セルロイド製の裁縫箱です。
ある方のブログ*を見ているとこれに似たものが載っていて、わたしも同じようなものを持っているのを思い出し、引き出しの奥から取り出してきました。(写真)
自分の記憶が間違ってなければ、たしか小学校四年生のときに買ってもらったものです。
(「家庭科」の授業で雑巾を縫った)
ということは、その時からもう数十年<適当にご想像ください>経ったということになります。
(白っぽい半透明の部分が黄ばんでしまっている)
針山に縫い針、糸、糸切りバサミ、指ぬきを入れていたのでしょう。
「指ぬき」っておもしろい名前だなあ、とそのとき思ったのを今も覚えています。
‘指を抜く’ と思ったからです。今辞書を引くと「指貫」という漢字があてられていて、これなら、まあ、分かります。
この指ぬきを中指の第二関節にはめて針の頭を押さえ、人差し指と親指で針を持ち、縫っていきます。
縫い始めの糸の端には結び目を作り、糸が布から抜けてこないようにし、縫い終わりは針に糸を二度ほどからませて、そのまま針を引抜くと糸が結ばれた形になります。そして、糸切りバサミで糸を切って終わりです。
わたしは小さいころから、よく針仕事をしていた母を傍で見ていたせいか、この辺のことがすぐにできましたが、なかなかできない子もいたようです。
「となりにすわっていたミキオくんが、運針ができなくて、シクシク泣き出したの」
と、わたしと同世代の家内が、わたしがこの裁縫箱の話をすると家庭科の時間を思い出して、話してくれました。
「まごまごしているので、となりから何度も教えてあげたのに・・・」
その当時はすでに、「裁縫は女がするもの」という考え方ではなく、男子も女子と同じように「家庭科」を習い、裁縫の授業を受けていたのですね。
ただ、わたしの場合、その後の長い人生で2~3回針と糸を使ったことがあるものの、雑巾を縫ったこともなければ、ボタンを付けたこともありません。(自慢にならないって)
この裁縫箱を開けてみると、入っていたのはバッジ類でした。
小学校、中学校、高校の校章に書道でもらったバッジ、「おもしろブック」「THE ENGLISH WORLD」バッジ(雑誌の景品か)、わたしの卒業校でないバッジ(姉のものか)、赤十字奉仕團、衛生管理委員のバッジ(父か母のものでしょう)まであります。
浦島太郎は、龍宮城からもらってきた玉手箱を開けると、若者から一気におじいさんになってしまいましたが、わたしはこの ‘玉手箱’ を開けると、一気におじいさん(とは言いたくないが)から少年にもどってしまったのでした。
*http://blog.goo.ne.jp/hiranoumi/e/6bbc912aee4d36a72b9b06c7b242666b