広は快晴でした。 

 

 

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稚内と皇室の思い出

2019-10-09 23:50:29 | Weblog

 稚内勤務経験者による集いが開かれました。

 稚内は我が国最北の町ですが、札幌から行くにしてもかなり遠く、基本的に転勤族である官庁関係の皆さんにしてみると、ここの厳しい気候の中で暮らすということはかなり強烈な思い出になることでしょう。

 今日も40人ほどの方が参加してくれて嬉しい限り。

 そういう思いを共有しているからこそ、こういう同窓会のような会には皆さん楽し気に参加してくださるのでしょう。

 稚内市からは工藤市長さんが参加してくださって、稚内の近況をお話してくださいました。

 市長さんによると、ここのところ漁業が好調でホタテの値段も良く宗谷漁協の収入はやはりホタテで有名な猿払漁協の収入を超えたのだそう。

 また酪農も入荷が安定しまた個体の取引価格も好調で世帯収入は安定しているとのこと。

 さらに、風力発電用風車の建設もいよいよ本格化して来て、これから数年間は建設業も忙しくなりそうです。

 また空港民営化に伴って、新しいSPCは稚内空港の全面リニューアルを計画しているのだそうで、各方面からの航空路線の充実も期待しているとのことで、産業部門は全体に明るい雰囲気だそう。

 しかし各方面での人手不足は深刻なようで、このあたりをいかに乗り越えてゆくかは地方都市の大きな課題です。


    ◆


 今日の参加者のなかで最長老の方から挨拶をいただいた際に、現在上皇となられた平成時代の天皇陛下のエピソードがありました。

 その方は天皇皇后両陛下がまだ正式に天皇に即位する前の平成元年に宗谷地域を訪れになった際にご案内をしたのですが、その栄誉が嬉しかったと語ります。

 私の隣に座った工藤市長さんに「市長はその時何をしておられたんですか」と訊いてみたところ、「私はまさにそのご行幸の際の担当係長でしたよ」とのこと。

「なにか思い出はありますか?」と訊くと、「あるどころではありませんよ。そのときは陛下が氷雪の門へお越しになるということで、門の周りにはテレビ局が足場を組んで一番良い角度で撮影しようと陣取っていたんです。ところが当時の浜森市長がどうしたことか、門の前で両陛下を待ち構えていた市民の方へとお連れしたんです。市民にすればもう陛下が近くにお越しになってもう感激で滂沱の涙ですよ」

「それって相当まずいんじゃないですか?」

 なにしろ天皇陛下のご移動にはものすごい事前の調整があって、時間まで細かく予定が組まれているのです。

「市民にすれば嬉しかったでしょうけれど、一連の行事が終わったところで私たちは宮内庁の方に呼ばれました。(何を言われるのかなあ)と思いましたが、見事にこっぴどく叱られましたよ。まあマスコミも相当怒って突いたかもしれませんが(笑)」
「なるほど」

「実はその少し前に今上天皇陛下の浩宮様が若かりし頃、利尻島で利尻山へ登山をされていたんです。きっとその思い出を平成の天皇陛下にお話になったと思うのですが、当時の陛下も島へ渡りたいという思いがお強く感じました。
 で、実際に平成23年に天皇陛下が利尻島へ行幸されるというプランがあったのですが、東日本大震災でその話は流れてしまいました。しかしその思いがお強かったのか、平成30(2018)年の8月という平成の御代の締めくくりに利尻島へご行幸していただくことができました。実に名誉なことでありました」

 稚内にもいろいろな歴史と思い出がありますね。

 さて、少し遠いけれどまた営業で赴くとしますか。 

 

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片づけが苦手な心理

2019-10-08 23:32:32 | Weblog

 

 皆さんは後片付けって平気ですか? 

 十人十色と言って、性格は人それぞれでしょうが、私の場合は手近なところで用が足せないと気が済まない性格で、結果として片づけは苦手なタイプ。

 例えば、スマホの電源ケーブルは一つのケーブルを使いまわすのではなく、生活の場所のそこここに置かれていてすぐに充電ができないと気が済みません。

 そのため、スマホの電源ケーブルはリビング、ベッドのそば、自家用車の中、社有車の中、出張のときのセットの中、また全てのパソコンにも取り付けてあり、さらに何があっても良いように通勤時に背負っているリュックの中など、実に様々なところにおいてあってそれらが片付けられない、と。

 最近は100円ショップでもUSBからとれる電源ケーブルが売られているので、それを何本も買ってきて、生活の動線のあちらこちらに置いてあるというわけ。

 妻は「そんなの、使う時にどこかにあるものを持ってくれば良いじゃない」と言いますが、(いちいちそんなことをしていられないよ)というのが私の考え方なので、そういうことを面倒くさく思ってしまいます。

