こっぱもちの部屋

主に、読書感想のブログです。他に、日常生活で楽しかったことを書くと思います。

エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女

2010-05-01 00:00:00 | 未分類
塚本哲也さん『エリザベート ハプスブルグ家最後の皇女』を読みました。

ヨーロッパ一の名家、ハプスブルグ家に生まれたエリザベートの人生は、波瀾に満ちたものだった。
まず、幼い頃に、皇太子である父を、母以外の女性との心中事件で亡くす。
さらに、その結果として、母も祖母も家庭を顧みることが無くなり、皇帝である祖父だけが頼りの
寂しい少女時代を送る。
しかし、祖父の教育のたまものか、意志の強い女性へと成長していく。

そして、王制廃止や、ナチスドイツによる占領、第二次世界大戦、戦後の中欧諸国の共産化と、
つらく苦しい時代を生き抜いてきた、ハプスブルグの血を正に表した女性だったようだ。

第一の結婚は、四人の子どもに恵まれたものの、夫とすれ違い始めると、
決定的な対立へと発展してしまったらしい。
様々な争いの末、子どもからも望まれて全員の養育権を勝ち取ったエリザベートだったが、
やがて、第二の夫となるペツネックと彼の所属する社民党に、子育て以上に献身的になってしまったため、
子ども達の離反を生んでしまう。

第二次世界大戦後は、広大な自宅を占領軍に接収されて、小さな家で十年にわたって暮らしたのも、
心身にこたえたようである。
その後は、屋敷を取り戻すことができ、占領軍にたくさんの財産を奪われていたものの、
愛する夫・ペツネックと穏やかな暮らしをおくれるようになった。

だが、1956年、愛する夫に先立たれ、ハンガリー動乱の後は、諦念と絶望の交錯した
諸行無常の心境になり、現実に目を閉じ、耳をふさいでしまった。

とうとう、1959年、エリザベートは、死後の世界へと旅立ち、一切の美術品が散逸しないように、
オーストリア共和国に寄贈するようにという遺言を残した。

エリザベートは、歴代のハプスブルグ家の皇帝、皇后などの柩が安置されているかプチーナ教会と違い、
郊外のわびしい小さな墓地にペツネックと一緒に眠っている。

こんな大きな人物の波瀾の人生を前にしては、何の言葉も出てきません。
ただただ、圧倒されました。

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