興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

ずんだ餅

2022-12-30 | 美酒・美味探訪

きのうの昼は「ずんだ餅」。

ずんだ餅とは、枝豆を茹でてすりつぶし、砂糖・塩・酒で味を調え、餅にからめたもの。


辞書には「じんだ餅」と出ているが(デジタル大辞泉)、新潟育ちで、山形県出の母に小さいころ何度も作ってもらったわたしには、これはだれが何と言おうが「ずんだ餅」。

ずんだ餅は東北地方でよく作られ、一般的にずんだ餅と呼ばれているようだ。

上の写真の枝豆は、9月に菜園でできたものを、茹でて冷凍保存しておいた。
餅はお正月用に、先日餅つき機でついたもの。

 

 

 

   

きのうわが家の庭に咲いたピンクの薔薇。

十年以上も前に、近所の家からもらったのを、挿し木したもので、薔薇の名前は分からない。

寒さのことのほか厳しいこの時季に、縮こまりもせず、ひねくれもせず、柔らかく優しい色の花を咲かせた。
エライ、エライ!

一輪挿しに活け、書斎で愛でている。


これが今年最後の記事となります。
この一年もたくさんの方においでいただき、ありがとうございました。

皆さまにとって、来年もよいお年でありますようお祈り申し上げます。


すり下ろしレンコンの磯辺揚げ

2022-12-25 | 美酒・美味探訪

レンコン(蓮根)を知人からいただいた。
上の写真は家内が作った「すり下ろしレンコンの磯辺揚げ」。

むかしからわたしは、この一品が呑兵衛にとっての最高のつまみの上位にくると思っている。

もちもち感にレンコンの甘み、芝海老の香ばしさ、一口でつまむ ‘つまみ’ としての適度なボリューム感・・空腹を徐々に満たしつつゆっくり酒を楽しみたい日本酒党の、これは理想のつまみである。

作り方は、すり下ろしたレンコンに乾燥芝海老を入れ、塩と醤油で味を調える。
小麦粉と片栗粉少々を加え、小さめの団子にし、海苔片を巻いて揚げる。

揚げたてのアツアツが、実に美味しい。


写真の右上にあるのは、サツマイモのから揚げと柿のから揚げ。レンコン磯辺揚げといっしょに揚げたもの。

サツマイモも柿も、揚げるとグッと甘みが出る。

 

 

 

   

これは別の日のレンコンメニュー、レンコンのきんぴら。

レンコンはなんといっても ‘シャキシャキ感’ が真骨頂。それを楽しめる一品である。

煮てよし、てんぷらにしてよし、揚げてもよし、茹でてサラダにしてもよし、レンコンの幸せメニューはしばらく続く。


一陽来復

2022-12-22 | 随感・偶感・歳時感

きょうは冬至。二十四節気の一つ。

「北半球では夜が最も長く、昼が最も短くなる」日であり、「この日、ゆず湯に入り、カボチャを食べる風習がある」
と明鏡国語辞典に説明がある。

神宮館家庭暦には、冬至の説明の中に「この日を境に日脚が徐々に伸びていく」として「一陽来復」という言葉を紹介している。
この ‘一陽来復’ をデジタル大辞泉で調べると、冬至の説明のほかに、
「冬が去り春が来ること。新年が来ること。悪いことが続いたあと、ようやく物事がよい方向に向かうこと」
とある。

「一陽来復」・・いい言葉ですね。
コロナ禍も早く去って、世の中、ぜひとも良い方向に向かってほしいものです。

また、明鏡国語辞典には、一陽来復を「縁起をかついで『一陽来福』とも」表記するとあった。(復を福に替える)

縁起をかつぐといえば、カボチャやゆず湯も、縁起をかついで(福を願って)のことといえるであろう。


わが家では一日早く、きのうカボチャを食べた。(アズキとの煮物<上の写真>

 

 



     

ゆず湯にはおととい入った。

カボチャもゆず湯も、いちにち二日ズレたからといって、「福」が逃げていくことはないであろう。


デカ・ハクサイの歌

2022-12-15 | 菜園の四季

わが家の菜園からきのう収穫したハクサイは、ひと月前に収穫したデカ・ハクサイより、さらにデカいものでした。

左が7.9キロ、右が6.5キロ。
ひと月前のものが5.1キロでしたから、記録大幅更新です。


このデカデカコンビ、白い発泡スチロールの箱に、仲良く入っています。
ちょっと耳を澄ますと、二人の歌が聞こえてきますよ。

  ♪ ぼくらは仲良し デカデカコンビ
  二人合わせりゃ 14.4(じゅうしのし)キロや

  ちょっとアンタはん 箱、持ってみまへんか?
  持てへんと思うけど、持ったらこんどは 歩いてみなはれ

  なんぼ歩けるか 見ものやなあ、ハハハ
  ぎっくり腰には 気つけや

デカデカコンビは自慢屋で、やや挑戦的。なぜか関西出身のようです。


ところで、このハクサイが大きくなったのは、一度に食べきれないので、畑に長いあいだぬくぬくと置いといたからでしょう。

菜園からの、今年最後のハクサイです。

(わたしは関西出身ではありません。ヘンな関西弁、お許しください)