 しかも電源ケーブルだけではなく、コンセントからUSB電源を取れるアダプターも数個あってあちこちに置いてあります。

 同様に、いつでもメモが取れるようにと三菱ジェットストリームという滑らか書き味のボールペンは5本、シャープペンシルは3本あって、上着の中、職場の机の中、リュックの中などに分散しておいています。

 思った時にすぐそこで用を足せないと非効率に思えて仕方がないのですが、効率を果たそうと思うとケーブルのような小物が増えて、結果的に片付けられないのです。

 同様に、読みたくなる本は自宅の机のすぐそばにあってほしいので、一度出した本が出しっぱなしになりこれまたなかなか片付けられずにいます。

 「使ったら元のところに戻す」

 「急がば回れ」で、結局はきちんと整理整頓をした方が効率的なのかもしれませんが、時間をかけるのがもったいないと思えて後片付けは子供の時から大の苦手です。

 後片付けが得意になるためにはどうしたらよいでしょうか?

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技術は人々を救えると信じよう

2019-10-07 22:35:06 | Weblog

 

 先日、ジャイカ(JICA=国際協力機構)の事業で北海道内の舗装について中東からの研修生を受け入れているというAさんから一本の電話がありました。

「実は今回の研修で道内の舗装について説明を受けた際に、常温合材について興味をもった方がいました。興味というのは常温合材が自国で使えるのかどうか、ということでした」

 皆さまご承知のように、わが社は水で固まるアスファルト合材のマイルドパッチという商品を売っているのですが、研修のなかでそれを目にしたようです。

「それで、どういうことをお知りになりたいのですか?」
「はい、基本的には中東では北海道よりもずっと気温が高くなるものですから、そんな高温の気象条件でも仕えるのかどうか、ということが一つ。
 また、中東で欲しいとなったときに輸出したり現地で調達することができるのかどうか、ということも知りたがっていました」


 そこで早速資材担当に話を伝えて、資料が整った今日、早速説明に行ってきました。

 結論から言うと、高温の環境下での試験では60℃の温度でも強度に問題はないという試験結果がありました。

 また中東で調達ができるかどうか、という点では海外との資材の輸出入を扱っている航空系商社があるので、そこに問い合わせてもらうように話をしました。

「それにしても、こういう素材に興味を持たれるというのには、なにか理由があるのでしょうか」

 どうして研修生が常温合材に興味を持ったのかを知りたくてそう質問をしてみました。

 するとAさんは、「実は中東にはまだ戦闘が続いている地域もあって、爆弾などで舗装が痛むことが多いようなのです。そこで被害を受けた道路などの舗装の修復にこの資材が使えるのではないか、という問題意識があったようなのです」

 なるほど、平和な日本では使っているうちの老朽化が問題だと思っていたのですが、それ以外にもインフラが痛んでしまう要因として紛争や戦闘があるとは。

 日本が平和であることを改めて幸せに感じるとともに、我々の技術が困っている人たちの救いになるのであればこれほど喜ばしいことはありません。

 技術は人々の暮らしを救えるということを信じましょう。 

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無くした名刺入れの不思議な縁

2019-10-06 22:55:10 | Weblog

 

 道内を挨拶回りで回っていた先日のこと。

 同行者の一人のAさんが、次の訪問先に着いたところで何かを探しています。

「あれ?どこへやったのかな…、あれえ?」
「どうしました?」

「名刺入れが見つからないんです。一つ前の訪問先で靴を履くときに玄関に忘れたのかな…」

 とうとう服にも車の中にも、名刺入れは見つからなくて予備の名刺入れで用件は済ませました。

 すると次の訪問先へ移動中に、名刺入れをなくした彼のもとに一本の電話が入りました。

「Aさん?▲▲町のBです。お久しぶりです」
「あ、ああ、ご無沙汰してます…」

 電話の主は、名刺入れをなくしたと思われる町の旧友のようです。

「〇〇さん、名刺入れを落としませんでしたか?」
「あ、はい、落としました」

「うちの町の交差点で名刺入れを拾ったら、なんとAさんの名刺が出てきたので、警察に届けて回りくどいことをするよりも直接お知らせしようと思ってお電話しました」
「あ、ああ!ありがとうございます。どこかの事務所に置き忘れたかと思いましたが…」

