だれにも、自分に似た人、つまり自分の “そっくりさん” が、世の中に3人はいる、と聞いたことがある。
ほんとうかどうかは知らないが、わたしはすでに、わたしに似た3人の存在を知っている。
*
1人は、20年ほど前にさかのぼる。
ある晩わたしは、友人とお茶ノ水駅近くの小さな焼鳥屋に入った。初めての店だった。老夫婦ふたりでやっている店である。
店主はわたしを認めると、じっと見つめ、やがて笑顔になり口を開いた。
「△△さん、しばらくだねえ。どうしてたんだい。待ってたんだよ。
・・(娘の)◇◇子はもう嫁に行っちゃったよ。・・」
わたしはもちろん△△さんではない。主人は冗談を言っているのかと思ったが、そうではなかった。初めての客に冗談をいうわけもない。
人ちがいだったと分かると、主人、ちょっとがっかりしたようだった。
そのあと何回かこの店に通ってわかったのだが、主人は口数は多くない。女性客を、男性同伴でも決して店に入れない頑固さもある。
△△さんは、この主人に気に入られ、娘さんにまで好かれていたのだ。しょっちゅう通ってきていただけでなく、よほど人柄の好い人だったにちがいない。
それにしても何故ぱったり来なくなってしまったのだろうか。
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2人目の、わたしのそっくりさんは、10年ほど前の話になる。
半蔵門駅の近くを歩いていたら、前から歩いてきた見知らぬおじさんが、とつぜんわたしの方へ近寄ってきて、目の前に立ちふさがった。
わたしはびっくりして逃げ腰になったが、相手は別に危害を加えてくるようすはない。それどころか満面に笑みを浮かべている。
だが、つぎの瞬間、おじさんは真顔になり、「失礼」とつぶやくと、きまりわるそうに立ち去った。
おじさんは人ちがいをしていたのだ。
目の前30センチに近づくまで別人と気がつかなかったのは、おじさん、目が悪かったとも考えられるが、わたしがおじさんの知り合いのだれかに大変似ていたからであることはまちがいない。
その “知り合い” も、とてもいい人なのであろう。そうでなければ、おじさんが何のためらいもなく、あんなに近くまで寄ってくるはずがない。
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3人目のそっくりさんには、わたしは会っている。正確にいうと、見かけている。
5年ほど前のこと、わたしの家の前を歩いているのを見た。
家の近くの倉庫会社に勤めている人で、たまたま息子がそこにアルバイトに行っていたことがあり、名前まで知っている。仮にYさんとしておこう。
わたしに似たYさんがときどき家の前を通るという、息子だけでなく家内や娘の話で、いずれは会えるのではと、なんとなく期待していたのだ。
わたしの見たYさんは、それほどわたしに似ているとは思えなかった。
わたしのほうがぐーんといい男であるのはいうまでもない。
しかし、すでに何度かYさんを見ている家内と娘の評価はまったくちがっていた。
背格好、顔のつくり、髪の量、歩き方をはじめ、体全体から醸し出される雰囲気が、驚くほどわたしに似ているというのである(息子もそれを否定しなかった)。
外で初めて見かけたとき、家内はドキッとしたというし、娘は、近づいてくるYさんをわたしと思い、思わず笑顔になったが、途中で別人と気がつき、その笑顔のやり場にこまったという。
平日、Yさんを見た近所のある奥さんの話も伝わってきている。
「□□さんのご主人(わたしのこと)に似ているけど、会社休んだのかな・・、本物かしら」
とでも思ったのであろう。確かめるため、わたしの家の前までYさんを尾行してきたというのである。
もう、ほっといてくれ。
そのYさんを、わたしたちは最近見ない。転勤になったのだろうか、それとも倉庫会社を辞めたのだろうか。
*
Yさんもなかなか好い人だったようだ。短期間だがいっしょに働いた息子がそう言う。どうもわたしに似た人に悪人はいないようだ。
だからわたしも悪人ではない、とは言えないが・・。
2001.5.5
(2006.11.11 写真追加)
スライスチーズを板海苔ではさんだ簡単ツマミ。
板海苔とスライスチーズさえあれば、いわば一瞬のうちにできる。メインの肴が準備できるまでの当座の酒のアテになる。
一枚の板海苔で、スライスチーズ二つを包むことができる。
チーズ一つを十字に包丁で切り分け、小皿に盛りつける。簡単ツマミとはいえ、なかなか旨い。
友人の家で教わった一品。
(2006.11.6写真追加)
板海苔とスライスチーズさえあれば、いわば一瞬のうちにできる。メインの肴が準備できるまでの当座の酒のアテになる。
一枚の板海苔で、スライスチーズ二つを包むことができる。
チーズ一つを十字に包丁で切り分け、小皿に盛りつける。簡単ツマミとはいえ、なかなか旨い。
友人の家で教わった一品。
(2006.11.6写真追加)