韓国の美しいことわざ

2022-12-11 | 韓国文化垣間見

先日、近くの公民館のイベントでの一展示として、「韓国のことわざ」を紹介する機会があり、諸資料からいくつかの韓国語のことわざをピックアップした。

たくさんのことわざの中から、とくに ‘美しい生き方’ に役立ちそうなことわざを、意図して集めてみた。
なぜなら「行く言葉が美しくてこそ来る言葉が美しい」ということわざが韓国にあるのだが、このような内容も表現も美しいことわざが、ほかにもあるのではないかと思ったからだ。

探してみて期待は裏切られなかった。人としてのあり方を教えてくれるもの、対人関係のヒントになりそうなもの、人情の機微に通じたものなど、いいことわざがいくつも見つかったのである。
イベントではこの中から九つほどを選んで、展示発表した。

イベントは終わったが、せっかく選び出したものなので、当ブログにも発表分を掲載し、さらに多くの方々にご覧いただこうと思った次第。誤りなどご教示いただければ、まことに幸いです。

(  )内は韓国語の直訳。その下に解説を加えた。(文責・余白)

가는 말이 고와야 오는 말이 곱다 (行く言葉が美しくてこそ来る言葉が美しい)
好意を持った言葉をかければ、相手からも好意を持った言葉が返ってくる。日本のことわざで似たことわざとしては、反語的に「売り言葉に買い言葉」がある。

시작이 반이다 (始めが半分だ)
物事は始めてしまえば半分やったも同然。何事もぐだぐだと日延ばしにせず、思い切って始めよう。
(むかしから日延ばし癖のあるわたし向け

누워서 떡 먹기 (寝そべって餅食い)
造作なくできることのたとえ。餅なら箸や茶碗がなくても、どんな姿勢でもたやすく食べることができることからの表現。日本のことわざには「朝飯前」がある。

한 시를 참으면 백 날이 편하다 (一時我慢すれば百日安らかだ)
カッときても一時(いっとき)言い返すのをがまんすれば、長引くケンカにはならない。

집에서 새는 쪽박 밖에서도 샌다 (家で漏れるひさご<瓢>は外に行っても漏れる)
食事作法でも何でも、家できちんとできていれば、外の気をつかう席に出てもきちんとやれるものだ。

하늘이 무너져도 솟아날 구멍이 있다 (空が崩れてもはい出る穴はある)
どんなに困ったときにも、かならず解決の糸口はある。希望を失うな。

둘이 먹다가 하나가 죽어도 모르겠다 (二人で食べていて一人が死んでも分からない)
食べているものがとても美味しいことを表す言葉。日本のことわざには「ほっぺたが落ちる」がある。

절 하고 뺨 맞는 일 없다 (おじぎして頬を打たれることはない)
謙虚な態度で接すれば、相手から侮辱や攻撃を受けることはない。

열 손가락 깨물어 안 아픈 손가락 없다 (十指のどの指を噛んでも、痛くない指はない)
十人の子供がいて、かわいくない子が誰一人としていようか。子供は一様にかわいいのが親の心情である。
                                        以上


<参考文献>『韓国の故事ことわざ辞典』(孔泰瑢 編/角川書店) 『韓国朝鮮ことわざ辞典』(金容権 著/徳間文庫) 『ミニマムで学ぶ韓国語のことわざ』(鄭芝淑 著/クレス出版) 鄭芝淑氏エッセイ「父とことわざ」(「ことわざ」第8号所収/ことわざ学会)

*最上部の写真はわが家の庭に咲いたフリージアというバラ。本記事に関係ありません。


雲一つない快晴

2022-12-07 | 季節の移ろい

今日も寒い朝になった。

空気は冷たいが、ひさしぶりに雲一つない快晴。格好の散歩日和である。

桜の葉っぱも、ほとんど散ってしまった。月日の流れは速い。

師走ももう七日目。年賀状もそろそろやっつけてしまわねば・・・。

 

 

 

    

コサギ。

首をすくめて、寒そう。

雨の日は、どこに行って寒さをしのいでいるのだろう。