興趣つきぬ日々

僅椒亭余白 (きんしょうてい よはく) の美酒・美味探訪 & 世相観察

映画「万引き家族」を観に池袋へ

2018-06-30 | 時には芸術気分

池袋のシネマサンジャイン池袋に、映画「万引き家族」を観に行ってきました。

今年のカンヌ映画祭、最高賞パルムドールを受賞した、今話題の映画です。

家族とは何か、幸せとは何か。そして常識とは、社会秩序とは・・・。
さまざまなことを考えさせてくれる映画でした。

この映画がパルムドール賞に選ばれたのも、人間や社会の ‘あるべき姿’ の裏にひそむ矛盾や現実を、鋭くえぐっていたからかもしれません。 

 


 

   

信代(‘家族’ の母親役)を演じた安藤サクラさんの演技がよかった。
刑務官の尋問に答えるシーンでは、しゃべりながらにじみ出てくる涙と、それをぬぐうしぐさが自然で、もはや演技の枠を超えていました。

また、この供述のなかに是枝裕和監督の、この映画に対する制作意図がたくさんこめられていたようにも思います。

 

 

 

   

映画のあと銀座に出て、画廊ナカジマアートで画家堀文子さんの本や絵葉書、一筆箋を買ってきました。

堀文子さんは今年100歳の現役画家で、わたしはこの人の絵も文も大好きです。とくに「慣れない、群れない、頼らない」と標榜する堀さんの生き方に共感します。


画廊を出たあと、田端の居酒屋「初恋屋」に行って、親しい友人たちと「群れて」きました。

   
   *写真協力:Y.T.氏。 


食欲旺盛な客人

2018-06-25 | 季節の移ろい

鉢植えは、イタリアンパセリか何かです。
人から苗でもらって、何の苗か忘れてしまったもの。

背丈が30センチくらいにまで伸びてきました。

ここには一人の ‘客人’ がいます。まさに招かれざる客。
写真上部の真んなか辺にご注目ください。・・・ちょっと分かりにくいですね。

 

 

 

   

アップで写してみました。

キアゲハの幼虫と思われます。何年か前にも見たことがあります。

大きさはタテに2センチくらい。周りの葉っぱや小さな花を食べてしまったようで、茎しか残っていません。
食欲旺盛な客です。

カイコが桑の葉を食べるようなものですね。キアゲハもカイコと同じ蝶・蛾の仲間なのですから。

 

 

 

    

上の写真から三日後の、今朝の ‘客人’。

茎をアチコチ渡り歩いて、葉と小さな花をさらに食べてしまっています。
大きさも4センチくらいになりました。

ずんぐりむっくり、大食、大飲。まるでわたしのよう。

この後何日かして、この幼虫は蛹化(ようか・さなぎになる)、羽化を経て、成虫になるのですね。

ところで、キアゲハの成虫は幼虫とは似ても似つかぬ、見るからに美しいチョウチョに変身しますが、カイコの成虫は、いったいどんな姿になるのでしょうかね。

【以下、2018.6.26追加】

   

翌日、26日朝のキアゲハの幼虫です。

上のほうは食べつくして、下のほうに下りてきました。
こちらにはまだ葉っぱがあります。

といっても、蛹化まで持つでしょうか。

こうして見ると、幼虫の色は保護色であることが分かりますね。


会釈の力

2018-06-18 | 随感・偶感・歳時感

人がやっとすれ違うことのできるほどの狭い歩道で、前から来る自転車に脇にどいて道をゆずっても、何の謝意も返さない人がいる。

声に出さなくても、せめて軽く会釈くらいしてほしいものだ。「ありがとう」という気持ちが、無言のうちにも一瞬にして伝わる。

人と人とが接するあらゆる場面で、会釈は感謝の言葉や笑顔に負けないほどの伝達力を発揮すると思う。

わたしが「会釈」という言葉を初めて知ったのは、小学生のときだ。担任の女性教師、O先生が授業で教えてくれたのだ。
「みんな、こんど学校に外からお客さんが来るから、廊下で会ったら会釈をしなさいね」と。
O先生はみずから軽く首を下げる所作までして、深いめのお辞儀との違いを示してくれた。

ほかにもO先生は折々に、日常生活の中の細かいことまで、さまざまなことをクラスで語ってくれた。
「『先生が来た』ではなく、『先生が来なさった(「来た』の敬語。わたしの故郷の方言)』と言いなさい」という敬語の使い方から、
「布団の上げ下ろしは親にやってもらわないで、自分でやりなさい」という生活習慣のことまで……。

わたしはこれらのことを、半世紀の余を経た今も、忘れずに憶えている。
小学生時代は誰にとっても、一生役に立つ大きな学びを得る可能性のある時期なのだと思う。

この四月から小学校では「道徳」が教科として加わった。子供たちは成績の評価もされるという。
その教科内容と評価方法をわたしは知らないが、よほど吟味されたものでなければならない。