「いえ、国道の交差点に落ちていましたよ」
「ええ?なんでだろう」

 その電話での会話を車の後ろの席で聞いていて、私にははたと思い当たることがありました。

 それは、名刺入れをなくした町を車で走行中になにかが「ゴン」と天井に当たって後部座席の左後ろへと落ちたのを思い出したのです。

 私はてっきり、プラタナスか何か大きな葉っぱの街路樹からの落ち葉かと思ったのですが、実はそれが名刺入れだったよう。

 どうやらAさんは、車に乗るときに名刺入れを車の天井に置いて、そこで何か別なことに気を取られて車に乗ってしまったようなのです。


    ◆


 結局拾い主のBさんとは、その後にお昼過ぎに待ち合わせをして名刺入れは無事本人の元へ届きました。

 実は名刺入れには免許証も入っていたのだそうで、なくした本人は(出てこなかったら厄介だな)と落ち込んでいたのですが、警察に届けたりする前に無事に事なきを得て本当にほっとしていました。

 このような日本の地域社会の高いモラルの有り様を見せられると気持ちが明るくなります。

 それにしてもそれが旧友に拾われて、持ち主本人に直接連絡が来るとはなんとも奇妙な縁ではありませんか。

 日本人の良い気質もありますが、なくした本人の普段の行いが良いからだ、ということにしておきましょう。

 拾ってくれた方とその御縁に心から感謝申し上げます。
 

 

 

 

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「日曜大工」ならぬ「日曜土木」は流行るのか

2019-10-05 23:33:03 | Weblog

 

 今日はうちの若手社員2名が旭川市内のホーマックの店頭で舗装合材の店頭販売を行う日でした。

 一体どんなお客さんが来て、どんなやりとりがあるのかを知りたくて旭川まで休日出勤でその様子を見てきました。

 ホーマック春光店さんでは入り口の前にテーブルを置いて、商品のパンフレットを置いています。

 また使い方のビデオを流していて、机の後ろには山のように舗装資材が置かれています。

 実はうちの製品は、ホーマックが扱う土木資材の中でも売れ行きが上位1位、2位を争うような売れ筋の商品なのだそう。

 ある社員は「日曜大工というのがありますが、次に来るのは日曜土木じゃないでしょうか」と期待を寄せています。

 しかしそうは言うものの、店頭で行きすぎるお客様を見ていると、実際には、次から次へと興味を持ったお客さんが寄ってくるなどということはありません。

 それでもたまに家の舗装の相談をするお客様がいて、「住まいの環境を良くしたい」、「壊れたらメンテナンスしたい」といった隠れた要望とニーズがあることに気が付きます。

 こういうところで店頭説明をしてくれる社員や中間商社の人たちの地道な努力の上に我が商品はあります。

 わが社のミッションは、良い商品と情報を提供して、この世から舗装の傷みをなくしてあげたいということに尽きるのだと思います。

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上ノ国町の環状交差点(ラウンドアバウト)がもうすぐ完成(もう走れるけどね)

2019-10-04 23:45:06 | Weblog

 

 昨夜は函館に泊まって、今日は朝から江差町へと向かいました。

 江差道路事務所を訪問してご挨拶をしつつ、今話題の江差の隣町の上ノ国町のランドアバウトについて伺って、実際に現地を見学してきました。

 小雨の降る中、上ノ国町を通る国道228号線と道道5号線、それに町道が交差するところに環状に作られた交差点が見えます。

 正式な共用開始は公安委員会関連の看板などがついてからで、今月中には行われそう、実際にはもう走ることができます。

 ランドアバウトというのは交差点の一種ですが、交通を信号で制御するのではなく、環状の道路を使って侵入してきた車が環状道路を走行しながら行きたい方向に進むという交通処理をするものです。

 車が通っていないのに赤信号になって止まらざるを得ない信号制御方式に比べて同じ時間当たりではより多い交通を進めることができると言われます。

 日本語では「環状交差点」とも訳されていて、道内では旭川と釧路にあるロータリー交差点に似ていますが、ランドアバウトには信号がないことなど若干の違いがあります。

 交通ルールとしては、侵入の時はウィンカーは必要なくてランドアバウトから出るときに左ウィンカーを点滅させるのだそうです。

 またランドアバウトの道路を横断する歩行者がいる場合は、信号がない分車の方が絶対に止まらなくてはいけないのだそう。

 これはマナーの問題ではなくて、違反すると道路交通法違反でおまわりさんに捕まるというクラスの違反なんだとか。

 諸外国ではすでにいくつもの先駆的な事例があって一般的になっているようですが、日本ではまだ少数にとどまっており、まさにここの上ノ国町のランドアバウトが道内では初めてのものになりそうです。

 交差点を見ていると警備員さんが配置されていて、通る車のドライバーに「スピードを落としてください」と伝えたり、歩行者などへのサポートをしている様子。

 この方式に慣れてもらえれば、信号は必要ないし交通もスムースになりそうですが、慣れるまでは侵入前に十分にスピードを落とすことや歩行者優先の徹底などが大変かもしれません。

