興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

醤油が・捨てられる・理由

2013-03-31 | チラッと世相観察

駅弁やコンビニ弁当などには大体、小さな小分けの醤油が付いてくる。
わたしはいつも、これを使い切ったことがない。

まったく使わないことも多い。もったいないと思って取っておいても(上の写真)、結局そのまま捨ててしまうことになる。

これはわたしだけでなく、多くの人もそうではないだろうか。


醤油は工場で造られて、いったいその内のどれだけが無事に消費者の口に入るのだろうかと思う。

居酒屋や飲食店で見ていても、客が食べ終わった後の醤油小皿に、まだたっぷり醤油が残っているのを見ることがある。

また健康上の理由から、「うどんや蕎麦、ラーメンのつゆは、全部飲まないで残しなさい」と医者に言われたという話もよく聞く。


そこにいくと、関西の立ち飲みの串揚げ屋は合理的である。ソースを自分の串揚げにかけるのでなく、目の前の、他の人と共用のソース入れに突っ込むのである。

「二度浸けお断り」 というアレである。 これだと無駄が出にくい。


自分の串揚げを、ソース入れのソースに一度浸けたが、足りなかった。 串の手もとのほうにもう少しソースが欲しいけど二度浸けはできないし、という時にはどうするか。

これについては裏ワザがあることを、最近どこかで聞いた。自分の手元に来たキャベツですくうのだそうである。
(この手の店では、大まかに刻んだ生のキャベツが割とふんだんに供される。スプーン状に真ん中の凹んだ大きめのキャベツ片を使うといいという)

それはともかく、どうして東京圏ではこの手の、 ‘二度浸けお断り串揚げ屋’ が流行らないのだろう。それは、関西人と関東人の気質の違いと関係ありそうである。
この研究(詮索)は、機会があればまた・・・。
 

話がそれてしまったが、「捨てられる醤油」 の話題に戻ろう。

確かに醤油は、個々の弁当にそれぞれ欲しいし、醤油小皿に残った使い残し醤油を集めて再び使うわけにもいかない。

健康上の理由で塩分を制限されている人にとっては、つゆを残すのもやむをえないことである。

醤油消費のある程度の無駄は、しかたのないことなのかもしれない。


せめてわたしだけでも、刺身の醤油小皿 (関西ではこれを「のぞき」と言うようです) には、大量に残すほどの醤油は入れないことにしよう。

2013.3.31


三分咲き

2013-03-22 | 季節の移ろい

今日22日、東京では早くも桜が満開とのことです。

わが家の近辺の桜は、木にもよりますが、全体としてまだ三分咲きです。

 

 

 

 

咲き切る手前の桜も、またそれなりに美しいものですね。

女性も、いえ、元へ、人も、そうではないでしょうか。


今BSで放映中の韓国ドラマ 「太陽を抱いた月」 を見ていると、主人公の二人
(王様と聡明な女性ヨヌ) の子ども時代を演じている子役がまだ顔に幼さを残していて、
可愛いなと思いました(とくに女の子のほうが)


急に話が飛躍しましたね。失礼しました。

 

 

 

 

コブシは満開です。

その後ろの木々には、若葉が芽吹いてきています。 

 

 

 

 

ユキヤナギも今が盛り。


春は今、満開です。


カレーライスが ライスカレーだった頃

2013-03-06 | チラッと世相観察

今年1月、昭和の大横綱大鵬が亡くなり、そのとき久しぶりにマスコミには、

「巨人、大鵬、玉子焼き」

というフレーズが何度も登場した。

これは1960年代に、当時 「子どもたちの好きなものBEST3」 としてテレビなどで
よく見聞きした言葉である。
その時代、それほど王、長島を擁する巨人軍は強く、大鵬は強かった。


しかし、巨人と大鵬の後に、なぜ玉子焼きが来たのだろう。
もちろん玉子焼きは当時も子どもたちにとって大人気の食べ物ではあったが、
わたしの感覚では、玉子焼きよりもっと強力な食べ物があった。

カレーライスである。

それではなぜ 「巨人、大鵬、カレーライス」、または 「巨人、大鵬、カレー」 にならなず、
玉子焼きになったのか。
それはおそらく、玉子焼きが 「た・ま・ご・や・き」 と、‘五音節’ だったからではないかと思う。
五音節の言葉がフレーズの最後に来ると、フレーズ全体の収まりがよい。
耳で聞いても締まって聞こえる。

残念ながらカレーライスは六音節、カレーは三音節であった。


では、どうしてカレーライスが玉子焼きより強力な食べ物だというのか。
それはカレーライスが明治以降ずっと、時代をこえて国民の絶大な人気を得てきたからだ。

カレーライスは長く、家庭料理界の ‘ホームラン王’ であり、‘大横綱’ だったのだ。


私の小さかった頃 (大昔です) も、カレーライスは特別な料理であった。
その頃は、家で作るものはカレーライスといわず、「ライスカレー」 といった。

「ライスカレー」 はジャガイモ、ニンジンとタマネギ (長ネギのときも多かった) に、
ブタコマ (豚肉のこま切れ) 少々、それにカレー粉を入れ、小麦粉でとろみをつけただけの
質素で素朴な食べ物だった。

ビーフ の大きなかたまり や シュリンプ など入っていなかった。

それでも当時は、年に何度も食べることのないご馳走だったのである。
これはおそらく、当時どこの家でも似たような状況であったと思う。

その頃、近所の遊び仲間の一人である修一など、ある日みんなと遊んでいるとき、
いままで無口だったのに、なんの脈絡もなくこう切り出した。
「うっとこ (うちの家)、きょう、ライスカレーだか、ライスカレーでねぇか?
「・・・・・・・・・・・?」

修一はその日、自分の家の晩ごはんがライスカレーだとわかっていて、さっきからそれが
うれしくてうれしくて、黙っていられなかったのである。


ライスカレーがカレーライスに変わったのは、昭和30年を少し越えたくらいではなかったかと思う。

ライスカレーは 「レ」 のあとの ‘音引き(おんびき)’  「ー」 を除くと、五音節である。
パーティ(ー)、コンピュータ(ー)、「おいらはドラマ(ー)」などもそうだが、単語の末尾の音引きは、
強く発音されないこともままある。

もし60年代 (昭和35年以降) の大鵬、巨人全盛期まで、「ライスカレー」 が 「カレーライス」 より
優位であっ たなら、

「巨人、大鵬、ライスカレ(ー)」

ということになっていたかもしれない。

2013.3.6


馬を繋ぐ

2013-03-04 | チラッと世相観察

とある居酒屋の前に、こんな看板を見つけました。

「馬でお越しのお客様は ここにお繋ぎ下さい」

「馬」とは自転車のことでしょう。 (たぶん)

店主のユーモア精神の表れかもしれませんが、居酒屋に自転車で来るのは
いけません。


酒を飲んで自転車に乗るのは、酒を飲んで車を運転するのと変わりません。
自転車も 「車両」 のうちなのですから。 (軽車両)

よくは分かりませんが、自転車の 「酒酔い運転」 「酒気帯び運転」 も、
原則、車に準じた罰則が適用されるのだと思います。

ましてや死傷事故など起こしたら、それこそ大変です。

 

ところで、車などがなかった江戸時代なら、外で飲んで馬で家に帰る
というのも、風情があってよさそうですね。

夕景、ほろよい加減で、風に吹かれながらのんびり家に向かう・・・。
ウトウトしても、馬が連れ帰ってくれるかもしれません。

落馬したり、川にはまったりしてはいけませんが・・・。