道をゆずってもらっても会釈さえできないような人には、O先生なら決して良い評価を与えてはくれないだろう。

2018.6.18

*写真の花はルドペキア(正面)とフリージア(バラ・奥)。本記事とは関係ありません。


「小田巻むし」で蕎麦屋酒 

2018-06-08 | 美酒・美味探訪

神田須田町「神田まつや」の「小田巻むし」です。

小田巻むしとは「うどんの入った茶碗蒸し」のこと。前から一度これを食べてみたかったのですが、先日それが叶いました。

 

 

 

    

なぜ食べてみたかったかというと、わが家の庭にオダマキ(キンポウゲ科の多年草)の花が咲き、ここの小田巻むしを思い出したからです。

名店・老舗の酒肴 蕎麦屋で酒を飲む』(サライ編集部編/小学館)という本には、小田巻むしについてこのような説明があります。

「小田巻の名前は苧(からむし)の繊維から紡いだ麻糸を巻いて玉状にした “苧環(おだまき)” に由来する。茶碗の底にしのばせたうどんの玉の風情を、その苧環になぞらえた」

一方、花のオダマキも、デジタル大辞泉を見ると、同じ「苧環」という漢字があてられ、「麻糸を空洞の玉のように巻いたもの」という意味が最初にあげられていました。
つまり語源は同じなのですね。

 

 

 

   

しかし、いざこの小田巻むしを目の前にしてみると、先に茶碗の中を掘りくずし、「茶碗の底にしのばせたうどんの玉の風情」を確認することなど、もったいなくてとてもできません。

タケノコ、シイタケ、銀杏、エビ、湯葉・・・具の一つ一つをゆっくり味わい、出汁の効いたやわらかい玉子をすすりながら、チビリチビリと猪口を口に運び、‘蕎麦屋酒’ を楽しんできた次第です。
(茶碗の底の少量のうどんはバラけてしまっていました)

蕎麦屋で飲む酒は、どうしてこんなに旨いのでしょう。

https://blog.goo.ne.jp/kyusan2/e/7ccc2dd66262ee33f14fa1bc6364d58d
 ↑わが家の庭に咲いたオダマキの花。正直なところ何故これが苧環(麻糸を巻いた玉)に似ているのかも分かりません。


傘ふり場

2018-06-06 | チラッと世相観察

先日の雨の日、九段下まで行ってきました。

ここは千代田区役所本庁舎の入口です。

「傘ふり場」(上の写真)というものが二つ置いてありました。
ここで濡れた傘を振って、雨の滴をはらってから建物内に入りなさい、ということのようです。

同行の友人によると、最近は傘の滴を受けとめる傘用ビニール袋を置かず、このような傘ふり場を設置するビルや施設が増えているとのことでした。
わたしは初めて見ました。

これなら入口の外で滴をはらってから中に入ってくればいいではないか、とも思うのですが、それだと滴をはらい落とさず、だらだらと雨水をたらしながら館内に入ってくる人もいるのでしょう。


察するに、ビニール袋に替えて傘ふり場を置くというのは、「プラスチックごみ、ビニールごみ」を減らす試みなのでしょうね。

プラスチックごみ、ビニールごみが増えすぎて、環境や海・川に棲む生物によくない影響を与えているというのは、世界の多くの国で問題になっているようです。
BSのワールドニュースなどを見ていると、それがよく分かります。

日本でもその現状を十分に情報共有しあい、各方面で知恵を出していくことが必要なのでしょう。

 

 

 

   

この日は、この千代田区役所本庁舎にある千代田図書館に用があったのですが、この23階建てのビルの上層階には、総務省などの国の機関も入っているようです。

 

 

 


   

地下鉄九段下駅の近くにある九段会館。現在建替え中(一部保存)です。

九段会館は2・26事件(1936年)時に戒厳司令部が置かれ、事件の舞台の一つになった歴史的建造物です。


菜多食主義

2018-06-02 | 美酒・美味探訪

わが家の菜園で穫れた野菜が、食卓に上ってきました。

右上の大皿は、根菜類(ゴボウ、ニンジン、タマネギ)のスライスサラダ。
マヨネーズ・オリーブオイル・酢の自家製ドレッシングに、たっぷりのカツオ節を振っています。

右下のキッチンタオルの上に載っているのはニンニクの唐揚げ。その左の皿にはナスと韓国トウガラシ。左の皿はエダマメです。
(その上の鳥つくね団子は既製品)

美味と元気、そして健康は食卓から。 わが家は ‘菜多食主義’ です。

 

 

 

    

たまたま同じ食卓にあったもの二つ。
 下は バンホーテン。
 上は バンソーコー。