昨日までの残暑がやわらぎ、ひさしぶりに散歩をしました。
桜の葉が少し色づいてきて、落葉も始まっています。
秋の訪れが今年は早いのでしょうか。
ジョギング人(びと)が通り過ぎてゆきます。
ウォーキング人(わたし)は、カフェ時間。
とくべつに桜エビせんべいをいただきました。 (大泉学園カフェぶどう屋にて)
お昼は奮発してうな重にしました。 ここは神保町のうなぎ屋 「今荘」 です。
うなぎはふっくら、ご飯がやわらかめ。 わたしの好みでした。
うな重、きも吸い付き 2,000円。
メニューはこれだけ。 12時半頃入ると、わたしの次の客で売り切れとなりました。
家族で、手を広げすぎないようにやっているという印象を受けました。
あ~、美味しかった~。
今荘外観。
周囲をビルに囲まれています。
昭和というより大正、明治を感じさせる木造です。
中も、畳に座卓中心の、神保町の歴史を感じさせてくれるお店でした。
夏には麦わら帽子とツッカケがあれば、わたしはたちまち ‘少年時代’ にもどることができます。
これに虫捕りアミと、(ツッカケでなく)ちびた下駄があれば完璧です。
小学生の夏休み、新潟の田舎町に住んでいたわたしは、シオカラトンボ、ムギワラトンボはめずらしくなく、捕ろうとも思わなかったものですが、それより少し大きくて黒と黄色のしま模様のトンボ、オニヤンマには胸が躍りました。
人にはきっと “捕獲本能” があるのですね。 熊を仕留めるマタギのように、大間(おおま)のマグロを一本釣りする漁師のように、わたしは胸をときめかせてオニヤンマを追いかけたものです。(レベルが違うけど)
そのオニヤンマは結構つかまえましたが、どうしても捕れなかったのがギンヤンマです。
ギンヤンマはオニヤンマと同じくらいの大きさで、胴が竹色のスッとスマートなトンボでした。
その辺の草花にとまるようなことはなく、いつも悠然と、それでいてかなり速いスピードで、グライダーのように水平飛行しているだけでした。
見つけて駆けつけても間に合わず、待っていても来るとはかぎりません。
わたしは見かけただけでドキドキと胸が高鳴ったものでした。 ギンヤンマはわたしにとって、絶対につかまえたい幻のトンボだったのです。
そのギンヤンマを近所のおじさんが捕ったときのことは、数十年経た今でも忘れられません。
ギンヤンマが2匹連らなって飛んでいくその先に、おじさんは虫捕りアミを構えていました。
それを見たわたしはつかまってほしくないと思いました。
でも、わたしの願いもむなしく、バタッと地面にふせたおじさんのアミにギンヤンマたちは入ってしまったようでした。
そばにいた子供たちが近寄っていきます。
わたしも駆けつけました。すると、なんとアミの中の2匹のうち1匹の頭が取れてしまっているではありませんか。
アミのふちに強くぶつかったのでしょうか、地面にたたきつけられたからでしょうか。ショックというかかわいそうというか、自分が捕りそこねた悔しさとともに、このときのことは今でもありありと甦ってきます。
麦わら帽子にツッカケ、それに半ズボンで近くのポストまで行ったヨ、さすがにこの格好で都心まではいけないネ、という話を書こうと思ったのですが、ギンヤンマのことを急に思い出し、長々と書いてしまいました。
http://kids.goo.ne.jp/zukan/infozukan.php?category=5&id=32
http://kids.goo.ne.jp/zukan/infozukan.php?category=5&id=57
松屋銀座で開催されている 「熊田千佳慕展」 を見てきました。
熊田千佳慕(くまだちかぼ)は、昆虫や草花などを超細密な技法で描き続けてきた画家・絵本作家です。
対象を 「よく見て、見つめて、見極めて」 描き出した絵は、実物以上にくっきりと鮮やかに見る人に迫ってきます。
蝶など、うぶ毛はもちろん、鱗粉の一つ一つまで見えてきそうなくらいです。
「美しいから美しいのでなく、愛するから美しいのだ」
これは20年前に氏が小学館出版文化賞を受賞したときの、受賞メッセージの中に書かれていた言葉です。
絵を通して美と愛を、観る人に、そして子供たちに贈りつづけてきた人だったといえましょう。
熊田千佳慕はこの展覧会開催中の先週、99歳の生涯を閉じました。
ご冥福をお祈りします。
http://www.asahi.com/kumadachikabo/