交通の効率化に向けてランドアバウトが当たり前になってくるかどうか、注目です。

 動画も撮影してきましたので参考までにご覧ください。

【上ノ国町 ランドアバウト 2019-10-04】
https://youtu.be/ZKbof-NsFIw

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東へ西へ ~ 人に会って世界が広がる

2019-10-03 23:01:56 | Weblog

 

 昨日は根室の納沙布岬から帰って来たばかりですが、今日は朝から函館出張。

 一応訪問先には訪問時間を伝えてあるのですが、あまりにもカツカツな時間設定のために、ちょっとした渋滞や工事で予定が狂うことがあってヒヤヒヤ。

 もう少し余裕を持った設定にしないと、気ぜわしくて行けないな。

 
    ◆


 今の職場になってから、自社の製品についての営業周りをすることになりました。

 訪問先のお相手が全て知り合いばかり、などということはなく、「初めてお電話差し上げます」というところから訪問のドアをノックします。

 これが結構ドキドキするものですが、実際にお会いしてみると皆さん紳士なので、にこやかに応対してくださる方がほとんどです。

 初めての人に会うことを恐れる必要はありません。

 初めて会っておけば、次からは「一度お会いした方」になりますから。

 営業トークは、相手の課題をある程度想定したうえで、それをいくらかでも解決する手段や製品についての説明が中心で、相手への気遣いであるべき。

 私の説明で至らない部分は同行者が横からサポートしてくれて、なかなか良い組み合わせです。

 一カ所での訪問時間は基本的に10分、長くてせいぜい15分。江戸っ子がよく言うように「長っ尻は粋じゃない」のです。

 短時間ながら、相手に対してなにがしかの爪痕が残せるかどうかが勝負の分かれ目。

 訪問を終えてから次の訪問先に向かう車中で「さっきの会話の中で印象的だったことは何か? 何を得ることができたか? 課題は何か? 資料はこれでよかったのか?」などについてミニディスカッションを行います。

 そこで得た新たな気付きはそれ以降の良い教材です。

 人に会うことは新しいドアを開けて、それまで知らない世界を知るということです。

 生涯学習は続くなあ。

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4度目の正直 ~ 北方の島影を見て思い出したこと

2019-10-02 23:43:22 | Weblog

 一泊二日の根室出張。

 折角根室まで来たので、今日の釧路行きの出発の前に早起きをして納沙布岬見学をしてきました。

 私自身、納沙布岬には過去3回訪れたことがありますが、度重なる悪天候のためにこれまで一度も北方領土の島々を見たことがありませんでした。

 それが今日の納沙布岬は、天候は曇りでしたがすぐそこの島影がはっきりと見えました。

 島の位置図を示した大きな地図もありましたが、どの島影がどの島なのかがわかっていない私には、みえている島がどこなのか最後まで確信が持てませんでした。

 見えたままの写真に地名があればわかりやすいのになあ、と思いましたがちょっと残念なところです。

     ◆

 岬付近には北方領土返還運動関連など様々な石碑が立ち並んでいますが、そのなかに、「メナシクナシリの乱」で亡くなった犠牲者を悼む石碑がありました。


 
 このあたりは和人もアイヌも北方領土の島々を自由に行き来していた江戸時代中期には蝦夷地でのいわゆる「俵物(たわらもの)」と呼ばれた海産物の収穫拠点でした。

 俵物とは、蝦夷地で獲れる煎海鼠(いりなまこ/いりこ)や乾鮑(干鮑(ほしあわび))などのことです。

 寒冷で米の取れない蝦夷松前藩の年貢は俵物で納めることが認められていたために道内の良好な漁場が開かれていきました。

 初めの頃は藩主から商い場を与えられることで主従関係を結んでいましたが、18世紀初頭のころから商い場を経営することが武士の手には負えなくなり、商い場の交易権そのものを「場所請負人」として商人に任せ、任せた武士はその運上金をもらう形になりました。

 場所請負人となった商人たちは、地元のアイヌの人々を使役して漁場の作業を行いましたが、なかにはアイヌの人たちに過酷な労働を課し、残虐なまでに支配した事例が多くありました。

 メナシクナシリの戦いは、そうした支配に反発したアイヌの人たちが寛政5(1789)年に蜂起して倭人を襲い殺した事件なのですが、その犠牲者を悼む碑がこれというわけです。

 江戸時代中期に、この北方の島々をめぐるロシアとの外交をめぐる事件は蝦夷地における大きなエポックになっているのですが、それを想い起させる碑でした。

 蝦夷地の歴史は札幌だけではありませんね。

 
《参考》「黒船前夜」レビュー (2011年8月31日ブログ記事)
    http://bit.ly/2ovLaXY

 

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