興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

寒さがゆるみ、菜園も本格始動

2025-02-26 | 菜園の四季

わが家の庭の梅がきょう26日、ようやくほころび始めた。

花芽は前からふくらみつつあったのだが、寒波がこの10日間ほど居座り、寒さがゆるんだきょう、やっと開花ということになった。

例年より1~2週間遅い。

 

 

   

開花した花は二つか三つ。

今年は花芽が多いので、咲き切ったら見栄えがすると思う。


 

 

   

今朝、家から徒歩8分ほどのわが家の菜園に、これまで家で育てていた苗の一部を、移し替えに行ってきた。

今朝菜園の畝に移し替えたのは、とんがりキャベツ、玉レタス、サニーレタス。

 

 

   

これは苗を育てていた紙製の鉢。このまま植えれば鉢は溶けて、土に同化するようだ。

菜園の世界もいろいろ工夫がなされているのですね。


苗の植え替えという軽作業をしたのは、菜園管理者の家内。
わたしはインゲンを植える畝と落花生を植える畝、二畝をクワを力いっぱい振り下ろして耕すという「重作業」。

疲れました。

この冬、寒くてウオーキングをサボり、ろくに体を動かさなかったせいでしょう。


もうすぐ菜園デビュー

2025-02-14 | 菜園の四季

わが家では今、菜園用の苗が育っている。
今あるのは、キャベツ、サニーレタス、ブロッコリー、カリフラワーなど。

3月には、家から歩いて8分ほどのわが家の菜園に植え替えられる。

苗たちは、レギュラーシーズン(ペナントレース)を前にキャンプインしたMLB選手、日本のプロ野球選手のようなものですね。
陽の光を浴び(基礎練習を重ね)、体力をたくわえている。


野球のキャンプ地では、テレビを見ると、ファンが訪れてにぎやかなようだが、わが家の苗キャンプでは菜園管理者の家内が一人。

日がよく当たるように、朝は東側の窓際に、昼は南側の窓際に苗の入った箱をこまめに移しかえ、夜は夜で冷えないように箱全体に不織布をかぶせ、毛布代わりにしている。

こうして苗たちは、種から芽が出て、葉が伸び、ここまで大きくなった。菜園デビューも間近である。

 

 

   

   これはサニーレタス。

 

 

   

   これはブロッコリー。

苗はこれから、もっともっと増えてくる。


語尾に「やか」の付く言葉

2025-02-13 | 言葉ウォッチング

先日ふと気がついた。

「穏やか」「爽やか」など、語尾に「~やか」の付く言葉には、人間にとって好ましい状態を形容するものが多い、と。

 

「穏やか」「爽やか」のほかにも、「和やか(なごやか)」「にこやか」「伸びやか」「晴れやか」「健やか(すこやか)」などがあり、これらはいずれも、こうありたい、こうあってほしいと思えるものばかりである。

 

「やか」という語自体に「好ましい」という意味があるのかなとも思ったが、そうでもないらしい。

「冷ややか」(な視線を向ける)、「まことしやか」(な嘘をつく)などは、かならずしも好ましいこととはいえないし、「速やか(すみやか)」「ゆるやか」などは、好ましい、好ましくないの枠をこえた表現である。

 

辞書で「やか」を引くと、「いかにもそのようなようすであるという意。状態を表す語に付いて形容動詞の語幹をつくる接尾語」とある。(デジタル大辞泉)

つまり、「やか」そのものには、好ましい・好ましくないの意味はなさそうだ。

 

このような ‘~やか言葉’ で、まえから気になっていた言葉が三つある。「さやか(清か)」、「けざやか」、「たおやか」だ。

いずれも今は一般にあまり使われていないように思えるので、わたしの好きな言葉ではあるが、自分では使いにくい。

 

「さやか」は、「秋来ぬと 目には ‘さやかに’ 見えねども・・」という古今和歌集の藤原敏行の歌にもある。「はっきりと」という意味で使われている。

 

「けざやか」は「きわだって、くっきりしている」という意味で、「○○山は ‘けざやかに’ 東の空にそびえる」というように使う。

 

「たおやか」は「ものごし、態度などがものやわらかなさま。気だてや性質が、しっとりとやさしいさま」という意味で(精選版日本国語辞典)、わたしの見つけたこの言葉の用例としては「凛として ‘たおやか’ に」がある。(いつも行っている歯医者さんで飾ってあった絵手紙のなかに書かれていた)

 

凛としてたおやかに・・・、意味は「穏やかな中にも態度がきりっとしている。優しいが芯がしっかりしている」ということであろうか。素敵な言葉ではないか。

 

「たおやか」は女性に対して使われることが多い、と説明している辞書もあった。しかし今はジェンダーフリーの時代。男であるわたしも、凛としてたおやかな人間でありたいと思う。

 

*上の写真はわが家の庭に咲いたビオラ(鉢植)。厳寒の今の時季にも凛として咲いています。


恵方におわす神様のお許し

2025-02-01 | 美酒・美味探訪

きょうの昼は、「恵方巻き」の巻きずしだった。

恵方巻きの慣習は、昔わたしの育った新潟にはなかった。
今、関東南部に住むわが家でも、それを習慣にしているわけではない。

それではなぜ恵方巻きを食べたのか。それはわたしが寿司が好きだからだ。

恵方巻きには作法があるらしい。

節分の日に恵方(今年は西南西)に向かって、太巻きを丸ごと一気に食べること。
食べるときは無言で、何もしゃべらずに食べること、という作法である。

これをすれば邪気が払われ、これからの一年、無事に過ごせるのだ。

わたしは家内の作ってくれた巻きずしを、一口目は西南西を向いてかぶりついた。
しかし、そのまま一本食べ続けるのは、喉がつまりそうで、とてもできない。
そこで ‘やむなく’ ビールで喉をうるおした次第。しかもしゃべりながら・・。

それともう一つのルール違反があった。気がつけばきょうはまだ節分ではなかった。今年の節分は二日、つまり明日である。

でも恵方におわす神様は、日頃のわたしの行いを見て、きっとお許しくださることであろう、たぶん。

来月には雛祭りがある。
雛祭りといえばちらし寿司。ちらし寿司というばビール、いや、酒か。

いずれにしても、今から楽しみである。