コスモスの季節到来です。
一粒の砂に世界を見
一輪の野の花に天国を見る
掌の内に無限をつかみ
一瞬にして永遠を知る
これはウィリアム・ブレイクという人の詩です。
児童文学作家あまんきみこ氏がエッセイの中で引用していたのを昔読んで、知ったものです。
一輪のコスモスもきっと、ほかの誰かを羨んだり背伸びしたりせず、無心に素直に自分の生(せい)を生きているのです。
韓国焼酎 처음 처럼(チョウム チョロム)です。
先日、新大久保のコリアタウンで買ってきました。
처음 처럼 とは、「初めてのように」 という意味です。
늘 처음 처럼 「いつも初めてのように」 という ‘ことわざ’ が韓国にありますが、そこからのネーミングかもしれません。
늘 처음 처럼 いつも初めてのように ・・・・・「何事に対しても最初の胸のトキメキを忘れてはいけないよ」 というメッセージが、この言葉から伝わってきます。
いい言葉ですね。 慣れ親しんだ日々の中にあっても、何であれ初めてのときの感動をときには思い出し、謙虚に過ごしたいものです。
韓国焼酎 처음 처럼(チョウム チョロム)は、甘くて飲みやすいお酒でした。
韓国ドラマで登場人物が焼酎を生(き)で飲んでいるのが分かるような気がします。
マッコリ(アルコール度数6度前後)は、飲んでもなかなか酔いがまわりませんが、アルコール度数20度のこれなら、油断するとズシンと酔っ払いそう・・・。 (ちなみに日本酒は15~16度)
同じ韓国の焼酎チャミスル(참 이슬〈真露〉)と味がどう違うのか、こんどはチャミスルを買ってこよう。
新大久保のコリアタウンに、韓国風ジャージャー麺を食べに行ってきました。
「美味しいところがあるよ」
と、韓国通の友人に誘われたからです。
「あっ、あの辛(から)くて真っ赤で、麺の上にのった挽き肉(ひきにく)がつゆの中に落ちて、つゆを全部飲まなきゃ挽き肉が全部食べられないヤツね」
というわたしに、友人たちは怪訝そうな顔を向けました。
「ジャージャー麺につゆはないよ」
わたしは中華の 「坦々面」 と間違えていたようです。(汗)
わたしはようやく思い出しました。食べたことがあります。
麺の上にちょっと辛めの挽き肉味噌炒めがのったつゆ無し麺・・・。
ところが今回食べた韓国風ジャージャー麺は、わたしの食べたことのある中華風ジャージャー麺とは、外見も味もまったく違うものでした。
麺の上に真っ黒い餡(あん)がたっぷりかかっていて、辛いどころか甘さが勝った味でした。
(食べるのに気をとられ写真撮るのを忘れました――残念至極)
この餡も、肉とタマネギなどの野菜を黒味噌で炒めたものだそうです。
初めての味に最初はとまどいましたが、でもなかなか美味しかったです。
韓国ドラマには、このジャージャー麺を食べる場面がよく出てくるのだそうですね。
ジャージャー麺は撮り忘れましたが、お店の入り口は写してきました。(写真上)
山手線新大久保駅から歩いて5分ほどのテバク飯店というお店です。
こちらは韓流館(食品をはじめDVDなどの韓国製品小売)に、コンテナで韓国から商品が着いたところです。
ダンボール箱のハングルを読むと、韓国茶やインスタントラーメンなど食料品が多いようでした。
(この荷降ろし作業、雨の日はどうしているのでしょうか)
知人からのいただき物です。
先日その人に対するお祝い会に出席したときの、出席者へのその人からの返礼品です。
(出席者全員に同じものが贈られた)
わたしの希望を聞いた個人的なプレゼントではないのに、なんと偶然、ほんとうにピッタリ、わたしが今欲しかった物でした。
こんなことって、あるんですね。
いままで持っていたビニール製のペンケース(写真上部) が小さくて、(できれば革製の)いいものが欲しいなと思っていたところだったのです。
仕事等で筆記具を持ち歩くことの多いわたしにとって、ほんとうにうれしい出来事でした。
今夏は雨の日が多く、晴れの日をめがけ何度もザル(四つ)に並べたりカメにしまったり(一つずつ)したので、手間がいつもよりかかったようです。
「ようです」というのは、わたしが手伝ったのは紫蘇の葉むしりだけだったからです。
これは鰯の梅干し煮。
使っているのは去年の梅干しです。
梅干しを入れて煮ると、鰯の身がしっかりします。
鰯の青臭みを消す効果もあるのでしょう。 ホクホクと旨みが広がります。